もしも選べと言われたら

個人ブログ 2024.7.28 の記事より転載


荻上チキさんの『もう一人、誰かを好きになったとき — ポリアモリーのリアル —』を読んだ。

というのも先日読んだ別の本『パーティーが終わって、中年が始まる』で「ポリアモリー」という単語が触れられており、その時に初めてこういった概念を知った。

恋が多い人は、恋愛以外でも面白そうなことをたくさんしているような気がする。恋というのは、単に性的対象に対する欲望なのではなく、すべての未知なものに対するときめきやワクワク感の基本となる感情なのかもしれない。

pha -『パーティーが終わって、中年が始まる』

この一文に何か感じるところがあり、他人事とは思えなくなった。phaさんの本を読んだ後、冒頭の本をすぐに買って読むことにした。

本書の後書きでは、小学校時代に同時に複数の子が好きであるとクラスメイトに打ち明けたら酷い目に遭った、という著者自身のエピソードが語られている。
振り返ると、私も小学校時代は彼と同様に2人以上の人が好きだったことを思い出す。
特に中学3年の時なんかは酷かった。私はそれまでずっと奥手で誰かと交際したことも無い、いわゆる硬派な学生であった。おまけに生徒会長も務めており、至って生真面目なヤツとして振る舞っていた。
ところが抱えていた気持ちが爆発したかのように、3人の女子に立て続けに告白しては振られたことがある。その際は周囲の友達にかなり弄られたし噂もすぐに広まり、かなり教室に居づらかった。

また、たしか高校の時だったか、姉が当時のパートナーに浮気をされたと言って怒っていたことがある。また、どっちつかずなその人の態度のことを「気持ち悪い」と言っていたことも妙に覚えている。その時の私は「よく分からないけど、どうして許せないんだろう?」ぐらいにふわっとした感想しか浮かばなかった。
また、「どっちかはっきり選んで」とも伝えたという。ふ〜んと言いながら話を聞いていたものの、なぜかその時は自分のことが責められているように感じた。もしも私がそういう立場にいて、選べと言われたら…… きっと、ただただ申し訳なくなり、その上でどちらも選べないということになって更に姉を悲しませそうだ。

以降の生活を振り返って考えても、私には多分にポリアモリー的なところがある。
次々と違うトピックに興味が湧く性分なのと同じように、基本的には、色々な仕事や趣味を持つ人と様々な内容について深く話したい。そして多人数での会話が苦手なので、2人だけの方がコミュニケーションが楽だ。
が、現実世界で一般的とされる「規範」を考慮すると、誰かとの交際を宣言した途端、パートナーに気を遣ったり周囲の目を気にすることで深く話せる相手が半分に(私の場合は男性だけに)限られてしまう。それってなんだか、とてもつまらない人生じゃないかと感じている。
これまでの人生で漠然と感じていたそれらの葛藤が、本書で紹介される様々なエピソードを通じて、心の中でトントントンと整理されていった。

さて、それはそれとして。
今後は自身がそうした性質の人間だとより明示的に認識したうえで…… どうも、この葛藤は形をはっきりと取り、しかしなお心の棚に居座り続けることになりそうだ。


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