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電話通訳10年選手

コロナ・パンデミックが始まるずーっと前から私はリモート・ワークをやっていました。我が家の一室をホームオフィスにして、アメリカにある会社とオンラインでつながっていて、電話が鳴るとすぐ応答して日本語/英語の通訳をするという仕事です。

1か月ほど前、その会社の社長名でレターが1通届きました。開けてみると「あなたが仕事を始めてから10年たちました。おめでとう! ご苦労様でした! 感謝します!」といった内容でした。あれからもう10年たったのかと歳月の過ぎていく速さに改めて驚きました。

最初はフルタイムで1日8時間、週5日間働いていましたが、たしか5年前ぐらいから、1日4時間、週20時間(5日間)のパートタイムに切り替えていました。社長からのレターが届くしばらく前に「通算5000時間の勤務、ご苦労様でした」というレターも会社から送られて来ていました。

たぶん、そういったことが評価されたのではないかと思っていますが、今年1月に日本風に言うと有給休暇にあたる時間が前年の倍以上に増えていました。最初は「これは何かの間違いじゃないのか」といぶかっていましたが、いただけるものはいただいておこうと、今年の夏はずいぶんたくさん有給休暇をとらせてもらいました。

仕事の性質上、あまり細かい内容などに触れることはできないのですが、電話通訳というちょっと特殊な仕事について思いつくまま書いていきたいと思っています。

電話通訳者泣かせの人の一例

今、実はコロナ・パンデミックの影響を受けて私が受ける電話の本数が少なくなってきています。そんな中で今日、電話通訳者泣かせの一つの典型例があったので紹介したいと思います。

私は普通の電話の通訳とビデオ通訳の両方をやっていますが、米国のどこかの病院からビデオ・コールがかかってきました。看護師の女性と患者さんの日本人の高齢者の女性がいました。たぶん80歳以上だと思いますが、私が何度も「もしもし、もしもし」と声をかけても何の応答もありません。「もしもし、聞こえますか」とだんだん声を張り上げて繰り返し、最後は叫ぶように呼びかけましたが、依然として何の反応もありません。

看護師さんに「この患者さんは耳が聞こえないようで、何の反応もありません」と伝えると、彼女もそのことは分かっていたようで、「オーケー、分かりました」でビデオ・コールは終了しました。

私自身も後期高齢者に入るような人間ですから、声帯も弱って来ていて大声を出し続けることがそう簡単ではありません。今日の患者さんの場合、かなり短時間で終わったので助かりましたが、今まで耳は遠いけれど少しは聞こえるといった高齢の患者さんと長い時間、やりとりしたこともちょくちょくありました。ずーっと大声を張り上げなくてはならず、のどが痛くなってまいりました。

電話通訳に必要なのは度胸

知らない人からの電話に出るのって、「好き」だっていう人はあまりいないでしょう。まして、英語ならなおさら、じゃないですか。私たちの仕事では1回の着信音で受話器を取り応答しなければなりません(ヘッドホンを使っているので受話器を取るという動作はありませんが)。モニター画面上にはどこから入ってきている通話かは表示されますが、その文字だけからは一体どういうところから来ているのかとっさに判断できかねる場合もあります。

私たちの扱う電話通訳の範囲は非常に広範囲で、いつ、どういう内容の電話がかかってくるかまったくわかりません。とは言っても私の場合、大きく分けると銀行、クレジットカード、病院、クリニック、自動車保険、健康保険、生命保険、証券会社などが主流で、ほかは実にバラエティに富んでいます。日本でいう110、119番通報(北米では911ですが)がかかってくることもあります。最近、とみにビデオ・コールが増えてきていますが、ほとんど全部が病院からです。

広範囲のクライアントを相手に通訳しなければいけないわけですから、私たちも広く浅く英語のボキャブラリーを知っていなければなりません。当然ながら病院関係の医学用語はいくら勉強してもとてもじゃないが追いつけません。また、米国の健康保険制度はカナダと違って大変複雑でわかりにくいです。「パスワードを忘れたのでリセットをお願いします」という電話がよく日本人の顧客からかかってきますが、これなどはもっとも楽な部類に属します。

いずれにしても私たちは1回の着信音で相手に応答しなければなりません。どんなに難しい内容であっても、あるいはたやすいものであっても、私たちは快活に「Hello. Thank you for calling.」と口火を切らなくてはならないのです。電話通訳には一種の度胸が必要だと思っています。

即時対応が難しい言葉で頭が空白に

電話通訳は一種の同時通訳です。素早く応答しなければなりません。病気関連の場合、日本人の女性患者さんが「子宮筋腫」とか「子宮内膜症」「子宮腺筋症」などと日本語で病名を言われるとき、そういった私などにとってむずかしいものについては、こちらもある程度備えがしてあって、間髪を入れずというわけにはいきませんが、英語で看護師さんやドクターに伝えることができます。

ところが患者さんの口から私の想定外の言葉が出てきたときに思わず絶句というと大げさですが、しばし沈黙してしまうことがあります。たとえば、「ものもらいができちゃって」とか「足の裏にいぼみたいなのができちゃって」「昨日の朝、突然、ぎっくり腰になっちゃって」「傷のあとがかさぶたになっちゃった」などというのがその一例です。

それからよく出てくるのが日本語独特の痛みの表現です。「しくしく痛む」「ずきずき痛む」「頭がガンガン痛い」「虫歯がじんじん痛む」などなど。これらもすぐには対応する英語が思い当たらない例です。

こちらは病院コールで子宮腺筋症とか心筋梗塞、脳梗塞などの訳語の準備をしていると、日本語で何気なく日常的に使っている言葉が患者さんの口からぽろっと出てきて、私の頭の中が一瞬、空白状態になるってことがよくあるんです。こういった独特な日本語表現を適切に表す英語表現を勉強しておかなければいけないと戒めています。

しかしながら、電話通訳というのはいつ、どういうところから、どういう内容の電話が入ってくるかわからないという宿命を背負っていますから、事前の備え、予習、勉強といってもあまりにも広範囲でして、おのずと広く、浅くということになってしまうのはある程度やむをえないと思っています。

私の電話通訳の始まり

私がこの電話通訳という”業界”に首を突っ込んだのは今から12年ぐらい前のことです。最初の会社は今の会社ではなく、やはり米国の会社でしたがトロント市内にコールセンターを持っていて、そこに通訳者は皆、通っていました。時間ははっきり覚えていませんが、朝9時ぐらいから始まって午後5時ぐらいに終わるシフトとその後の夜のシフトがあり、全部で何人ぐらいいたでしょうか。たぶん100人ぐらいはいたと思います。私はずーっと朝からのシフトでした。

いろいろな国の言葉を電話通訳する仕事ゆえに、実にいろいろな国の同僚たちがいました。ミニ国連みたいな感じでした。この会社は2年ぐらいでつぶれてしまったのですが、この2年間にさまざまな国から来た人たちと友達になりました。多くの人たちと今でもFacebook でつながっています。ことに仲がよかったのがイラン人の P、クルド人の R、カザフスタン人の E で、この3人は何かとつるんでいてよく上司からにらまれていたものです。私は上司からにらまれるような振る舞いはしていませんでしたが、この3人組とはウマが合ってよくふざけていました。

同僚に韓国人の若い女性がいましたが、容姿端麗というか女優かモデルにでもなれそうな人でした。会社がつぶれたあと、彼女はカタール航空のフライトアテンダントになったと聞き、さもありなんと思いました。クルド人のR は その後トロント大学音楽部で学んで、今は作曲家になってがんばっているそうです。ブラジル人たちはやっぱり陽気ですね。

多くの人たちとの出会いがあり、電話通訳の基礎を学ばせてもらったということでこの会社での2年間は有益でした。さらに、ここの経験があったことで今の会社に採用されることになったわけですから、感謝、感謝です。

スコットランド・ヤードから電話

最近はあんまりかかって来なくなりましたが、英国の有名なスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁【メトロポリタン・ポリス・サービス】本部の一般呼称)からの電話を受けることがありました。私たちの会社の本社は米国西部にあり、英国にも支社があるのですが、時間帯などの関係で英国支社の方に日本語通訳がいないとこちらに回ってくることがあるのです。

ほかにも英国の病院などからかかってくることもありますが、英国流英語の発音にはあまり慣れていないので、聞き取るのに苦労することもよくあります。スコットランド・ヤードからの電話で多かったのは、日本人観光客がロンドン市内で歩いていて窃盗などの犯罪被害に遭い警察にリポートしたケースです。ほとんどの場合、一人で街中を歩いていたところを狙われたようです。

よくあったのは、二人組の男が近寄って来て私服の警察官を装い、警察官のバッジのようなものを見せ、「このあたりでスリの事件があったのであなたの財布の中身が大丈夫か調べたい」などと言って財布を出させ、調べるふりをしてクレジットカードなどを盗むといった手口のようでした。ほとんどの場合、日本人観光客はこういう人間が何を言っているかよくわからず、身振り手振りの指示に従ってしまうようです。

クレジットカード被害と言えば、以前はなぜかバルセロナが多かったような気がしますが、日本人観光客が財布を盗まれたとか、クレジットカードをだまし取られたといった電話がカード会社経由でよくかかってきました。ここ半年ぐらいはコロナ・パンデミックのせいでこういう電話はまったくかかって来なくなりましたが。

外科外来病棟にて

おとといでしたか、サンフランシスコの病院からのビデオ・コールが入りました。外科の外来病棟のようで、女性の研修医が前回のアポイントメント以来、変わったことはなかったかなど一通りの質問の後、初老の男性患者の担当医が来るまで待たされることになりました。

かなりの時間、待たされたのですが、研修医はビデオ・コールのデバイスをそのまま(患者さんを正面に映した状態)にして行ってしまったので、私と患者さんは面と向かったままでした。実は、そのために私は少し助かりました。というのは、彼の病名について研修医は早口でペラペラと患者さんに言ったのです。彼ら同士はたぶん何度も話していることなので、すぐわかるのでしょうが、私にとっては初耳の病名で全然、分からずにいたのでした。

それで、モニターの画面上でお互いに顔を見つめ合っているわけですから、私の方から「ごめんなさい。あなたの病名を聞き取ることができなかったのですが、どういう病名ですか」と尋ねたのです。彼の方でも英語の病名は定かではなかったようで、紙に書いた日本語の病名をモニターに近づけてみせてくれました。「脊柱管狭窄症」と書いてありました。私が即応できるような生易しい病名ではありません。調べましたら spinal canal stenosis とありました。あとで研修医が戻ってきたときに「彼の病名は spinal canal stenosis ですね」と念押しをしたら、「そうです。そのとおりです」と言ってくれました。

この男性患者は寿司シェフを長くやってきている人で、「一日中、立って仕事をしている人で、この病気にかかる人が多いみたいです。同業者の中に何人もいますよ」と言っていました。「今はコロナのためにお店を閉めたままで、その分、痛みが和らいでいますが、このままでは将来がどうなるのか。。。。」と不安そうでした。現にオーナーシェフの知り合いの日本人は店をたたんでしまったと言っていました。 

最近、悩まされたある事例

先ごろ入ってきたビデオ・コールでしたが、私はこの事例での私が放った言葉の重さというか、後悔というか、未だに自分の心がすっきりしないままの状態が続いています。

ある病院からでしたが(ビデオ・コールはまず95%以上、病院やクリニックなどからかかってきます)、患者は日本人の少女でした。モニター上には患者は全然、写らず、私が面と向かって話したのは男性の医師と患者のお母さんでした。医師は「血液検査の結果、お嬢さんは lupus (ルーパス)にかかっている可能性があるので、これからさらに各種の検査をして確認をする必要があります」と、私から見ると淡々とではありますが、決して軽々しい言い方をされた感じではありませんでした。

通訳としては、本来、医師が話したことをそのまま日本語に訳してお母さんに伝えるわけですが、ここでまず問題なのは、ルーパスと英語で言ってももちろんお分かりにならないと思われますし、この病気の日本語訳は 狼瘡(ろうそう)なのですが、まずほとんどの人は 「ろうそう」と言われても何のことだか分からないと思います。私自身も日本語の「ろうそう」は英語のルーパスであり、慢性の皮膚病の一種であることぐらいしかわかりません。

私の場合、たまたま友人の奥さんがルーパスにかかったと聞いていたので、それが慢性的な皮膚病で簡単なものではないということも知っていたのです。それで患者のお母さんに「お嬢さんは血液検査の結果、日本語で言う狼瘡にかかっている可能性があるので。。。。」と話しました。予測通りお母さんはその病名を聞いてもそれがどういうものなのかお分かりにならないようでした。それで私はつい、「狼瘡というのは重い皮膚病の一で。。。。」と言ってしまったのです。途端にお母さんの表情が一変したのが分かりました。

ルーパスという病名を調べますと、「組織の破壊の激しい慢性の皮膚病」などと書かれてあり、間違いなく重い皮膚病で、私が言ったことは違ってはいないのですが、医師は「重い」とは言っていなかったのです。私は医師も同じことを言っていましたが、「今の段階では、あくまでもそういう可能性があるということなので、これからさらに各種の検査をして確認をしていく」ということを何度も強調してお話ししました。

今でも迷っています。私はただ医師がお母さんに告げたように「ルーパス(狼瘡)にかかっている可能性がある。。。。」とだけ言えばよかったのか。ルーパスがどういうものなのかの一端を「重い」と伝えてしまったのは、決して間違いではないけれど良かったのか。。。。理想的なシナリオはお母さんが「ルーパスっていったいどんな病気なんですか?」と医師に訊ねることかも知れませんが、まだそう決まったわけではない段階では、たぶん医師もお母さんを不安がらせないために、それなりの応答をするのではないかと思います。とにかく、難しい問題です。





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