頼まれなくても勝手にやればいいじゃん
昨年の9月、初めてインタビューの仕事をして、その難しさを思い知った。
そもそも企画を立てる(テーマを決めて、どんな話を引き出すか、そのためにどんな質問をするかを考える)のが難しかったし、インタビューで話を引き出すのも、その後の構成もテープ起こしも執筆も、すべてが難しかった。
「まぁ、初めてだし、慣れてないからなぁ」
そう自分に言い訳をして、ふと気づいた。
たしかに、インタビューの仕事をもらえたのはそれが初めてだ。
だけど、「仕事の依頼が来なければインタビュー記事を書いちゃいけない」なんてことはない。
誰からも頼まれなくても、勝手にインタビューをして記事を書くことは、今までだってできたはずだ。
友人に「インタビューさせて」と頼み、カフェで会ってICレコーダーで録音し、記事にしてnoteにアップする。そういうことはできたはずなのに、思いつかなかった。
私は「今までインタビューの機会がなかった」と思い込んでいたけど、本当は「今までインタビューの機会を自分で作らなかった」のだ。
◇
そういうふうに「やってみたいけど、機会がないからなぁ」と思い込んでいることって、日常の中にけっこうある。気づけば、機会が訪れるのを待ってしまっている。
だけど、機会は待っていてもなかなか訪れない。自分で勝手にやれば良かったのだ。このnoteにはそういう「勝手に作っちゃおうぜ」の土壌がある。
もちろん、その「やってみたいこと」の内容によっては、ひとりじゃできないこと、勝手にできないこともある。実際、「有名人にインタビューしてメディアに記事を書く」というのは、機会が訪れないと実現が難しい。
やりたいことが「有名人にインタビューしてメディアに記事を書く」だとしたら、「友人にインタビューしてnoteに記事を書く」は、やりたいことの劣化版と言えるかもしれない。
けれど、劣化版だろうがなんだろうが、やらないよりは自分の経験値になる(自分にとって。他者がそれをどう評価するかは知らないけど)。
だからとりあえず、勝手にやってみればよかったんだよなぁ。
◇
私は、人からよく「完璧主義」と言われる。
そのたびに「えー、違いますよ。私なんてぜんぜん完璧にできてないですもん」と答えていた。
けれど、よくよく考えてみたら、完璧主義とは「完璧にできる人」ではなく「完璧にしたい人」なのだろう。
できてるかどうかはさておき、(無意識のうちに)完璧を望んでいるという点においては、私は完璧主義的なところがある。そのことに気づいた。
やりたいことを「完璧に、思い描いたとおりに」実行する機会を作ることはかなり難易度が高い。
だけど、やりたいことの真似事を「ちょっとやってみるか~」と気楽にやってみる、そういう軽率さをもっと持ちたい。
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