似顔絵の概念を覆すエドアルド・キヨッソーネ
昨年は雑誌にハガキを投稿し続けていたこともあり、似顔絵を描く機会が多くありました。
ウィリアム王子
立花孝志
リーチ・マイケル?
お陰様で、無駄に画力が上がったような気がします。
さてさて、本日お話ししたいのは、自分自身が似顔絵を描いてみて改めて感じた、似顔絵師エドアルド・キヨッソーネの凄さについてです。
エドアルド・キヨッソーネ
彼の名前を聞いたことがなくても、彼が描いた似顔絵は、日本人であれば誰もが一度は見ているはずです。
彼の有名な作品と言えば、
これとか
これとかでしょう。
キヨッソーネの凄いところとは、その技術もさることながら、描く対象となる本人の顔を全く見たことがないのに想像だけで似顔絵を描いて、それを強引に世間に浸透させてしまうところであります。上の作品で言うと、西郷隆盛の肖像画などがそれにあたります。
今、我々が西郷隆盛と言われて思い浮かべるのは、キヨッソーネの描いた似顔絵でありますが、そうなるとキッヨーネの似顔絵は似ているとか似ていないの次元を超越してしまっているのであります。似顔絵の概念を根底から覆しているのです。
そんなエドアルド・キヨッソーネの作品の中でも、ひと際異彩を放っているのがこの作品だと思います。
これもキヨッソーネ作品では大変に有名な大村益次郎の肖像画です。
この肖像画を見たときの感想は、皆さん同じものだと思います。
おでこのニョーン具合がえぐい
それしか出てこないと思います。
どうしたキヨッソーネ。
何かむしゃくしゃしていたのか? もしかして、生理中だったのか?
それとも、大村益次郎に個人的な恨みでもあったのか?
キヨッソーネの父親が投手から打者に転向してようやく活躍し始めたところで、大村益次郎が頭部に死球を当てて父親が亡くなってしまったりしたのか?
キヨッソーネは父親のことを「おとさん」と呼んでいたのか?
ついつい、そんなことを考えてしまいます。
たまたまイメージにピッタリ重なる画像を発見した
大村益次郎の肖像画に関しては、この手の肖像画として、ここまでデフォルメした作品も珍しいと思うんですよね。
杉田玄白のヨボヨボ具合もおかしいですが、それ以上だと思います。
正直、無茶し過ぎです。
この絵が完成して、初めて周りの人にお披露目したときは、おそらく失笑の嵐だったと思います。
かのキッヨソーネの作品ですから、みんな口には出しませんが、(その頭はないわー)(頭部のにょーん具体!)と心の中で叫んだはずです。
もしかしたら、オブラートに包んで
「なかなか独特な趣(おもむき)のある頭部でござそうろうな」
くらい言った人がいるかもしれません。
そして、それに対して周りが(あいつ、踏み込みやがった!)と思ったはずです。
「なかなか独特な趣のある頭部でござそうろうな」
「(マジか、こいつ言いやがった…)」
実際、靖国神社の大村益次郎像の頭部のにょーん具合はそこまででもありません。
キヨッソーネの肖像画は、靖国の銅像を造るにあたって、参考にするために描かせたものらしいですが、頭部のにょーん具合は一切無視されて、眉毛を凛々しくする程度にされています。
さすがにあの頭部はないと判断されたのでしょう。実に賢明な判断だと思います。…というか、それが普通の感覚だと思います。
がしかし、今我々が「大村益次郎」と聞いたときに、瞬時に頭に思い浮かべるのは、やはりキヨッソーネの絵であります。
これこそがキヨッソーネマジックです。
今、世間一般の認識で言えば「大村益次郎」と言えば、戊辰戦争で大きな功績を残した人物でもなく、第二次長州征伐で活躍した軍略家でもなく、頭部にょーんの人というイメージなのであります。
どんなに司馬遼太郎の『花神』を読んだところで、読了後に大村益次郎の肖像画を見た瞬間に、頭にょーんで上書き保存されてしまうのですから、これはもう仕方ないことなのであります。
これこそがキヨッソーネマジックなのです(2回目)
ただ、私の言っていることが腑に落ちていない読者もいるかと思います。
私の言っていることが、おかしいと感じている あなた。
実は私もそう思うのです。
どう考えても大村益次郎の絵が世間に受け入れられたという話は無茶があり過ぎると思うのです。
あれを見せられて笑わないのは、明らかに不自然だと思うのです。
むしろ、逆だったと考える方が辻褄が合う気がします。
大村益次郎の絵をバカにされた悔しさがキヨッソーネが絵を描く原動力となり、最終的に世間に彼の実力を認めさせるパワーの源となったと考えた方が自然だと思うのです。
むしろ、散々バカにされたんだと思います。
町で、指をさされて「頭部にょーん」とか言われたはずです。
ネットで散々悪口を言われたキヨッソーネは、自身のSNSのアカウントを全て削除したことでしょう。
そして家に引きごもりがちになり、あんなに大好きだった遊郭にも、週に1回くらいしか行けなくなってしまったのだと思います。
しかし、それでも似顔絵を描くことだけは止めず、著名な人の似顔絵を描いて世間に発表していく中で、次第に評価をされるようになり、最終的には「あいつが描いた似顔絵だから、大村益次郎もきっと似てるんだろう」という世間の評価になっていったのだと思います。
明治天皇や西郷隆盛などは、世間にその実力を認めさせる過程の作品なのでしょう。
不屈の似顔絵師、エドアルド・キヨッソーネ。
そんなことを思いながら改めて大村益次郎の肖像画を見てみると、どうでしょう。
不思議と先ほどまで抱いていた印象と寸分変わらずに頭部のにょーんがやはり気になります。
そんなわけで、ここまでエドアルド・キヨッソーネの偉大さについて語ってきましたが、最後にもう一つだけ言わせてください。
頭部にょーんの絵を世間に認めさせたエドアルド・キヨッソーネは凄いが、大村益次郎のアダ名の「火吹きダルマ」を考えた奴、お前はダメだ!
それ、絶対本人の前で言ったことないだろ!
本人がいないとこで、仲間内で呼んでたやつだろ!
節子、それアダ名じゃなくて、陰口や!
陰口を脈々と後世に引き継がせるなや!
もし私が将来、何かの間違いでWikipediaに掲載されて、没後に
『「包茎部長」というあだ名でよばれていた』
とか書かれたら、死んでも死にきれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?