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心に残る料理、美味しい料理

私が住むタイでは、外食文化が根付いています。 

こういった背景には、外食に要する手間と費用が、自炊に比べて少ない事が、あるように思います。

つまり使い勝手が良く便利だという事が優先された結果であり、外食が単に美味しいからという理由で、外食文化が根付いたとは一概に言えないように感じます。

でもまぁ、間違いなく私が作るタイ料理より、屋台のタイ料理の方が、数倍美味しいという事は、付け加えておきます。

という訳で今回は、サクッと料理について、よしべや流の考察をしてみようと思います。


考察する

私は、この10月で50歳を迎えますが、果たしてこれまでどのくらいの食事を、こなしてきたのだろうか?

1日3食を30日で90食、夜食や間食を含めると、ざっくり1か月で100食とし、これを1年に換算すると約1,200食で、50年の歳月を掛けると、約6万食という計算になる。

正直、もうちょっと回数をこなしてきた感はあるけど、まぁそんな程度なんでしょうね。


記憶に残る料理


では、こんな私の食事史の中で、印象的に残っている食事って何だろう?

と、ふと思い、その観点で振り返ってみたところ、どうも感情の振れ幅が大きい時の食事が、印象に残ってそうな傾向が見えてきました。

ちょっと、一例をあげてみると


同級生同士で、毎週末通ったとんかつ定食屋(高校時代)

当時は、空前のバンドブームで、当然のように私もバンドをやり、その練習後に通っていた定食屋さんの味噌カツ定食で、1990年代当時の価格で460円。

キャベツと、ごはんがお替り自由で、完全に質より量のパターンですが、ここの白米が死ぬほどうまくて、トンカツは大きくて衣はサクサクで中は柔らかくてジューシーという、質も量も兼ね備えた、とても珍しい貴重なお店。

女将さんは、当時御年40歳前後で、とにかく優しくて、気が付いて、愛情いっぱいの接客なので、老若男女を漏れなく虜にしてしまう感じで、とにかくパーフェクトなお店でした。


初任給をゲットした日に、彼女と行った焼き肉屋さん(サラリーマン時代)

東京で学生時代から住んでいたアパートの近くにあった馴染みの焼肉屋さんに、閉店間際に彼女と入り、私の初任給で早朝まで、店員さんたちと焼肉大宴会をした時の食事。

この日、給料の半分以上は、無くなりましたが、同時に強く心に刻まれた感覚が、「おごられるより、おごりたい」という感覚で、この感覚は今でも継続中です。

因みに、この大宴会以降、ここに食べに行くと、注文してないのに上カルビが、お通しのように出てくるようになりました。。。


タイで経営者となって初めてスタッフ全員を引き連れて、海鮮レストランに行った時の食事(経営者時代)

料理の記憶というより、この食事会は、みんなの頑張りのおかげで、創業一年足らずで黒字転換でき、当初予定していなかったボーナスも出すことができたので、そのお礼がメインの食事会でしたが、スタッフにとっては、ボーナスという臨時収入と、タイ人の大好物のシーフードという事で、超ハイテンションなこともあり、

あるスタッフは生ガキ、あるスタッフはエビの素焼き、あるスタッフはカニカレー、あるスタッフはフルーツみたいな感じで、当時いた15名のスタッフ全員が一人ずつ何か一品を小皿に乗せて、私の席へ来て、「ア~リガトー ゴジャイマス」って、満面の笑顔で運んできてくれた光景に、お腹いっぱい胸いっぱいのディナーとなりました。


タイの田舎に住む一家族が、振舞ってくれた日本料理(経営者時代)

ある日、スタッフの母親が大病であることを知り、私費で治療費の一部をサポートし、無事手術成功で退院となり、その全快祝いを、バンコクから約500Km離れた、コンビニも無い田舎の中の田舎にあるスタッフの実家で開催することになり、その席で退院して間もないお母さんが、私へのサプライズで作ってくれた、小麦粉、キャベツ、もやしでできた、オイスターソースのお好み焼き。

私より一回りくらい年上で、田舎の更に田舎に住むこのお母さんは、日本食なんて食べた事も、見たことも無い筈なのに、日本人向けの何か恩返しをしたいという強い想いから、頑張って作ってくれたことが、恐る恐るお好み焼きを出してきた、お母さんの不安で、心配そうな表情から、痛いほど伝わってきました。

もちろん味は、日本のお好み焼きではなく、タイ風味がかなり効いた斬新な味でしたが、口に入れる前から、お母さんの優しさ満点の、このサプライズに「美味しそうだね」「ありがとうね」「本当にありがとね」って泣いちゃって、そしたら、参加者たちもみんなも泣いちゃって、その光景を見て、私も更に泣くみたいな不思議な夕飯になりました。


久しぶりに帰国した時に飲む、実家の水道水(経営者時代)

食事ではないけど、実家の水道水は、地下水なので夏でもそこそこ冷えてて、味も美味しいので、毎回帰国した時は、洗顔して、その流れで水を飲み、歯みがきをして、その流れで水を飲みというのが、基本パターンだったりします。
海外では水道水は飲めないので、飲める水で洗顔なんて、すごく贅沢な気分で、日本に帰ってきた感を、存分に満喫出来るひとときだったりします。


と、まぁこんな感じの内容が、私の記憶に深く残っている食事なのですが、どれもいいお話系の記憶で、ネガティブ系の食事って、あまり記憶に残ってないんだということが、ちょっと意外でした。

 冷静に考えてみると、ネガティブパワーに全身侵されていると、ネガティブな思考に100%ピントが合っちゃってるから、いくら美味しい物をを食べてても、記憶できないのでしょうね。

そう考えると、ポジティブな状態での食事は、どうやら料理の味を向上させてそうだし、なんなら料理から摂取できる栄養価なんかも、向上してそうなくらい、いいこと尽くしかもしれないですね。


美味しい料理


では、次に記憶に残っている美味しい料理という観点で、振り返ってみたところ、ざっくり3つに分類できそうな気がしました。

1、【ミシュラン掲載店タイプ】素材の味、料理人の技術や、創造力が、絡み合った、質の高い洗練された料理

2、【馴染みの店タイプ】何か独創的な仕掛けも、こだわった素材を使用してるわけでもないけど、食べてホッとする味の料理

3、【おふくろの味】どこの誰でもない、自分の母親が作った料理

という3つです。

ちょっと話がそれますが、今から15年ほど前に、タイ人の人生の大先輩の方達と、月1度、共に食事をする機会があって、その席で仰ってた言葉があります。

大先輩Aが、「料理をいただく時には、目、耳、鼻、歯、舌、全ての感覚を使って食べなさい」と教えてくれました。

それを聞いていた大先輩Bは、「料理を更に美味しくいただきたいなら、心(感謝)と共に食べなさい」とも、教えてくれました。

とても深く、奥行きたっぷりな表現ですよね。

この二つの意見は、どちらも説得力のある内容で、共に料理を美味しくいただくための、ポイントを押さえていると私は思います。

なので、この感覚重視型の食事と、感謝の心でいただく食事の2つの視点で、上記の3つの料理を振り分けてみると、 

「ミシュランタイプ」は、いわゆる料理の鉄人系の料理、有名店、人気店で提供される類の料理で、料理人のアイデアや技術がたっぷり盛り込まれた、食べる側の感覚を存分に堪能させてくれる料理となり、

「馴染みの店と、おふくろの味」は、心(感謝)と共に食べましょうという、料理単体の質というより、料理以外の要素で美味しさが増すタイプの料理、という分け方になるような気がします。

そうなると、この「馴染みの店と、おふくろの味」の違いって何だろうと、考察したくなります。

「馴染みの店」は、いつ食べても自分好みの味で、店のシステムも、店員さんのサービスも、店の匂いも、雰囲気も、いつ行っても全てがほぼ同じであることによる安心感や、安定感を、食べ手の脳が心地よく感じる事で、美味しさが増すパターンの料理となり、

「おふくろの味」は、むしろ料理単体の味は、二の次、三の次で、この世に一人しかいない母親と自分との間にある不変の信頼感や、愛情が本柱となって、美味しさを増すパターンの料理のような感じがします。

つまり、もしこの考察が、的を得た説であるなら、素材にこだわり、卓越されたアイデアや、調理法によって、食べ手の感覚を堪能させることができる料理を、いつもと変わらぬ環境で、自分の母親が作ってくれたら、自分にとって最強の美味しい料理という事になりそうです。

となると、この最強の美味しい料理と今世中に出会う事は、ほぼ無さそうなので、私の場合は、来世以降へ持ち越し確定です。

でもまぁ、こういった奇跡的な料理を追い求めるより、いつも傍にいる自分の奥さんが作るタイ料理も、私にとってはとても美味しくて、間違いなく最高の料理ですから、今世の私は、奥さんのタイ料理で十分すぎるかもしれません。

何だか、軽い感じで書いたのですが、すごくホッコリした感じに包まれてしまいました。

そんなわけで、みなさんにも例外なく食事史があるので、是非一度振り返ってみてください。ホッコリするような人生のエピソードや、思い出の料理がよみがえってきて、ホッコリできるかもです。

ではまた。


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