(雑記)パチンコを考える

パチンコを打たなくなって3日。
まあ自分から辞めようと思って辞めた訳では無く、今はゆるく距離を置いている……と言う感じである為、いつでも行ける状態ではある。
と言うかこの文章を書いた翌日打ちに行って4万円負けた。


閑話休題。


打たない時間があればあるほど思索に耽る。パチンコが好きだとは言い難い自分がなぜ10年以上、ハードコアに打ち続けているのか。

パチンコってなんだ?

ふと、ある事に気付いた。

余りにも日常に浸透していた為に気付かなかったが、パチンコパチスロは“ギャンブル”だったのだ。

特殊景品なる謎の板を交換して、パチ屋の近所に何故かいるその板が好きな謎のおじさんおばさんに買い取って貰うのが当たり前になっていたが、どう考えても賭博だった。
鈍磨していた認識が鋭く研ぎ澄まされていく。

板張りの床、ヤニで黄ばんだ壁、パンチパーマのどう考えてもチンピラな店員、殺気立った客……なんてのも今は昔。自分が打てる年齢では無かった頃の話である。
令和も6年を迎え、パチンコ屋の店内は明るく綺麗で入りやすい上、店員だって爽やかで丁寧だ。
客層はさほど変わっていないが。


つまり何が言いたいかと言うと“不健全”であるハズのパチンコが健全化されてしまったのだ。


勿論自分自身ハードコアに打ち続けていたせいもあるが、昔より行きやすい環境になったのは確かである。
ただ、やはり数万円負けたり数万円勝ったりするのはどう考えても遊びの範疇では無く、それに慣れてしまっていた自分をこの数日で省みていた。

健全化で人々の日常に浸透していくのは果たしてよいことなのだろうか。
外界とは一線を引く事が重要で、やはりどうあってもギャンブルはギャンブルでしか無いし、そうあるべき……と思うのだ。

そう言えば、どこもかしこも健全化を図っている。

ゲームセンターだって、今メジャーなのは煌々として家族連れが入って遊べるような場所だが、昔はもっと入りにくいゲームセンターが多かった記憶がある。
入った瞬間にタバコの煙が立ち込めて、照明がほぼ無い真っ暗な中で年齢不詳の男が麻雀ゲームをやっている……なんてアウトローを感じさせる状況、今はほぼ存在しないのだ。


そう言えば、今のパチンコ屋は打ちながらタバコを吸えないんだよな……と思った所で、臭いだけは紙巻きに勝るとも劣らない電子タバコの悪臭を思い出して顔を顰めた。
電子なら吸える所もある。

それではまた。

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