『昼想夜夢』新譜レポート

本記事は2021年9月15日に同作者によって別プラットフォームに投稿されたレポートです。


このレポートはカノエラナのアルバム「昼想夜夢」を聴いたことによって私よしてぃーが感じた事柄をまとめたものになっております。

読む上での注意事項としては「人の解釈を受け入れない人はブラウザバックを推奨しております。」

また、便宜上断定的な表現などを用いていることもありますが、あくまで文章の都合で行っていることですので、ご了承ください。
本レポートは【⠀】記号以下の部分が曲がフルで公開される前の事前イメージなどについて、『』記号以下の部分がフルを聴いた上での個人的解釈及び感想となっております。
大変長いレポートになっておりますので、全て読むのはたいへん時間がかかります。したがって気になる曲など、部分的にピックアップして読むことをオススメしております。

もちろん全て読んでいただけると大変嬉しい次第でございますが、それに伴う精神的疲労などの苦情につきましては対応しかねますのでご了承ください。(どぎついことは書いていないつもりです。)

読了後の感想や指摘などございましたら投稿ツイートのリプ欄やDMに承っております。よろしくお願い致します。
それでは、ごゆっくり。


お品書き

・有
・落下予測地点及び脱出策
・愛 ill?
・それでもなお、そめ続ける
・言葉遊びはいとおかし
・簡単に理解るなら大人なんでしょう
・How complicated these mines are!
・それでも生きなきゃいけない。
・無


-prologue-

【⠀ 】
生み出す世界観や描かれるテーマの多様さでもよく知られる彼女であるからこそ、このような「コンセプトアルバム」と称した作品はある種の挑戦と言っていいだろう。一ファンとして、ある程度「近しい世界観を持つ曲」がいくつかあると感じている次第ではあるものの、アルバムとなるとその流れや展開などを通していく必要がある。その上での遊び心や技巧を凝らすとなると、さらにそのハードルは上がると言える。
つまり本作は彼女のセンス及び才能に加え、音楽スタイル故により難しいタイプの作品になったのでは無いかと考える。

『 』
こういったアルバムでの入口出口の役割を担う立ち位置はインスト形式の物が多い中、セリフを織り交ぜたパートで始まっていく。これは聴き手に対して「今からこういうことをするんだ」と意思表明をすることを意味し、非常に解釈に役立つと言えるだろう。

ここでは、7つの物語を届けよう。どう足掻いても、何度も道を歩いてもその次元の中へは踏み込んでいけないからこそ、溢れ出る感情をここに作り上げて運命を刻む。悲劇にも、喜劇にもなるヒロイン達を、ここに記す。


・open the door

【事前知識】
正直な感想、と言えば地味な曲と言うべきだろうか。これは全くもって悪口ではなく、他の個性に際立ち上がった曲々を見ると霞んでしまうと言ったものである。プレーンでも美味しいけどチョコやカスタード、ストロベリーたちはめちゃくちゃ美味しいしな。といった具合である。アコースティック長の中に不敵な笑みが浮かび上がっているような、湿気を伴ったナメクジの如く這い寄りを魅せている印象を持っていた。

『落下予測地点及び脱出策』
湿らしく滑らかな英語パートによって初めの物語は扉を開ける。その中へと入っていく男女。取り巻きは騒がしく、2人はやむなくその世界へと足を踏み入れる。浮遊感の中、浮き足立ったままノックによるフックで私たちを掴みあげる。この駆け落ちか、はたまた異性不純交遊か、とはいえ意志の硬さと緩急の衝動性とが同居していると言えるだろう。ここでのiとは当然虚数iではなく、愛と頭文字iのダブルミーニングだろう。ではiとは、identityか、はたまたそれ以外か。自己の確立、私とはなにか、私のことは私が決める。そんな証明や叫び、I cry.

スっとこのまま全てが終わってしまうような
静けさが意味するのは何か、今、この瞬間の意味が崩壊するそんな予感すらする。だからこそ、この道を「2人」で夢から戻らねばならないと言うのだろう。


・人喰い狼とエリーゼ

【偵察結果】
異常なし。言わずと知れた人気曲。どこかにあったとあるお話をモチーフに作られた曲であり、カノエラナという存在のヲタクの節も感じることが出来る楽曲。カノエ氏の趣味の領域は留まることを知らず、オスマン帝国の軍人も驚きを隠せないほどである。葉状脈ののように張り巡らされているにも関わらず細く強いそれは楽曲の世界観を壊すことなく、また多彩なアレンジが既に披露されていることから、音源化のハードルも上がっていると言えるのではないだろうか。

『愛 ill?』
「エリーゼのために」は言わずとしれた名曲であるが、いずれこれも朽ち絶えてしまうのだろうか。などと思ってしまうこともある。

木管楽器の特徴的な音が耳に入って来る。サビ部分は半音を存分に活用することでこれまでにツイキャスなどの配信で歌っていたメロディからの離脱を図っている(複数箇所あるが特に「全てのべ」など)。これも物語性の強調にもなるだろうか。アレンジの幅が広いが故の表現の仕方に違いない。ここではファンタジーとリアルのWOW I (water-oil war I)とでも呼ぼう。

後半の無音時間は間を創出し、メリハリを意識させているか。こちらは先程とまた変わり、異種恋愛を扱う。真骨頂は「助けに来たと差し伸べた手を食いちぎった」だろうか。誰に「助けを差し伸べた」のか、誰が「食いちぎった」のか、よく読めばしっかりと意味が分かり、味がしっかりと出てきている。大サビでさらに音程をずらすことでそのような劇的な展開を示唆している。


・仮初めの心臓

【An error in the mirror】
未発表曲枠。以前この「仮初」という言葉をハンドルネームの一部に組み込んでいたこともあるほどこの言葉の成り立ちやフォルムに良さを覚えている。そこに合わさるは心臓。生命の核であり、爆弾。それが意図するものは何かを考えるよりは耳にした方がはやいだろう。なんとなく某ペットボトル系SSWの香りを感じたような気もするが、トレーラーはカノエ氏自身の概念を壊しただけであり、始まりはここからである。

『それでもなお、そめ続ける』
聞き覚えのある初めのメロディで始まる。やはり全体を通して楽曲や作品をなぞらえているのか、と思わせられる。音楽の授業で聞いた事のあるような気にさせられる。が思い出せない。この流れるようにサビに入っていく様は非常に冷徹かつ激情的であるように感じる。であるが故に気がつけばサビがもう終わっている、そんな曲。

ここまで全て愛の形を扱っている辺り、コンセプトにも関連しているだろうか、愛の物語とでも仮に置いておこう。ここでは「あなたの唯片方で」「朝を迎えたかった 唯それだけ」というように都合のいい関係性が垣間見えるか。

「ガラスの靴など食べてしまった」「皮膚が鱗に戻る」など童話の側面を見せながらも、この中盤で「夢での幸せ」と「現実での非情さ」の狭間で揺れ、葛藤している様な印象を受ける。だからこそ、仮初め、物語を見ている「仮初の」私、せめてそこにいようとするモブでもなんでもいい私の、動いているようで動いていない心臓は在り続ける。それ以上でも、以下でもない。


・月光のトロイメライ

【道標、赤い、軽い。】
光、ジョロウグモ、めろめろ、きみとぼくとあめ。こう並べるとわかりやすい、nana出身の面々。多くのファンから音源化を望まれる中でトロイメライが中途採用で内定を勝ち取った。9月入社ということもあり、準備に追われているに違いないが、学生とは思えない着こなしのスーツで我々の前に登壇した彼の姿に驚いた人も多いだろう。元々の世界観を新調して再構成したトレーラーでの様は見るものを圧倒し、事実私もその評価を一気にあげるきっかけにされた。

『言葉遊びはいとおかし』
ここまでのアコースティックテイストは想定外である。こうなってくると、いよいよこの曲こそむしろこのアルバムのメインコンセプトに最も寄り添っているのではないかとまで感じる。アコギに筋を通して正々堂々ストレートボールで勝負をしに来ている。最もメルヘンで、純粋な曲。

ああ ららるるらん
これで全部解決してしまいたい限りである。
都合の悪いことあったらこれで済ませたい

ex.)
「もしもし、よしてぃーくん?」
「はい?」
「この授業の課題どんな感じでやったらいいかな」
「あー、まあなんとなくでいけるよ」
「え、それってどういういm」
「ああ ららるるらん」
あばばばばばばばばばば〜

失礼致しました、偏差値0ヲタクが出てしまいました。

さて、ここでの愛は少女の恋だ。いずれ成る愛。

「the moon is beautiful.」

月が綺麗ですね
あなたを思って仰ぐ夜空は、こんなにも暗く眩しい。この胸の高鳴りをもってしても、流れてしまうことは無いの。

そんな気持ちだからこそ、真っ直ぐと、語尾のや音の伸ばし方にこだわりを感じる。伸びやかにまっすぐ、北海道の道路にメープルシロップを垂らしたように。この曲でもサッと幕引きをする。長々と引き伸ばすのではなく、締めるところはきちんと閉めておく。


・アリスは夢を見ることが出来ない

【未だ見ぬ夢、示さるること勿かれ】
未発表曲枠。新規開拓と言うべきか、内なる世界線と言うべきか。コンセプトアルバムということもあって「アリス」の名を冠する楽曲も入っているのは興味深い。とはいえ公開前の今はまだこの曲について言えることがほとんど無いため、ただ注目して見届けたい次第である。

『簡単に理解るなら大人なんでしょう』
私たちは何をどうしようにも大人になることを逃れられない。ある意味では全員に等しく与えられた切符であるが、それを好意的に受け取らない人も多い。この主人公もそこまで極端では無いものの、どうしても受け入れきれない部分を持っている。ライオンは、兎は、水面に浮かぶ蓮には、そんなものはないのに。そう思う私の子供のままなのでしょうか、なんて思ってしまう。そんな私のことを想ってしまう、ヒトもいる。

語呂や韻による言葉遊びが多い辺りやはり大人の側面も感じられるし、ビートがとても映える曲になっている。バンド編でも化ける。
不思議の国のアリスのアリスとは似ても似つかない性質の描写がされているが、そういう主人公であるが故にそもそもの「愛」を上手く汲み取れていない。愛を上手く汲み取れていない愛の歌。愛を知らないからこそ、そうなったのか、これは堂々巡り。でもだからこそ、難解で何回も聴かないといけない。は?


・夢日記

【伝達事項に飾りを付けて。】
楽曲の再録、については様々な考え方があるが、そのひとつとして挙げられるのがリアレンジであると考える。そのまま流用というスタイルも多くあるが、そうではなく、別視点や別の立ち位置から見た楽曲の味を演出することができる手法だろう。こういった際に起こりうるのは再録前か後、どちらが好みかといった問題である。彼女のトレーラーが示した答えは、解法①と解法②にすぎないのだよう。

『How complicated these mines are!』
ゲーム音と言われても疑問は抱かないようなメロディから曲は始まる



肝心な部分はしっかりと鍵盤音を忘れないまま生きている。元の形と変えていく部分のメリハリがしっかりとあるが、サビ前にはどことなくダル着のような雰囲気が漂い、パジャマテイスティングにも感じられる。本作では珍しくベースが際立つチューン、いや、ここではデューン、ベンッベンッ。

ここでも先程同様浮遊感が多く演出されており、コンセプトもかなり見えてきている。それにしてもハモリの引き出しが多い。

「I I 曖昧」

私の愛はどういうものか、果たしてわかる日がくるのか。それは誰のものか、私のものか、否、あなたのものか。どこにあるか、私のものだと思っていた。探しに出てみたけれど、色々みるとやっぱりその姿は伺えなくて、どこにいるか分からなくなってしまうの。


・愛でたしめでた死

【信号は途切れる、しかし繰り返す】
個人的には再注目曲といって差し支えない一曲。このような生命の生死を扱うテーマの曲は解釈しがいがあり、またその幅も非常に広いと考えられる。輪廻転生や死生観など、各々が持つ価値観を十分に感じることに加えて、ではそれを踏まえて何をするのか、何を添えるのか、何を問うのかなど、命題が隠れる場所を許さない。だからこそ知りたいのですと言わんばかりに齧り付く。そんな所でこの記述は途切れている。

『それでも生きなきゃいけない。』
これがタイトルのついた最後の曲。映像作品のエンディングにも相応しいような曲と言って差し支えないだろう。まさにこのような雰囲気は〜ごめんなさい考察全部放棄しますけどくっそいいです語彙力全部飛ばして申し訳ないですけどすこすこのすこぉ!です。声が漏れました。

失礼致しました。偏差値0ヲタクが出てしまいました。

さて、ここで全体像をまとめると、それぞれ結末が違う物語、結末の違う愛が曲になっていて、それぞれの主人公は曲ごとに違う。だからこそ、それを歌うカノエラナやリスナーの私たちは「あくまでここでは」主人公ではないのです。聴いている「第三者」としてカノエラナが感じたことを同じように感じるように今音楽を聴かされている。

モノクロの世界に色をつけてくれた、恋をくれた人。ここまで色んな話があった、どれもこれも私とはかけ離れているようだったけど、ようやくここで私のお話。フィクションの世界はどれも大それていて感情移入こそできるものの現実味がなくて、そんな自分でも得られるものがあるんだと。この曲の主人公も私たち目線で作品を見ていた、中世の作品を現代の子供が見ているような、そんな感覚。

だけど、自分自身はただ楽しませてくれる、楽しんでくれる道化師だっただけで、特別なものでは無い、娯楽だと。王子様とはそもそも、いる場所が違ったと。それが現実の非情さであり、ここで表す必要がある結末。夢と現実、フィクションとノンフィクションの対比、そんな世界にいるけど、名前を呼ぶ人がいるからそろそろ戻らないといけないかな。


-epilogue-

【】
始まりがあれば終わりがあるように、本作も形式上はここで終わりとなっている。しかしながら、終わりがあればまた始まるようにある種永遠に先には進めない、ないしは永遠に歩き続けることが出来る仕組みになっている。だからこそ理論に物を言わせることが出来るモノは全て円形であり、回り続ける。昨今ではアルバムを順番通りに聴くという文化も薄れてきてしまった。だからこそ、こういったコンセプトアルバムは作者の意図や流れをより適切に汲む上で「記号」の意味を教えてくれるであろう。老害21歳としてはその文化の兆しを見ることだけでも嬉しい限りである。あなたの生年月日や出席番号、背の順、漢字の画数など、その全てにも意味があるのかもしれない。

『』
開いた扉はここで閉まる。閉める。
時間は限りなく長く見えるものの、有限であるから。

でもこの喉さえあれば歌うことはできるし、私たちもまた聴くことができる。

再生ボタンを押せば、再び幕はあがる。


最後まで、ありがとうございました。

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