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星野源が「自由の押し付け」と言われる時、神の子どもたちはみな踊れるのか?〜アートサイト神津島2024に寄せて〜

 日本のポップスターと言っていい星野源がフェスで、

「あの、(身振りを交えながら)こういうやつ、この時間だけはやめましょう! 好きに踊ってください!」

と言う時、星野源と一つになりたい観客の欲望は宙吊りにされ、「自由が押しつけられた」と観客の欲望が祟りだす。そこにいる数万人の人々が、「星野源」というポップスターと一つになる。ことを望んでいる。その気持ちはわかる。そして、それをなんか嫌だなと思う星野源はまさしく「大人計画」だろう。

 自由(自分で自分のことを決める)と幸福(自分より大きな存在と一つになること)の対立。このいにしえより続く螺旋銀河が、「アートサイト神津島2024 山、動く、海、彷徨う」におけるAプログラムと、Bプログラムでまみえることになったので、そのことについて語りたい。(ただし筆者はBプログラムしか見ておらず、Aプログラムは清原惟監督によるDVテープによるリアルタイム上書き編集版!?の作品しか見ていない。しかもその上映は録画したDVテープから直にIEEE変換で生上映されていた。コピーを許さないスリリングな上映だった。アイトリプルイー懐かしE)

 神津島は伊豆諸島にある離島で人口は1800人ほどで、劇場版『名探偵コナン 紺碧の棺』の舞台のモデルにもなった綺麗な海に囲まれた島だ。そこで行われたAプログラムは、テニスコーツ、U-zhaanといったミュージシャンもおり、千日前青空ダンス倶楽部といったダンサー、パフォーマー、上演を前提としたアーティストが多く参加していた。そして、映像を見る限り、それぞれの元々の土俵に持っていく形で、普段から鍛え上げている自分たちのパフォーマンスを、神津島という舞台に沿いながら上演、演奏していた。折しも雨が降る悪天候の中、フェスに憑き物の台風がそうであるように、観客と演者が一体になる空間が生まれているように感じた。ライブハウスで、普段数百人を相手に「音楽」(または神がかりによる巫女?)という捧げ物によって、幸福(自分より大きなものと一つ)になる技術が、遺憾無く発揮され、映像を見ただけでもその場に一緒にいたいと思った。
 そして、その先にあるのは天上山の上で行われる「バイロイト音楽祭」と言ったら言い過ぎだろうか。
 しかし、Bプログラムの方は、そこからは、とおくはなれた場所を目指しているようにも見える。とにかく、バラバラなのだ。オル太の出航式、『戦闘機と筏』(伊豆諸島の強制疎開と奄美諸島との繋がり?@近代)、井上徹+遠藤薫『超人工的エビス』(@室町中世)、上村なおか+カニエ・ナハ(まじ古代から続くボーイミーツガールと別れ)そして、夜プログラムの花形槙『神津島のための習作パフォーマンス』が灯台の下で、レーダーマンという光景。月と星が輝く夜空に、灯台の光の線兵が、ペリー開港以来の下田の海を守った灯台下暗しの中で、レーダーを出しながらObjectとの距離を測るSubject.
 contact Gonzoが「暴力」を見たい観客に対して見せる、愛。冒頭に還れば、「星野源がガッキーと別れてほしい」という観客の欲望に対して、圧倒的に見せつける強靭な愛のプロトタイプ。

 特筆すべきなのは、青柳菜摘/だつお+メグ忍者の「地騙りの決戦もしくは不戦」である。「ジュリア おたあ」のテキストを根底にしつつ、タイトルホルダーたち自身の土俵にはあえてしない形で、信頼関係に基づく双方向な思いつきによる構築上演。勝敗の決着。日記とも取れない断片的なフィードバック。洗濯干しされる舞台美術、場外乱闘(ドクター孤島ばりに観劇に来ていた好青年の診療医は、それを徳川家康とジュリアの攻防と称していた)そして、天上山でその続きが上演される時、だつお+メグ忍者は、神津小学校の校歌をコーディネーターの地元の青年に託し、彼は歌い上げた。山の頂上で。そして、その青年は、ギョサンを履きながら、ヘトヘトの僕らを背に、トレイルランニングのように山を駆け下りていった。その瞬間をカメラに収めようとしたノロマな僕の数十秒の間に、彼らはギョサンのまま、急勾配の山を駆け下り、豆粒のような大きさになって天狗のように飛び去っていった。踊るように険しい山を降りていく山の神だった。まさにマジックリアリズム。
 
 彼らの母校の神津小学校は海が見える丘の上にある。そして、山からの土砂崩れへの堤防(山治工事)に守られつつ、夜空の天体観測地(よたね広場)に囲まれている、「山海空」その全てに包まれている。上演の終わりは、パフォーマーでもなく、観光客でしかない僕らではなく、地元の青年の校歌に託される。決戦もしくは不戦。敵もしくは友。

 本当に素晴らしい作品とは、その作品に触れた時に、もっと他の人の作品に触れたくなったり、または自分自身がなにかを作りたくなるような開かれた作品だと思う。

僕は、天上山を駆け下りていった彼が、あの、自分の祖父が、神戸山を三菱資本による島外資本!!によって禿山にしてしまったことに加担したことを話しながら、照れくさそうにしている姿が脳裏に焼き付いている。それこそが素晴らしい上演だった。

清原監督が撮影した映像の中に、雨の中、傘と共に踊る神津島の子どもたちがいた。

そうなのだ。誰も見ていなくても、踊る。神の子どもたちはみな踊る。

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