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漫画ドカベンと行動経済

野球漫画のハシリ

野球の魅力を漫画で教えてくれた水島新司さん
12月1日時点で引退を発表されました。
水島新司さんは、
野球漫画の第一人者として活躍され、
球界にも人脈が多い方です。

私たちの子供時代から見て来た大人気野球漫画
『ドカベン』や『あぶさん』の生みの親でもあります。

水島さんは事務所を通じて、
以下のコメントを発表されています。
「昭和33年(1958年)18歳で漫画家としてデビュー。
今日まで63年間頑張って参りましたが、
本日を以て引退することに決めました」
との事でした。

漫画『ドカベン』

漫画『ドカベン』は、
我々世代で知らない人はいないでしょう。

1972年から1981年まで、
『週刊少年チャンピオン』で連載され、
単行本の累計発行部数は、
4800万部を記録しています。

特徴的主人公

ドカベンはとにかく主人公が特徴的です。
舞台は神奈川県の明訓高校野球部
主人公の「ドカベン」こと山田太郎

『がんばれ、がんばれ、ドカベン、山田太郎!』
で有名になったテーマソングが、
今も頭をよぎります。

とにかくこの頃の野球漫画は、
非現実的要素の多かったのですが、
ドカベン時代からリアルな野球描写が描かれており、
人気となって行ったのです。

貴重なわき役・岩鬼

ドカベンはチーム仲間が貴重で、
とても面白いメンバーたちが揃っています。

同級生でチームメイト・岩鬼正美
特徴は口から葉っぱを咥えています。
赤ん坊の頃からのクセだそうですが、
彼が凹むと葉っぱも凹みます

ドカベンの事を『や~まだ~』と呼ぶのも、
特徴的ですね。

貴重なわき役・殿馬

高校時代から不動の二番打者・殿馬一人
「チック、チック」と口ずさみながら、
クラシック音楽を武器に秘打を生み出します。

俊足でバント成功率を超高確率で成功させ、
キックによる送球で守備範囲も広いのが特徴。
『ズラ・ズラ』言っている姿が思い浮かびます。

貴重なわき役・里中

イケメンで明訓高校のエース・里中 智
下手投げと言われるアンダースロー
あだ名は「小さな巨人」でした。

女性ファンも多い里中でしたが、
明訓高校でエースとなる前までは…
陰気で暗い影の漂うキャラだったそうです。

昭和47年の時代背景

ドカベンが連載されたのは昭和47年です。
この年の時代背景を振り返って見ましょう。

昭和47年は西暦1972年です。
北海道の札幌で冬季五輪が開催された年で、
沖縄の施政権がアメリカ合衆国から、
日本国に返還された年でもあります(沖縄の本土復帰

プロ野球の優勝チームは、
セ・リーグは巨人
で川上監督
本塁打王は王氏でした。
パ・リーグは阪急ブレーブスで西本監督
首位打者が張本氏でした。

野球界の発展に寄与

ドカベンが始まった年の本塁打王であった、
ソフトバンクの王球団会長
そんな王球団会長が水島さんへ、
「野球界の発展に寄与」して下さった、
と発表されました。

ソフトバンクの和田毅投手からも、
『あぶさん』に何回か登場させてもらったが、
投球フォームの特徴を捉えて描いてもらってうれしかった

と語っていらっしゃいます。

忘れてはいけないドカベン

『ドカベン』の主人公である山田太郎に、
体型がそっくり似ていたことから、
ドカベンの愛称で呼ばれた香川伸行氏

浪商高時代は牛島和彦とバッテリーを組み、
3度の甲子園出場を果たしています。
南海ホークスに入団し、
初打席には左翼席場外へ特大の初本塁打を放ち、
鮮烈なデビューを飾っています。

そんな香川氏は2014年に、
福岡県朝倉郡の自宅で、
携帯電話を持ったまま亡くなりました。

ドカベンと行動経済まとめ

私たちの青春時代は野球が大きな娯楽でした。
父親と共にごひいきの球団を応援し、
熱くなっていたモノです。

『プロ野球選手になりたい!』と言う夢が、
子どもがなりたい職業ランキングの、
上位
を飾っていた頃です。

水島新司氏が残した功績はとても多大で、
現役プロ野球選手が子供のころに、
プロ野球界を目指したきっかけだった!
と言う方も多い事でしょう。

たかが野球漫画
されど野球漫画

今一度感謝の意を込め…
水島新司先生には、
『心からのありがとうございました!』

を贈りたいと思います。

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