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思い出のミステリー小説8作

はじめに

小説を読むようになったのは高校生のときで、はじめのうちはカッコつけて純文学を読んでいたけど、まったく面白いと思えなかった。そんなときに父親から勧められたのが西村寿行『滅びの笛』だった。おれは純文学を読んでいるんだぞ、こんな低俗な小説なんぞ読めるか、と思いながら読んでみたのだけど、思いっきり感動してしまって、これが小説を読むきっかけになった。これがミステリーかどうかというのはあるが、エンターテイメント小説を広義のミステリーとすると、これが私のミステリーの原点といえるだろう。ここに選んだ8作は探偵小説から変格ミステリ、ハードボイルドまでさまざまだけど、いちおうミステリーというジャンルに入れられるもので、かつ思い出のあるものを選んだ。

西村寿行『滅びの笛』(1976年)

ネズミが大量発生して大変なことになるパニック小説、というとたいしたことなさそうだけど、未曾有の惨事となる。どのくらい大変なことになるかは読んでもらいたいが、終始ドキドキしっぱなしだった。そしてラストの強烈なカタルシス。純文学では感じることがなかった興奮を体験し、この感覚を求めていまでもミステリーを読み続けている。

西村寿行はこういうパニック小説があったり感動的な動物小説があったりシリアスな社会派ミステリーがあったりトンデモ系ハードロマンがあったりといろいろすごい作家で、私はあまり多くは読んでいないのだけど、鬼才としてもっと評価されてもいいのになと思う。いちおうこの『滅びの笛』と翌年の『魔笛が聴こえる』は直木賞候補になったけど、受賞は逃している。

原尞『私が殺した少女』(1989年)

ミステリーに興味をもち、図書館で手にとった宝島社の『このミステリーがすごい!』の1位だったのが原尞の『私が殺した少女』だった。もしもこのときに読んだのがちがう年の「このミス」だったら、ミステリーにハマることはなかったかもしれない。主人公の探偵が誘拐事件に巻き込まれる話なのだけど、純文学のような洗練された文章、ホレボレする登場人物たち、スピーディな展開でぐいぐい読ませ、最後にぐっとする結末が待っている。こんな小説があったのかと高校生の私は驚いた。そしてこういうのをハードボイルド小説だということを知る。

本作は沢崎という探偵が活躍するシリーズの2作目で直木賞を受賞、シリーズは短編集を含めて6作が出ているが、最新の『それまでの明日』は2020年、遅筆で知られる作者だから、もうつぎはないかもしれない。読みたいけどね。

志水辰夫『行きずりの街』(1990年)

これも「このミステリーがすごい!」で1位になった作品で、ドラマ化も映画化もされているから知っている人も多いと思う。『私が殺した少女』でハードボイルドに打ちのめされたあとに読んだ作品で、さらにノックアウトされたのがこれ。主人公が失踪した元教え子を探しに行き事件に巻き込まれる話で、ストーリー自体はわりとシンプルなんだけど、文章が素晴らしくて、登場人物たちの会話だとか、人物描写だとかが、読んでいてぐっとくる。

私はこの作品で志水辰夫にどハマリして、ほぼすべての作品を読んでいる。2007年の『青に候』からは時代小説に転向してしまったのだけど、それでもハードボイルドの要素はあるし、魅力的な文章は健在。『行きずりの街』を読んで他も読んでみたいと思ったら初期の三部作『飢えて狼』『裂けて海峡』『背いて故郷』がおすすめ。ハードボイルドではないが普通小説の短編集『いまひとたびの』もいい。

好きな作家は誰ですかと問われたら迷わずに志水辰夫と答えることができる。大好きな作家。二代目志水辰夫を襲名したいくらい敬愛している。

井上夢人『ダレカガナカニイル…』(1992年)

岡嶋二人としてコンビで活動していた井上夢人が、コンビ解消後に単身デビューして最初の作品。宗教指導者が謎の死を遂げ、時を同じくして主人公の頭の中で謎の声がするようになる、というSF的な要素がある話で、出版社のコピーには「ミステリー、SF、恋愛小説、すべてを融合した奇跡的傑作」とある。これはちょっと大仰な言い方かもしれないが、エンターテイメントとして誰にでもおすすめできる傑作なのはまちがいない。

私が衝撃を受けたのはラスト。まだミステリーというものをほとんど読んだことがなかったからかもしれないが、とにかくラストでびっくりして、冗談じゃなく体の震えが止まらなかった。たんに意外な結末というだけではなく、世界がひっくり返る感覚。映画『猿の惑星』を観たときとおなじような衝撃だった。この感覚を求めてミステリーを読み続けているといってもいい。

笠井潔『哲学者の密室』(1992年)

探偵の矢吹駆が活躍する「矢吹駆シリーズ」の4作目。この探偵はけっこうクセがあって、事件を解決するというか、事件をひとつの現象として捉え、「現象学的本質直感」によってその本質を理解し、結果的に事件を解決する。本作ではドイツを舞台に現代と過去とで起きたふたつの三重密室殺人事件を解き明かすために、哲学者ハイデガーをモデルにしたマルティン・ハルバッハという人物が登場し、哲学論議が繰り広げられる。

この小説はただでさえ長大なのに、事件そっちのけで難しい会話が続くので、この手の話がよっぽど好きな人じゃないと読むのはキツいだろう。私が読んだのは大学1年か2年くらいだったけど、さっぱり理解できなかった。だけど、ものすごくクールに思えたのだ。哲学ってかっこいい!でもまったくわからない。なんとかこれを理解したいと思い、私は哲学の勉強にハマっていった。当時ちょうど『ソフィーの世界』という哲学ファンタジー小説もはやって、ちょっとした哲学ブームが起きたというのもあったかもしれない。大学では本来の勉強はまったくせず、哲学関係の本ばかり読んでいた。そういうきっかけになったのがこの小説で、社会人になってもいまだに哲学の本を読むほど影響力が大きかった。

島田荘司『占星術殺人事件』(1981年)

この作品についてはほかとはちがってよい思い出ではない。ミステリー界隈ではよく知られているが、この作品のトリックは漫画『金田一少年の事件簿 』でパクられ、私は不幸なことにそれを先に読んでしまったのだ。本格ミステリの歴史を語るうえで欠かせない作品ということでわくわくしながら読みはじめたのだけど、あれ?これ似たようなやつ金田一少年で読んだぞ?と気づき、ちがうトリックであってくれと祈る気持ちだったが、まんまおなじだった。トリックありきみたいな作品だから(そのくらい大ネタなのだ)、トリックがわかっていては興ざめ。当時はネットもなかったから、状況がよく理解できなかった。「金田一少年」ではその後、トリックを流用していることが明記されたとのこと。

本作は奇天烈な名探偵が活躍する「御手洗潔シリーズ」の第1作目で、6人の遺体がバラバラで見つかるという猟奇殺人を描いたもの。メインのトリック以外にもいろいろと読みどころはあるので、ネタバレをまだ食らっていない人にはおすすめできる作品。

竹本健治『匣の中の失楽』(1978年)

いちばん好きな本格ミステリ小説がこれ。ただしこれが「本格ミステリ」かどうかは異論があるだろう。ウィキペディアには「推理小説のジャンルの一つ。推理小説のうち、謎解き、トリック、頭脳派名探偵の活躍などを主眼とするものである」とあるので、これには当てはまるのだけど、内容的にかなり規格外なので「アンチミステリ」や「奇書」と呼ばれることもある。ちなみに日本でミステリーの三大奇書というと小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、夢野久作『ドグラ・マグラ』、中井英夫『虚無への供物』のことで、これにこの『匣の中の失楽』を加えて四大奇書というわけだ。奇書というだけあってかなり変わったミステリーなのである。

作中作の構成になっていて虚実がごちゃごちゃになる感覚は読んでもらわないとわからないのだけど、読んだときの衝撃は忘れられない。な、なんだこりゃ!と鳥肌が立った。作中の登場人物が作中の登場人物であることを自覚しているような構造をメタフィクションというが、これも驚きだったし、作中に散りばめられたペダンティズム(衒学趣味)、あふれるほどのウンチクが魅力的だった。

しかも竹本健治はこれを大学生のときに書いたのだという。当時大学生だった私はそれを知ってものすごく焦ったことを覚えている。おなじ大学生がこんなすごい小説を書いちゃうなんてと。じつは私もミステリーを読みはじめたころからミステリーを書いていて、当時は真剣に作家になりたいと思っていた。だからこの『匣の中の失楽』にも猛烈に嫉妬したのだ。

京極夏彦『姑獲鳥の夏』(1994年)

本格ミステリー作家になりたいと思ってがんばっていたけど、それを断念するきっかけになったのがこの小説。『匣の中の失楽』を読んでから、こんなペダンティックなミステリーを書きたいと思っていろいろ構想をねったり調べたりしていたんだけど、この突然現れた京極夏彦という新人のデビュー作を読んだときに、先を越されたと思った。読みはじめてすぐに、自分が書きたいと思っていたものがこれだ、これが完成形だ、という感覚があったのだ。ずいぶんと図々しいとは思うのだけど、まるで未来の自分が書いた小説を読んでいるような感覚。これはもう自分にやるべきことはないと思い、本格ミステリーを書くのはやめてしまった。もう本格ミステリーを読むのも楽しくなくなってしまい、ハードボイルド寄りのミステリーを読むことが多くなっていった。そういうターニングポイントになった作品なのである。

この小説もアンチミステリ的な内容で、妖怪という現象が小説の構造になっている。また民俗学や宗教学などのペダンティズムにあふれ、そのうんちくが作品の魅力になっている。当時はとんでもない新人が出てきたと話題となり、一発屋かと思ったら次々とすごい作品が出てきたからミステリー界隈は騒然となった。世の中にはすごい人がいるもんだ。

おわりに

こうしてまとめると、思い出のミステリーとしてハードボイルド系とペダンティックなアンチミステリー系と2系統があることがわかる。そしてそれはいまの私に強い影響を与えている。これらの作品があったから、いまの私があるのだ。

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