いよいよ、八戸三社大祭本番です!

画像1 八戸三社大祭を見に青森に行きました!
画像2 帰省先の朝食はこちら!
画像3 桃も頂きました!
画像4 享保5年(1720)、凶作に悩む八戸の有力者たちが、法霊大明神(現在のおがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願したところ、無事に秋の収穫を迎えることができました。
画像5 その御礼として、八戸藩の許可のもと、武士や町人から寄進を募って神輿を建造し、享保6年(1721)に長者山三社堂(現在の新羅神社)に渡御したことが、八戸三社大祭の始まりと言われています。
画像6 やがてこの祭りには、八戸藩の有力な商人が買い入れた人形を載せて担いだ「屋台」や「虎舞」など、町民で編成した行列が参加するようになり、まちの安泰や豊作を祈願する大規模祭礼として発展していきました。
画像7 明治17年(1884)には新羅神社が、その5年後には神明宮の行列が加わって三社の祭りとなり、それまでの同じ人形を屋台に載せるスタイルから、毎年新しく作った山車を運行する形へと変化し、現在の祭りの原型となりました。
画像8 【笹の葉踊】藩政時代からの歴史ある踊り「笹の葉踊」は、明治時代に入ると八戸三社大祭から姿を消しましたが、平成に入ると、古文書などを頼りにおがみ神社によって復活しました。  笹の葉を手にした十五名前後の踊り子が、お囃子に合わせて可愛らしい踊りを披露し、沿道の観客を和ませてくれます。
画像9 格好良い山車です!
画像10 例年5月の連休明け頃に始まる、八戸三社大祭の山車制作。本番1ヶ月前頃になると、各町内の山車小屋には夜遅くまで明かりがともります。
画像11 八戸三社大祭の山車制作者には、いわゆるプロの制作者はおらず、祭りのほかに本業をもっている人がほとんど。
画像12 制作は本業が終わった後の深夜に行われることが多く、祭りは制作者や山車組関係者たちの努力によって支えられているといっても過言ではありません。
画像13 苦労して作り上げた山車は、八戸三社大祭が終わると周辺町村の山車祭りに貸し出されるなどして、その後解体。
画像14 そして、翌年は違った題材でまた作り直されます。
画像15 2つと同じもののない27台の山車が、八戸三社大祭をより豪華で、印象深いものにしています。
画像16 三社大祭の山車は、民話や歌舞伎などを題材としたものが多く、その題材や場面により写真のように4つの類型があります。
画像17 最近の山車は、これらを複合したものもありますが、その基本形が何なのかを考えながらご覧になるのもおもしろいでしょう。
画像18 【駒踊】馬産地である三八上北・岩手県北地域に分布する芸能で、馬の模型を胴に固定し、跳ねるように踊る舞。明治時代から八戸三社大祭に参加していたと言われていますが、その後参加が途絶え、平成になって復活し現代に至ります。  八戸市高館の「高館駒踊」が代表的な団体で、八戸三社大祭への参加のほか、高館の小田八幡宮の例祭にも出演しています。
画像19 山車の中には、前部と中央部が横に展開し、後部がせり上がるなどの仕掛けがあるものがあります。
画像20 運行の際、スペースがあれば仕掛けを動かしますので、その動きに注目してください。
画像21 また、前夜祭・後夜祭では、中心街の大通りおよび市庁前市民広場にすべての山車が集合します。
画像22 仕掛けが全開した状態をじっくりと見ることができますので、人形の表情の豊かさや細かい装飾、練り込まれた場面構成をお楽しみください。
画像23 馬も沢山
画像24 参加している子供も沢山。
画像25 【大神楽】獅子舞が伊勢神宮や熱田神宮の信仰と結びつき、芸能となったもの。お伊勢参りに行くことができない人のために地方を巡回していた神楽に始まり、やがて地方に定着したと言われています。八戸三社大祭では、大神楽が各神社行列の先頭に立ち、道を払い清めて歩きます。
画像26 笛を吹く方も沢山
画像27 10色アイスを食べました!
画像28 十和田市内を中心にリヤカーで移動販売するアイスクリーム屋さんがあります。そのアイスクリームはなんと「十色」。カラフルさも人気を呼んでいる。
画像29 十色アイスのフレーバーは「ゴマ」「パイン」「メロン」「オレンジ」「バニラ」「チョコ」「ブドウ」「ブルーハワイ」「イチゴ」「リンゴ」の10種類。
画像30 ここまで読んでくださってありがとうございます!

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