見出し画像

青野慶久の略歴

人となりを伝えるための自己紹介を書き留めます。

1971年6月26日生誕。父親が転勤族のため、幼少期は埼玉県浦和市(現さいたま市)、岡山県岡山市、愛媛県伊予郡松前町で過ごす。

8歳のときに、愛媛県越智郡玉川町(現今治市)に転居。山奥の鈍川小学校(1998年に廃校)に片道約1時間かけて徒歩で通う。ちなみに道中に信号は1つもない。

当時、愛読していたのは「子供の科学」。発明家になりたくて、ときどき思い付いたアイデアを投稿していました。

1984年、地元の公立中学校(玉川中学校)に入学。2年生のときに生徒会書記、3年生のときに生徒会長を務める。中二の時に初めて自分用のパソコン(MSX)を購入。プログラミングに目覚める。

1987年、今治西高校に入学。将棋部に所属。

1990年、今治西高校を卒業し、大阪大学工学部電気系に入学。大学時代はボランティアサークルに所属。児童養護施設に通ったり、盲人用のゲームソフトを開発したり。

1994年、大阪大学工学部情報システム工学科を卒業し、松下電工株式会社(現パナソニック)に入社。電光掲示板などを扱う事業部で営業企画部に所属。

1996年、松下電工で社内ベンチャー企業(ヴイ・インターネットオペレーションズ株式会社)の創業に参画。

1997年、愛媛県松山市でサイボウズ株式会社を創業。取締役副社長に就任。

2000年、サイボウズ社が東証マザーズに上場。

2001年、結婚。妻の氏に改姓。

2002年、サイボウズ社が東証二部に市場を変更。

2005年、サイボウズ社の代表取締役社長に就任。高い離職率を下げるために、社内の働き方の多様化に取り組み始める。

2006年、サイボウズ社が東証一部へ市場を変更。

2007年、拙著「ちょいデキ」を出版

2008年、ドナーとして骨髄移植手術を受ける。

2011年、クラウド事業へのシフトを開始。kintoneをリリース。

2015年、拙著「チームのことだけ、考えた。」を出版

2018年、選択的夫婦別姓制度を求めて国を提訴。

2018年、拙著「会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。」を出版。

2021年、拙著「「選択的」夫婦別姓」を出版。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?