(稼働)パチ禁後のパチンコ

こんばんは、YSDです。


密かに行っていたパチ禁が10日と少々を過ぎたある日の20時、心の水瓶が溢れた。
しかし財布の中には普段1パチを打つ時に持って行く3000円にすら満たない2000円しか入っておらず、余りにも心許ない。

どうにかして行く理由をこじつけようと考える内“2000円ならば20時から行っても閉店までは持たないのでは“と言う破滅的な思いに至った。
後”なんか一回くらいは当たるんじゃないか“みたいな蛮勇もあった。

そうと決まるが早いか、夜道に一歩足を踏み出していた。

普段パチンコを打ちに行く時にしか使わない道を歩いている内、今日がハレの日の様な心持ちになってくる。
こうして俺は家で眠るだけの人間から、打っている最中におよそ行動の伴わない理性らしきものから目を背けて、絶望を見つめるパチンカーになるのだ。なんだか退化している気もする。

30分の道のりを経て目当てのパチンコ屋に辿り着き、1パチのシマの1つを見に行く。
1人しか座っていない。
正直言うと、パチンコ屋で一番好ましいのは自分の打つシマに自分以外誰も居ない事だと思っている。
他の台の音やら人やらの混じりっけが無い環境でのパチンコは、こんなにうるさいのに世界に1人だけみたいな非現実感があって好きなのだ。

閑話休題、とりあえず2000円でどうにかして当たりそうな台を考える前に、演出の煽りを考慮しなければならない。
ここで仮に京楽などの煽りがキツい台を選んで激アツを外した場合、余りの怒りでボニファティウス8世(憤死)する事は必至である。

と言うわけで選んだのは海、魚群が来ればアツいし、リーチをしただけで少し期待できる絶妙なリーチバランス。
今日を託すのは海しかないと思って3台ハシゴしたけれど何も起こらなかった。

なんだか台の光は眩しいし音も煩いし金も無くなったし外に出る。
初夏とも言えないくらいの気温ではあるけれど、じっとりと湿気が纏わりつくイヤな天気。
敗北の虚脱が全ての気力を削いで行く。

しかし歩かないと布団にはありつけないので、パチンコ屋に行く時とは比べ物にならない鈍重な足取りで帰る。

往復1時間、稼働時間20分で得た物は疲労だった。

それではまた今度。

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