「旦那は手のひらで転がせ」という残念なアドバイスについて。

 先日から、ジェンダーに関係する会にいくつか参加している。
そこで、日頃のジェンダーバイアスについての話をすると、それはまあ家庭内の不均衡の話になるのは致し方ない。

 そんな場所で、複数の年上の女性から、

「旦那さんはうまく転がしたらいいの」
「怒っても、怒った顔を見せずにうまくやるのが秘訣よ」

 という、アドバイスを頂戴した。

 うん、何度も聞いたことある。実家の母も言った。近所のおばさまも言った。だけどそれ私もやもやするんだよなあ。どうしてももやもやする。だけどなんで、どこにもやもやするんだろうって思っていた。そのもやもやが形になったので記録する。

1.そもそもが、男女ひっくり返したらおかしなことになる理屈は通らない。
 「奧さんはうまく転がしたらいいんだよ」「うまくやればいいんだよ」そう既婚男性が言ったとしたらば、それは随分と人をバカにした話だと思う。なんだか若い女の子とよろしくやりたい男性の言葉にも聞こえてくる。いや、これはむしろ以前から当たり前のように男性たちはそれをやってきたのかもしれない。その意匠返しとでも言えるのかもしれない。でも、でもだ。そんな風に相手と向き合わないやり方ってどうなんだ、と、もやもやとするわけなのだ。賢い奥方のつもりか何か知らないが、かしずいたふりをして操縦する・・・夫側も、「ヨメは怒ると怖いからなあ、へいへい、っていうことを聞いているんだよ」なんてことで完結するのだろうけど、それは対等ではないし、それで「操縦」できることは、家庭内の小さなことに過ぎないのが実感だ。考えてみるとこの言い方考え方、夫をバカにしてるようで、実はバカにはしきれない権力差があるから通用することなんだよな、と思うとなおさら「転がしてるけど転がせてはいない」現実がじんわりとしみてくる。

2.「うまくやる」ってなんだよ。
 怒った顔をしないでうまくやる。女が怒ることはこの社会では嫌がられる。「ねえねえ」なんて鼻声で甘えて要求を飲ませる方が確かに「上手」だ。けれどもその決定権は、怒ることを嫌がる方の手にあり続ける。それは奴隷の方便だ・・・と私には思えるのだ。腹立たしいのなら怒るしかない。怒りを無力化するな、と思うのだ。怒りをエレガントに表現したって、相手は聞いてはくれないんだ。聞いてやろうと思えるレベルまで要求が後退しなければね。そして譲歩されない理由は常に怒るものの方にあることにされる。されてきたじゃないか。

3.なんでそれが気になるの?
 私は「いい子」なのだ。年上の女性が親切にアドバイスしてくれている。それは聞いた方がいいように思う。思うんですよ。だってそれで美しい家庭を維持してきた人だしさ。だから、聞かなきゃいけないような気がする。そして「それは違う」と楯突いて目の前の人を不愉快にすることもしたくない。「いい子」なのだ。ああ、それはなんという足枷だろう。

4.再生産しちゃいけなくない?
 その、年上の女性たちが、ライフハックとして選択してきた配偶者との関係維持方法は、その配偶者の世界の見え方を現状維持で固定してきた。女性はこういうのが可愛いんだよ、という考え方を下支えしてきた。今、対等であろうとすると生意気だと言われ、怒ると「怒っても誰も聞いてくれないよ」などと怒りを無効化するような社会は、そういう女性も加担してきた現状維持の関係性によって再生産されてきたのだと、今の私は考えている。

と、いうわけでもやもやしていたのだ。これはきっぱりはっきりジェンダーをめぐる言説の周辺くらいには存在するトピックスなのだと思う。

 アドバイス通りになんか行動しないぞ。転がすなんてとんでもない。もちろんいい子でもいない。バリバリ怒る時には怒る。私は私を取り戻すつもりなのだから。

 自分はジェンダーに興味をもち、少なからずフェミニストとしての考え方をしているつもりなので、そういうことはこの先ゆめゆめ口にしないようでいたいし、この先、「自分の考えがさらに古い」くらいに世の中に変わって欲しいと思う。

 まあその時には、「そう考えざるをえなかった」「そういう生き方を選択せざるを得なかった」という、ちょっと前の女の生き方を、「意識低〜い」と断罪しないで欲しいかな、なんて思ったり、する。私も自分の思うあれこれを押し付けようとはしないから。


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