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あいとじょう

離婚。
僕にとって生きるか死ぬかを迫られる程のことだった。読んでいる人には、「まだ言ってるの?」だとわかってもいること。
けれど、ひとつひとつ、ちゃんと乗り越えて、今ある幸せを受け取りながら未来に進む難しさ、そして、それを支えてくれる人達がいること、それを伝えていたい。

離婚後、家族を失って迎えた、はじめての誕生日。その誕生日からすぐの定期ライブ。
とてもとても幸せだった。
その幸せな時間を、心から幸せだと感じられるようになっている喜びを綴る。

「離婚された」と「離婚した」では、当たり前だけれど、大きな違いがある。
簡単に言えば「自分は捨てられた」「必要とされない人間」「離婚される程相手を傷つけた最悪な人間」という自尊心の欠如がおこる。

これが、なかなか厄介で、自己憐憫の類だと頭でわかっていても、心の重さにズルズルと気分も落とされ、現在、自分に向けられている愛情や優しさを素直に受け取れなくなってしまう。

本当に厄介。

感謝のフリなんてしたくない。
心から有り難いモノゴト程、申し訳なさも生まれる。
「こんな自分にこんなモノを」
「悪いと思うのも身勝手で情けない」

そう考える自分にまた落ち込む。

こんなことの繰り返しが、波のような周期を持って繰り返される。
大きな波、小さい波、普段どうにか静かになった浜辺に、勢いよく打ちつけて、綺麗にならされていた砂を削り掘り起こし飛散させる。

離婚して初めての誕生日を迎えた。

何年も何年も、14日から15日をまたぐ時間を、3人(そのうち1人(匹)は、たまたまネコに生まれただけ)で、過ごしていた。

この“幸せだった時間”に心を縛られていると、生きているのに、死んだような世界になる。

その時間を過ごしてきた。
だから、今、僕は“生きている”と、胸を張って、声高に言えるようになったことが嬉しい。

そうなるには、どれだけの愛情が必要か。
どれだけの人達が僕に気持ちも時間も信頼もくれたのか、計り知れない。

お昼と夜、2部の定期ライブ。

1部の終わりに、サプライズで祝ってもらえた誕生日。用意してくれたケーキを取り出して、会場に居た全員で歌ってくれた。
ケーキ屋さんに買いに行ってくれた時間、ケーキ代、考えてくれた時間、それを大事に持ち運んでくれていた距離。
考えれば考える程、それがどれだけ有り難いかわかる。

2部は、どのライブに必ず来てくれる子が手作りのクッキーと、素敵な誕生日プレゼントを持ってきてくれた。
何より僕に向けてくれる、満面の笑顔。
同じ。
時間と心がいっぱいいっぱい詰まったプレゼント。

「こんな僕に」なんて、思うのが失礼な、あたたかいあたたかい愛情。

僕は離婚してもらえたから、今がある。

簡単に言える言葉じゃない。
心から家族で居てくれた相手の幸せを願う。

それは、今僕のそばに居続けてくれた人達の愛と情のおかげだ。

愛情。

愛だけでは、いずれ尽きる、という不安や恐怖で足がすくむ。
情だけでは、惰性の鈍さに輝きがいずれなくなり、自分の存在が重くなる。

だから、ふたつあると最強だ。

愛 と 情 

僕に命を与え続けてくれる。

愛情。

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