マルクスの学説における貨幣の位置

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 商品とは自己の欲求満足のためではなく、他者の需要を目的に生産されるものである。従って商品経済の維持発展のためには、スムースで全面的な交換の必要性が生じてくる。
 マルクスの価値形態論は、商品に含まれる「価値」が、交換に際して、相手商品の具体的な自然体(使用価値)によって自らを「表現する」事実を追いかけ、貨幣発生の必然性を論証するものである。すなわち、本質としての価値がなぜにその現象形態たる交換価値の形態をとらなければならないかを明らかにし、価値形態=交換価値の完成した姿としての貨幣形態の謎を解き明かしたものとされる。
 しかしながら経験論的教養・文化圏に育った者に「商品が相手商品の自然体で自らの価値を『表現する』」などといったことが納得できるだろうか。商品は単純に交換を求めて相手商品と対峙するのである。この時「使用価値」がそれぞれ異なる商品がイコールで左辺と右辺に置かれ、左辺(相対的価値形態)に置かれた商品が右辺(等価形態)置かれた商品に「交換可能性」を与え、右辺の商品が同意することで交換が成立することになる。
 第一形態
 商品Aのa量=商品Bのb量
は、AがBの「使用価値」を求めて交換を望むことを表している。Bが交換に同意するには、BがAの「使用価値」を欲することが前提となっている。したがって第一形態が成立したときはB=Aも成立していることになる。
 第二形態の
 A=B
 C
   D
   E
   …
はAがB以下の「使用価値」を求めて交換を望むことを表している。B以下が交換に同意し第二形態が成立したときは
 B
 C
 D
 E
 …
=A 
も成立していることになる。すなわち第二形態が成立するためには第三形態が成立していることが前提になっているのである。
 マルクスが第二形態を「ひっくり返」して第三形態になると言っていることはこういうことなのだろう。商品Aはどの商品からも交換可能性を与えられ、どの商品にも交換可能性を与える特権的商品であり、第二形態と第三形態を同時に演じている。すなわち商品Aは第二形態から貨幣なのである。貨幣が第二形態と第三形態を同時に演じていることから、岩井氏は第三形態から第二形態への逆行が可能だとしているが、逆行ということは問題にならない。(岩井、1993)


 マルクスによれば、物価は貨幣――本位貨幣すなわち金――と諸商品の相対的価値関係で決まる。したがって諸商品の価値が一定ならば、貨幣の価値が与えられれば物価が決まり、これに対応して必要貨幣量が決まってくる。貨幣の価値が減少すれば、物価は騰貴する(逆は逆)。物価が騰貴するにつれて、流通する貨幣量は増加せざるをえない。すなわち貨幣の価値に逆比例して諸商品の価格が変動し、そしてそれから流通手段の量が価格に正比例して変動することになるのである。
 流通界はこのように規定されたある一定量の流通手段しか吸収しない。一方で流通界に余分に貨幣が投入されれば、他方でそれだけの貨幣が流通部面からとびだす。流通外へはじき出された貨幣は蓄蔵貨幣や地金その他に姿を変える。
 以上の貨幣=金の流通法則は兌換銀行券流通の場合も変わらない。過剰な銀行券は銀行に還流し(流通界をとびだし)、金に換えられる。
 しかし不換紙幣の場合は違ってくる――ただしマルクスの言う不換紙幣とは不換政府紙幣であり、もっぱら不換銀行券が流通する純粋不換制を問題にするのは後のヒルファーディングである――。紙幣流通量が諸商品の価格総額によって規定されるところの流通に必要な貨幣量=金量の範囲を越えなければ、本来の貨幣流通の諸法則がそのまま妥当する。だがそれを越えれば、紙幣は不可避的に減価する。なぜなら紙幣は――金や金に兌換しうる兌換券と違って――流通界に残りつづけるからである。
 紙幣の発行はそれによって象徴的に表される金がもし紙幣によって代理されなかったならば現実に流通せざるをえない量に限定されるべきだということが、紙幣発行の原則であって、それを超えたときの紙幣の減価とそれに伴う物価の名目的上昇はインフレーションと規定される。
 さて、以上のマルクスの物価論は『資本論』第一巻「商品論」のところでなされていて、そこでの貨幣は単純商品流通を媒介するもので(商品は生産界から流通界にもたらされるが、取引が成り立つと消費界へ消えていき、貨幣は流通界を運動しつづける)、いまだ貨幣資本ではない。したがって貨幣が生産量につながるルートは考えられておらず、取引量一定が前提されている。
 またマルクスでは、必要金量以上の不換紙幣はストックになりえず流通界にとどまりつづける、とされる。しかし今日での不換銀行券は銀行に還流しストックとして流通界から脱出しうることが考えられなければならない。
 すなわちマルクスは一定の取引量が流通するのに必要な貨幣量を論じており、ここでのマルクスのインフレーションの規定は、「貨幣論段階」での抽象的規定でしかない。貨幣資本が導入されれば――「信用論段階」――生産量(取引量)は増大しうるから、貨幣の必要量も増大することになる。流通必要貨幣量は、商品の生産や流通量が増加すればそれにつれて増加するから、貨幣が増加するたびに――不換紙幣であっても――物価が騰貴し、貨幣の購買力が低下するとは言えない。
 マルクスの「紙幣流通独特の法則」は、リカードの「紙幣の発行は紙幣のない場合に必要な金銀貨幣の流通量を超えることはできない」という見解を取り入れたものだが、この法則はさらにヒルファーディングにも継承された(Hilferding、1923)。しかし貨幣の購買力は流通貨幣の数量と生産物の数量との相対によって決定されるのであり、不換銀行券の価値は、それをもって賄われる生産物の価値によって支えられるのである。
 かつて不換紙幣の発行が物価騰貴の原因になったことはあるが、このような物価騰貴は不換紙幣なるがために発生するのではなく、非資本的支出=生産に結びつかない支出なることにもとづくのである。生産物の裏づけのない信用創出(戦費を賄うための不換紙幣の濫発等)は、その流通数量の増加にともなってその価値を低下させていくことになる。
 ヒルファーディングは、「紙幣の価値は金属貨幣を引き合いに出すことなしに導き出されえなければならぬ」とした。しかし生産物の価値の尺度および価格の基準となるものは兌換制・不換制を問わず金=本位貨幣であり、流通貨幣(通貨)の大きさを確定するには金の価値なしにはなされえないのである。


 国際貨幣は、理論的には各国に共通する一つの生産物であればよく、品質・内容を等しくする生産物の一定量の、それぞれの国の貨幣単位で付与された価格名が、相互に等しい価値を表現すると認められるときに一般的価値尺度および一般的交換手段としての機能を営むことができる。為替相場とは、そこで共通の価値の尺度となったものに付与される価格名すなわち価格標準の比率にほかならない。
 金が国内で価値尺度であり、一般的交換手段であるというのは、国際的にはいっそう明白である。貨幣はそれぞれの国で円なりドルなりポンド等々の名称をもって通用しているが、国際の舞台ではいわばそれぞれの着物を脱ぎ捨て裸のままの金として現れる。金本位制では金平価――同量の金に付与された異種の貨幣単位による価格名の比率(金○グラム=□円=△ドル…)――を軸に為替相場が固定されていた。金の価格比によって為替相場=通貨間の交換比率が決まるのであり、その逆ではない。
 金本位制では為替相場は固定され、やむをえない場合以外切上げ切下げは行われなかったが、それはまた価格標準が公的に表示され、変更されなかったということである。価格標準は金本位制のもとでも可変であるが、それは国家の意志によって決められ、一度変更されれば、この新しい価格標準を維持する機構が働くというのが金本位制の本質である。
 金本位制のもとでも、通貨制度の発展にともなって通貨量の金からの束縛は逐次解放されてきた。商品流通は絶えず発展していくのに、金の存在量には制限があるから、流通に必要な金量を確保するには現実の金のほかに金の代用品をもって補充せざるをえなくなる。資本主義は、資本蓄積の増大に伴う商品流通の拡大に応じるために、通貨量を増大させうるような制度を次々と生み出してきた。商品流通が金ストックに制限されるような鋳貨流通から、鋳貨の大部分を流通から引き上げて準備金とし、その数倍に達する発行を可能にした兌換銀行券の流通へ、さらに金準備をもっぱら対外支払い準備に限定し、国内流通においては発行を金属的基礎からまったく解放した不換銀行券の流通へと、通貨制度は発展・転化してきた。これは資本主義生産の拡大が金の制限を打ち破って通貨制度を変革してきたことにほかならない。
 通貨管理は金地金本位制の下にあっては狭い枠の中での操作であった。銀行券発行量は金準備に制約されており、したがって人為的操作と言っても金準備の許す範囲内で行われるにすぎない。もし金準備そのものが減少すれば、いやでも発行量を収縮しなければならないが、通貨の流通量を縮小するのは困難なので金準備の方を強化する方策がとられねばならなかった。
 金為替本位制になれば、通貨管理は金からずっと解放される。金為替本位制における銀行券発行の基礎は金準備ではなく金・外貨準備であるから、通貨発行の限界はそれだけ広げられる。しかしこの金為替本位制は、一定国の金地金本位制を前提として成立する。というのは金為替は信用であって金に兌換されなければならず、金地金制国の通貨であることを要するからである。ドルに代表された金為替本位制は各国が国内に金準備をもつかわりに、アメリカに対するドル債権によって対外支払いを行うものであり、その際国内通貨は一定為替相場によってドルにリンクされて金への転換が保証され、現実にドルの金への交換は外国の政府もしくは中央銀行の保有するドル債権に限って認められていた。各通貨はドルを通して最終的に金にリンクされていたわけで、対ドル為替平価の固定によって、価格標準を固定していたのである。
 戦後の圧倒的なドル優位の構造は、58年頃を境に、アメリカ国際収支の大規模な赤字――世界的なドル過剰――に転じた。この赤字は、軍事支出や対外援助といった政府取引の赤字拡大と、多国籍形態のアメリカ大企業の海外進出にともなう民間資本収支の赤字増によるものだが、ドルの価値低下を懸念した金需要=金流出に耐え切れなくなったアメリカは、71年金・ドル交換停止(ニクソン声明)に踏み切り、ついには変動相場制へと移行することになった。ドルの金への交換可能性が失われてしまえば、金を離れたドルに対し各国為替平価を決定しても空中楼閣に等しく、変動相場制に移行するしかなかったのである。


 固定相場制では為替安定を第一に置いた。したがって国内の物価水準は外国の物価水準の動揺につれて変動せざるをえなかった。しかしケインズによれば国内物価の安定は外国為替の安定より重要である。かくして国内物価の安定を優先させ、外国為替の安定は二の次とされて、否むしろ外国物価が変動した場合には為替相場は変動するのが当然とされるのである。
 今日の変動相場制は、固定相場制が国内の信用膨脹に対して課していた限界を取り払い、信用引き締めを回避する途を開いた。しかし、変動相場制のもとでは信用膨脹を阻止する機構がない。変動相場制のもとで、円もドルもその他通貨もそれぞれたえず事実上の価格標準・為替平価――もう公示の為替平価・価格標準はない――を変えている。管理通貨制とは国内の有効需要政策優先のための体制であって、その結果としての各国のインフレ率が同じでない限り、為替平価を固定することはできない。管理通貨制に相応した為替相場は本来変動制なのである。
 今日純粋不換制=管理通貨制のもとで国内においてはもちろん国際面でも表面上本位貨幣=金は姿を消し、信用が全面的に経済社会を覆っている。再生産が順調に進行し、資本の還流に支えられるかぎり、兌換制下となんの差異もない。しかしその代償としての紙幣の減価、それがもたらす為替相場の不安定とくに基軸通貨ドルの不安定はリスク回避のための諸手段や積極的な投機行為を生み出し、それがさらなる不安定をもたらすという「カジノ資本主義」状況を呈するに至っている。一国内ではともかく、世界という舞台で信用貨幣が国際流動性の役割を全うするには限界があるのである。

参考文献

Hilferding. R. 1923.  Das Finanzkapital.ヒルファーディング『金融資本論』林要訳、大月書店,1961
Marx. K. 1867―94.  Das Kapital. Werke. Bd.23―5.マルクス『資本論』長谷部文雄訳、青木書店1951―4
新庄博、1967、『貨幣論』、岩波書店
――、1978、『金融財政経済論』増補版、日本経済評論社
岩井克人.1993.『貨幣論』筑摩書房
山田喜志夫.1999.『現代貨幣論』.青木書店
三宅義夫.1971.『貨幣信用論研究―『資本論』研究―』.未来社

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