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ドイツでのこと

せっかくnoteを始めたので、改めて少し幼少期の頃などを振り返ってみようかな?と思います。

幼少期、父の仕事の都合でドイツに住んでいました。
今思えばとてもワクワクするような体験ですが、当時の私にとっては初めての絶望でした。
ドイツ人は日本人に友好的な方が多く、ちび助な私は特に近所のおばあちゃんはじめ、エレベーターで乗り合わせたおば様や、とにかく色んな方にとても可愛がってもらいました。それはもう抱き上げ撫でまわす勢いで。
今ならその状況を全力で喜び楽しめるのです。
しかしその時は「まじょだ!まじょに つれていかれちゃう!」と怯え散らかしたのです。
赤毛だったり、もじゃもじゃの髪だったり、鷲鼻だったり、絵本で見た魔女のビジュアルに似た方を度々見かけたからだと思います。
この前まで平たい顔族の世界にいたのに変化が急激過ぎたのです。
ある日限界を迎えた私は外に出るのを嫌がるようになったそうです。
吉田仁美3歳、引きこもり生活の始まりでした。

そんな中、日本で近所に住んでいたおばちゃんに電話をした時、私が「かえりたいー」と大泣きしたそうなのです。
そこで両親は日本が恋しかったのだと考え「日本の文化に触れさせると良いのでは?」と、たまたま近所で日本舞踊のお教室を開いていた先生の元に私を連れて行ってくれました。
先生も生徒さんも日本人で、日本舞踊を習うのも楽しく、急な環境の変化に緩衝材が入り私の気持ちはみるみる落ち着きました。
兎にも角にも、私のドイツ生活は日本舞踊と切って切れないものとなりました。
まあ、まだ3歳とかだったので、踊って……る???というぐらいなものでしたが。
そしてほぼ先生に遊んでもらうようにして通っていたある日、お教室のみんなで日本の文化を紹介する為TV出演することになりました!急なメディアデビュー!!
これを皮切りにみんなで色んな番組に呼んでいただいたり、発表会含め色んなステージに立たせていただきました。
そして私は、味を占めました。
みんなでステージやスタジオに立ち作品を作り上げた時の、私自身というよりは周りのみんなの高揚感が、たまらなく嬉しく楽しかったのを覚えています。

で、だいぶ端折って今に至ります。
三つ子の魂百までって本当ですね。
先生、日本舞踊は続けていませんが、先生のおかげで芸事を続けております。
ありがとうございます。
これからも精進してまいります。


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