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人の意見を真に受けすぎることの危うさ

10年ほど前、少しだけコールセンターで契約社員をしていた。

その会社には朝礼があり、当番の人が社内ルールに絡めたスピーチをさせられる。ほとんどの人が、テーマに対して芯を食ってないエピソードを持ち出しては「私も頑張ろうと思いました」とぼんやりしたオチにつなげる、生産性のない時間だった。

中でもMちゃんはひどかった。話しているうちに何を言いたかったのか忘れてしまうらしく、だらだら話し続けてしまうのだ。

そんなMちゃんのスピーチで、印象に残っているものがある。

高3で進路について考えているとき、「犬が好きだからトリマーになりたい」と言ったら先生に「それって夢なの?」と言われて諦め、勧められた職場に就職したけどそこが地獄で……というエピソードだった。

私にはこれがけっこう衝撃だった。

「それって夢なの?」って、進路を諦めるほど重い言葉だろうか。

いや、Mちゃんが省略しただけで、先生はもっと多くの言葉を用いてトリマーの大変さを説いたのかもしれない。しかし、私だったら「高校の教員をしているあなたに、トリマー業界のなにがわかるんですか?」とか言いそうだ。Mちゃんはなぜそんなにも素直に、先生の言うことを真に受けたんだろう。

私は進路を決めるにあたって、先生の言うことに従う発想がなかった。先生だけじゃない。親や友達の言うことも、一応耳には入れておくけれど、最終的に決めるのは自分だ。

だって、私の人生に責任とれるのは私しかいない。「やめとけ」と言う人も「あなたならできるよ」と言う人も、等しく無責任だ。それは悪いことではなく、当たり前のこと。

そう思っていたから、Mちゃんの従順さも、その結果を「先生のせい」と言わんばかりの口ぶりにも驚いた。

Mちゃんのスピーチを聞いて思い出したことがある。

ひとつめの高校(中退した)に入学してすぐの頃、面談があった。面接のように空き教室に通され、知らない先生3人と向き合って座る。おじさんが2人、おばさんが1人だった。

先生たちは、私が事前に書いたプリントを手に代わるがわる質問してくる。私はそれにハキハキ答え、面談はスムーズに進んだ。

しかし、1人のおじさん先生が手元のプリントを見て、

「希望する職業……エッセイストねぇ」

と笑った。あとの先生方も笑っている。

私は小さく動揺した。

そうか、正直になりたいものを書いてしまったけれど、もう高校生だから実現可能な職業を書くべきだったか……。

自分がとても幼く思えて、恥ずかしかった。

かと言って、それで夢を諦めたり、反対に「今に見てろよ」と闘志を燃やすこともなかった。

私にとって知らん先生方の言葉は軽すぎる。そのときはちょっと悔しかったが、すぐにどうでもよくなった。

私はどうやら、他人の言葉に影響されにくいようだ。

昔から「我が強い」「自分を持ってる」などと言われるし、母には「あなたはヨチヨチ歩きの頃から頑固。親がなにを言っても自分の意思を曲げない」と言われた。

みんなそんなもんだろうと思っていたが、違うらしい。世の中には、人にすんなり従ったり、人の言うことをすべて真に受ける人間もいるのだ。

たとえば、インフルエンサーの発信に影響を受けて仕事や大学を辞める人。

数年前まであまりインターネットをしていなかったので、そんな話を耳にしても「いやいや、そんな人いるわけないでしょ~!」と思っていた。しかし、実際けっこういるようなのだ。ネットでよく見かける。

そういう人がいることに、単純に驚く。どうしてそんなに他人を信じられるのだろう? 自分の手綱を他人に明け渡すなんて、怖くないんだろうか?

その人たちのことを「自分がない」などと笑う気はない(つけ込む人のほうが圧倒的に悪いので)。

ただ、「自分の手綱は自分で握っていたほうが、なにかと小回りがききますよ」とは思う。失敗したとき、自分で決めたことなら諦めがつくが、他人に言われて決めたことはいつまでも心に燻るから。

朝礼でMちゃんの声にうっすらにじんだ後悔を、私は今も覚えている。

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