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性差あるある

「男はAであり女はBである」的な、性差あるある言説をよく耳にする。

こういう話を聞いて、腹が立つことはあまりない。

けれど、それを本気で面白がることはできない。ジェンダーバイアスの観点だけではなく、センスや笑いの観点で「まだそれが面白いと思ってんの?」と侮ってしまうからだ。嫌なやつ。

私は若者ではないけれど、古いものやダサいものに冷笑的になってしまう。自分が冷笑的に捉えている話題を楽しむのは難しい。


性差あるある言説がウケなくなってきてるのって、みんな言ってるけどいわゆる「多様性の時代」だからなんだろうな、と思う。

一昔前は「男なのにBだなんて恥ずかしい」と嗜好を隠していた男性も、今はおおっぴらに「一般的に男はAって言われるけど、自分はBなんです~!」と言えることが多くなった。

また、そういう人が周囲にいない場合でも、インターネットを通じて存在を知ることが増えた。「そういう人もいるよね(ネットで見たわ)」と。

インターネットの普及により、昔よりもみんな、知識として脳内に蓄えてる人間のサンプル数が増えてきているのだ。

だから、「男はAであり女はBである」言説を聞いているとき、「Bである男性」や「Aである女性」など、例外がぽんぽん思い浮かんでしまう。

素人(?)にも類型化の“粗”が見つけやすくなったから、あるあるが難しくなったんじゃないだろうか。

一方で「映画通あるある」とか「ライブハウスにいる人あるある」とか、対象がピンポイントなものは未だにその面白さを発揮している。

ピンポイントだからこそ鋭い洞察が可能なのだろうし、そのジャンル外の人が見たとき、粗を見つけにくいのかもしれない。


類型化したがる人は、「例外はいたとして統計上はこうなんだよ」などと言う。

それはわかる。統計ってそういうもんだし。

でも、あるあるネタって共感ありきだ。統計でそうだとしても、実感をともなって「あるある~!」と思えないと、どうしても温度差が生じてしまう。

そんなことを思ったのも、この前20代の人が「おっさんの『あるある』って俺らにとっての『ないない』だから、意味とか笑いどころはわかるけど面白いと思えない」と話していたからだ。

わかるなあ。

だけど同時にゾッとする。35歳の私も、下の世代にそう思われてるんだろうな。

「くそつまんねー」って否定されるならまだしも、「笑いどころはわかるけど」ってちょっと歩み寄られてる感じ、すごく怖い。

じゃあ、逆にその『ないない』を極めたらどうだろう?

「男はAであり女はBである」言説をとことん抽象化し、ぶっとんだ仮説を元に論じるとか。

100人が100人とも共感できないような言説であれば、「ないない~~~!!」が逆に面白い……みたいなことにならないかな。




あと3分何か読みたい方はこちらをどうぞ。大好きな少女漫画について書きました。



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