夢の楽しみ方
“夢”と呼ぶのを嫌がった、“叶わない象徴”に思えたから。
“夢”という響きが持っている、未来や明日を照らすより、進んでいけば辿り着けそうな“目標”の響きを好んだ。
それは、履きつぶされて汚れてはいるけど、現実という困難な地面を踏みしめて、自己嫌悪のいばらを踏みしめていける丈夫な靴。
これでもか、と、しつこいくらいに“目標”と言い換えた“夢”
“目標”を、人に伝えようとして、ふと、口からこぼれた“夢”という言葉。
それすらも、慌てて受け止めて“目標”の靴に履き替えさせた。本当は、“こぼれた言葉”に嬉しさや喜びを感じてもいるのに。
世界は広い、見なければよかったものが溢れている、閉ざさず大きく見開けば、確かに見聞も視野も広がる。
けれど、その広がった世界と引き換えに、“自分を信じる強さ”や“やる気”が、あっという間に飲み込まれて戻ってこないかもしれない。
自分の才能が、どの程度かなんて誰よりも冷静に受け止めて把握している。
才能がある人を見つけては、自分にも相手にも毒づく口の悪さ、その分傷ついている“落胆や妬み”。
今では「よっ、出ましたね、後ろ向きさん」と、じゃれあえる程に付き合いは長い。
楽しそうな人たちに憧れる、のも、息をするのと同じくらい。
才能がない人間に、“楽しんで”、なんて求められても、技術や能力が常に突きつけてくる、“それでも続けるかい?”、に、すがりつくように返す“続けたい”、だけで精一杯。
やれている、よりも、やれていない、の多さにつぶされそうな日々、少しでも能力が上がるように必死だから。
“楽しむ”、口だけなら簡単に言える。
だけど、クリア困難なHARDモードをやり続けながら、心から言うのは難しいよ。
強く信じて続ける、には、常に視野を狭く、周りの声をシャットアウトして、自分が“選ばれている”と言い聞かせる方法だけ。
現実との折り合いを、どうにかこうにか、つけながら、人生のバランスをとる。
ヨロヨロと不確かな“夢”にしがみつく。
掴まれて折れてしまいそうな“夢”。それを“目標”と名づけた瞬間、実現可能な現実的な響きになった。それが、たまらなく救いになった。
“叶わない象徴”だった“夢”
それが変わった。
コロナだからなのか、年をとったからなのか、……きっと、理由はひとつじゃない。
ただ、変わった理由よりも大事なのは“変わった”という事実だ。
“夢”の持つ、未来や明日を照らす光、何より、その響きを口にした時にやってくる、まるで、休日の前日、何にも縛られない自由が心を満たすような喜び。
どこまでもいっても現実は現実でしかない。
稼いだら稼いだ分、何かを所有したり、生きているだけで、罰金のような税金は払わないといけないし、能力の差なんて努力じゃどうにもならないわけで。
“夢”
シンプルに素敵だ。
生きる力が湧いてくる。
素直に思う。
“夢”は持っていた方がいい。
もうひとつ。
その“夢”を叶えた経験を持つのが大事だ、と。
大きな、大きな、“夢”を持つ必要はない。
いやいや、大きな夢は、“目標”の、丈夫な靴に履き替えて現実を歩いていけばいい。
この際、大きいのと小さいのに分けてしまおう。
小さい夢をいくつも持てばいい。
そして、いくつも叶えていったらいい。
“夢”は心を軽くしてくれる羽だ。見るたびに、持つたびに、叶えるたびに、その羽を大きくしてくれる。
小さい夢。
簡単すぎず、かといって困難ではない、叶えようと思えば叶えられる絶妙なものを探すんだ。
“探す”、それもまた楽しい。
僕は見つけた。今、その“夢”を叶えるのが、とてもとても楽しみだ。
僕の“夢”
『ショートケーキ(純粋にいちごのみ)のホールをひとりで食べる』
冗談なんかじゃない。真顔で、ど真面目に言っている(楽しいのに、なんかそれもあべこべだな)。
それくらい、本気で言っている。
今は、ネット時代。
一昔前のように、自分の範囲で、得意なことを誇れて、いい意味の勘違いで続けること、や、夢をみることが出来た時代とは違う。
きっと、才能がある人達を、動画なり、ネットで身近に見てしまうことで、やる前から諦める人も、それなりに増えてる気がする。
動画に上げるところまでの情熱や頑張り、楽しむことが出来る人は、ネットがあったから、その才能を見つけてもらえた、能力がある人なんだと思う(羨ましさあり)。
逆に、そこそこの人は誰にも見向きもされずに終わる。肯定されたかったのに、否定された気持ちにもなるんじゃないかな。
僕が見る“夢”は、努力や頑張り、能力、それを誰かに認められ、選ばれ、比べられて叶う類いの“夢”じゃない。
誰かと比べない、自分だけが心から楽しめる、嬉しさで心がワクワクして、笑顔になるような“小さな夢”、自分にとっては“大きな夢”と同じくらい大切な“夢”を持つ。
僕は“夢”を叶える日を楽しみに、毎日を過ごしている。
まず、ダイエット。
そして、ショートケーキ探し。
ホールサイズ、パっとすぐに買いにいける大きさじゃないのもいい。
確実に叶えられるけれど、簡単かと言えば、そんなに簡単でもない。
心から、満足して食べるには、食べた後に、ほんの少しも後悔があってはいけない。
喜びしか生まれない条件をそろえなければ叶ったことにはならない。
ただ、食べるだけではダメ。後悔もしない、ただただ、食べている時も、食べた後も、幸せな気持ちでいられないなら、叶っていない。
だから、ダイエットという努力を楽しめる。
『ショートケーキ(純粋にいちごのみ)のホールをひとりで食べる』
僕は、素敵な“夢”を持っている。
能力のなさ、生活費や支払い、どうあがいたって変わらない現実に辛くなって、未来に、げんなりもする。
ショートケーキを思い浮かべる。
そうすると笑顔になる。
「あの美味しい生クリームをほおばって、好きなだけかぶりつける」
心が喜んでしかたない。
今も、目をつぶれば、そこには、いちごと生クリームたっぷりの“夢”が浮かんでいる。
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