見出し画像

これだけでエッセイ1本書くには弱すぎるエピソード

さんたつby散歩の達人という媒体に、『やがて、思い出になってゆく』というタイトルでエッセイの連載をしている。街にまつわる思い出を書く連載なのだが、ここの編集さんは自由に書かせてくれる方で、毎回どんなエピソードを書くかは私に一任されている。内容に修正が入ることもほとんどない。

私はこのエッセイを書くとき、あることを意識している。それは、メッセージ性や「学び」「気づき」などの教訓めいたものを排除し、ただただ思い出を綴ることだ。ヤマもオチもない平凡な思い出でも、そのときの情景や感情を描写すれば3000字~4000字にはなる。

よく「書くことが尽きることはありませんか?」と聞かれるが、今のところネタに困ったことはない。記憶力はいいほうだし、長いことノートに日記をつけているからそれを読めばなにかしら思い出せるし、編集さんと雑談しているうちに「そういえばこんなことがあったんですよ」と思い出すこともある。いかんせんテーマが「街」と幅広いので、どんな記憶でもこじつけられるのだ(すべての出来事はどこかしらの街で起きているから)。

そんなわけでネタが尽きることはないのだが、逆に「ネタが余る」ことはある。「面白いから書きたいんだけど、どう丁寧に描写しても1000字に満たないな」というエピソードがけっこうあるのだ。

何年も「エッセイ1本書くにはネタとして弱すぎるから、いつか何かと組み合わせて書こう」と脳内にストックしたまま、その機会がずっと訪れないエピソード。今後は、そんなエピソードもnoteに公開していこうと思う。

23歳の春、大阪の姉の家に遊びに行った。姉の夫は仕事に行っており、家には私と姉と当時11ヶ月の甥っ子がいた。

甥っ子はハイハイでよく動き回り、つかまり立ちもする。まだおぼつかないながら、テーブルなどにつかまってつたい歩きもできるようになっていた。よちよちと一歩ずつつたい歩きをする姿はとても可愛く、私と姉は「すごいすごい」と褒めた。

まだガラケーの時代、姉は息子の成長をビデオカメラで撮影して残していた。その日も、姉は私と甥っ子が遊ぶ姿を撮影するのに余念がない。私は床に座り、甥っ子は私の周りをハイハイで移動していた。

ビデオカメラを構えた姉が、私に言った。

「サキちゃん、せいちゃん(甥)に手押し車あげて」

そう言われ、私はハイハイしている甥の両足を背後から持ち上げた。いきなり足を持ち上げられ、甥はキョトンとしている。それを見た姉は笑いながらその場に崩れ落ち、「ちがうちがう!」と言った。

「手押し車ってそれじゃないよ! そっち!」

姉が指差したほうを見ると、押して進むとカタカタ動く木製の玩具があった。

そうか、手押し車ってこれのことか……!

私は「手押し車」と聞いて、腕立て伏せの態勢で足を持たれて手だけで歩く、あのトレーニングのことだと思ったのだ。体育会系の部活でよくやるやつ。

しかし姉の言う手押し車は、赤ちゃんがつかまって歩く玩具のことだった。

とんだ勘違いだ。姉はヒーヒー笑いながら、「サキちゃんがスパルタすぎるから、せいちゃんびっくりしてるよ」と言った。可笑しくて、姉とふたりで爆笑した。

甥はなにが起きたのかわからず、ぽかんとしたまま私たちを見ていた。

……以上が、書きたいと思いつつどこにも出せなかったエピソードだ。このエピソードだけだと700字弱にしかならない上、「ヤマもオチもないエッセイ」を標榜している私にしたってネタとして弱すぎる。

でも、こういうエッセイ1本分に満たないエピソードほど書きたいんだよなぁ。

サポートしていただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。いただいたお金は生活費の口座に入れます(夢のないこと言ってすみません)。家計に余裕があるときは困ってる人にまわします。サポートじゃなくても、フォローやシェアもめちゃくちゃ嬉しいです。