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先生とLOVEマシーン

小学生のときから、「先生」というものにあまり関心がなかった。そこまで強い反抗心もないが、どの先生のことも尊敬できないというか、心の中ではうっすらばかにしていた。

そんな私が一目置いている先生がいた。中一のときの担任のH先生だ。たぶん当時で40歳前後で、サンドウィッチマンの2人のようなやや太めの体形で、スーツ姿がヤクザっぽいと評判だった。

H先生は怖い先生だった。指導が厳しいというよりは、先生自身が「ちょっとワル」な感じなのだ。私には、生徒に舐められないように(あるいは生徒の心を掴むように)わざと偽悪的に振る舞っているように見えた。

あるとき、いつもの時間に出勤してこなかったH先生が給食の時間にようやく現れ、「出勤中にヤクザに車追突されてよ。捕まえて警察に突き出してたらこんな時間だよ」と言ったことがある。みんなはその話を真に受けて「H先生、ヤクザを警察に突き出すなんてすごいね」と言っていたが、私は内心で「事故は本当なんだろうけど、ちょっと話盛ってるんだろうな」と思った。

そんなふうに斜に構えてしまう私だが、H先生の話は素直に面白いと思った。授業中やホームルーム、給食の時間に生徒に向かって話すなんてことない雑談が面白いのだ。H先生は話題の引き出しが豊富で、おしゃれな本や映画や音楽をよく知っている。笑いのセンスもいい。肩の力が抜けていて、ワルぶっているわりに選ぶ言葉は知的で上品だった。ちなみに国語教師なのだが、とても小さくて美しい字を書いた。

また、H先生は私が所属する演劇部の顧問でもあった。H先生は自ら脚本を執筆することもあったが、先生自身のキャラクターからはかけ離れた、ロマンチックで美しい物語を書いた。先生の脚本・演出の力はたしかなものだったので、大人を見下していた中学生の私も、「H先生のことだけは尊敬してやってもいいか」と思った。

あるときH先生は部員たちに「みんな、役が欲しかったら普段から目立てよ。俺は普段の過ごし方も見てるからな。って言っても、先生の前でゴミを拾うとか、そういうことじゃねえぞ。自分の個性を出していけよ」と言った。私は演劇部でもクラスでもうるさいほうだったからか、リーダーっぽい役を与えられることが多かった。先生は私の演技について、「サキはきっと、ドラマや映画をよく観てるんだよな。間の取り方をわかってる」と言った。

また、国語の時間に「このクラスで一番文章力があるのはサキだな。でも、サキは作文コンテストになると大人ウケを狙って小さくまとまるところがダメ。個性を全開にして書けば、この学年でお前に敵う奴はいないよ」とも言われた。

私はそれまで、あまり大人から「個性」を褒められた経験がなかったので、H先生がたびたび私の個性を認めてくれることが嬉しかった。

中二になるとクラス替えがあり、私の担任はH先生から、おそろしくつまらないN先生になった。

私は二学期の終わり頃に突然クラス中から無視されるようになり学校に行けなくなったのだが、家庭訪問に来たN先生は、「なんで新卒一年目で登校拒否児を受け持たなきゃいけないんだ! お前は俺を困らせて楽しいのか!」とヒステリックに叫んだり、「朝の会でクラスのみんなに『仲良くしてください』とお願いしたらどうだ」としょうもない提案をしたりした。私はN先生の発言の一つひとつに傷つき、ますます人間不信になった。

そんなとき、H先生が部活の顧問として家庭訪問に来てくれた。私は何も言わなかったが、H先生はN先生の対応がろくでもないことを察したのだろう、「N君よりもサキのほうが精神的に大人だからさ、許してやってよ」と言った。しょうもない大人の許容を子どもに強いるのはどうかと思うが、そのときの私は、H先生がN先生よりも私を人として買っていることがわかって嬉しかった。

結局私は学校に復帰しないまま卒業してしまったので、このときを最後に、H先生に会うことはなかった。

それから6年が経って二十歳になり、演劇部部員のうち8人プラスH先生で飲みに行くことになった。

中学生が二十歳になるのは大きな変化だが、H先生はあまり変わっていないように見えた。先生はすでに異動し、母校ではない学校で教鞭をとっている。会っていない間に離婚して再婚したという噂を聞いたが、本人に確かめることはしなかった。

H先生は「みんな、今は何やってる?」と一人ひとりに近況報告をさせた。私は当時、東京の専門学校で文芸創作の勉強をしていたので(冬休みで帰省中だった)そう答えた。H先生は「元気そうだな」と唇の端を持ち上げる。不登校時代に比べて、という意味だろう。

お酒が飲めるようになった私たちは、H先生との思い出話に花を咲かせた。そして、二次会はカラオケに行った。

しかし、ここで問題が発生する。H先生との間にあるジェネレーションギャップだ。私たちは当時二十歳で、H先生は40代。私は高校生のとき劇団に入っていたため世代が違う人とカラオケに行った経験があったが、私以外のメンバーは同世代としかカラオケに行った経験がないらしい。いつものように流行りの歌を歌って自分たちだけで盛り上がり、最近の曲を知らないH先生は置いてけぼりだ。

やばい、このままではH先生のテンションが下がってしまう……!

「なんとかしなければ!」と焦った私が選んだのは、当時リリースから数年が経ってすっかり時代遅れになっていたモーニング娘。の『LOVEマシーン』だった。私は懐メロのレパートリーがなく、先生も知っていそうな曲といえばこれしか思いつかなかったのだ。これだけ流行った曲ならH先生も知っているだろう。

私はH先生の機嫌を取るべく、ノリノリで『LOVEマシーン』を歌って踊った。みんなも大ウケでノってくれて、全員でお馴染みのあの振り付けを踊った。H先生も手を叩いてゲラゲラ笑っている。よかった、楽しんでくれた。

私が歌い終えると、H先生はまだ笑いの残った声でこう言った。

「結局、この社会で幸せになるのはこういう奴なんだよな~!」

先生はご満悦だったが、私はその言葉に違和感を抱いた。

……なんか私がノリノリで『LOVEマシーン』を歌って踊るお調子者みたいになってるけど、これ、先生がジェネギャを感じて寂しくならないように気を遣ってやってるんだからな?

たしかに『LOVEマシーン』を歌って踊る私は、なんの悩みもない楽観的でお気楽な若者に見えるだろうけれど、実際はこのメンバーの中でだれよりもクヨクヨ考え込みがちだし、悩みが多いんだからな? わかってる?

そう思ったのだ。

しかし私はヘラヘラ笑って、その後もカラオケを楽しんだ。H先生とはそれ以来、会っていない。

それから20年近くが経ち、今の私は出会った頃のH先生の年齢に近い。その間いろいろな経験をしてきたし、少しは社会というものを知った。

そして大人になった今、思うことがある。それは、「H先生は私が気を遣って『LOVEマシーン』を歌って踊ったことに気づいていて、その上でああ言ったんじゃないか」ということだ。

つまり、先生が言った「この社会で幸せになるのはこういう奴なんだよな~!」の「こういう奴」とは、「ノリノリで歌って踊れるお調子者」という意味ではなく、「空気を読んで周りを盛り上げようとする気遣い屋さん」という意味だったのではないか。H先生は、そのくらいお見通しだった気がする。

私はその後、就職にも結婚にも失敗した。私よりもあの場にいた他のメンバーのほうが、一般的に「幸せ」と呼ばれる人生を送っているだろう。H先生が言った通りにはならなかった。

ただ、私は今も、空気を読んで道化を演じることがある。その特性が、人生や仕事においてプラスに作用した経験は多い。気を遣って『LOVEマシーン』を歌って踊るようなメンタリティは、一見生きづらそうに見えるけれど実はその逆で、私を生きやすくしてくれる武器だ。それに気づいたのは、H先生の言葉がきっかけだった気がする。

H先生、私は昔も今も、まあまあ幸せです。


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