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好奇心で広がった新しい世界【NFL挑戦を振り返って】

今回は私自身のNFL挑戦を振り返ってみます。次回はJapan Kicking Academyの設立〜現在についてもお伝えします!


■NFL挑戦の経緯

JKA代表の丸田と私は2012~2015年までNFLや北米のプロリーグへの挑戦をしていました(合わせた訳ではなく、偶然時期が重なりました)。

<私の簡単な経歴>
1988年生まれ。愛知県豊川市出身。中央大学入学と同時にアメフトを始める(高校まではサッカー)。大学卒業後はアサヒビールシルバースターに入団。2012年夏に当時勤めていた専門商社を辞め、NFLに挑戦。2012年・2014年はNFL Super Regional Combineに日本人で唯一招待される。NFL挑戦中は現地のコミュニティに飛び込み、NFL経験者も含めて多くのコーチや選手から学ぶ。2016年引退。現在は学校教材会社にて、「スポーツ」を中心とした教育コンテンツのプロデュースを行っている。

全てのきっかけとなったのは、2011年冬に行われたNFL Japan Combine。興味本位で参加したのですが、合格してしまいました。

続いて、現地の一次選考会であるNFL Regional Combineも通過し、NFL Super Regional Combineに招待されました。

2012年の4月にDetroit LionsのホームスタジアムであるFord Fieldで行われたコンバイン。

当時のNFL Japanの方はTV局も同行してくれましたが、私は能力的にも精神的にも全然ダメで、結果は全く良い結果を残すことはできませんでした。

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※左にいるのは現Dallas CowboysのGreg Zuerlein選手。右はGiorgio Tavecchio選手。

ただ、そこで1つ気づいたことがありました。

「自分とアメリカ人選手の蹴り方が全然違う」

ということです。

そして自分も「本場の技術」を学ぶことが出来れば、現在の差を埋められるのではないか、と感じました。ここが本格的にNFLに挑戦することを決意したきっかけです。

まずは、その時の参加選手たちにFacebookで友達になってもらいました。

帰国してからは彼らに練習方法などを教えてもらうところからスタート。(この時いちばん丁寧に質問に答えてくれたのは、後にOakland RaidersやAtlanta Falconsで活躍することになるGiorgio Tavecchio選手でした)。

そして2012年夏には当時勤めていた会社を辞め、渡米に向けた準備をスタートしました。

■Tampaでの日々

渡米して最初に住むことになったのはFlorida州のTampaでした。

渡米数日前まで、家も決まっていない様な状態でしたが、本当にいろいろな方に助けて頂き、住む場所もトレーニングの環境もすぐに整えることができました。

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Tampaでは
・室内フットボールのプロリーグ
(Arena Football League)
・独立リーグのトライアウト、
・NFLスカウトも参加するコンバイン
に向けて準備を始めました。

■Michael Hustedコーチとの出会い

初めて本格的なパーソナルレッスンを受ける。渡米して1か月ほど経った頃、今度は全米でも有数のコーチで、今は皆さんご存知のMichael HustedコーチのいるCalifornia州San Diegoへ向かいました。

きっかけは当時日本でお世話になっていたトレーナーさんが、元NFLのタンパベイ・バッカニアーズのヘッドトレーナーだったMark Asanovich氏の知り合いだったこと。

その当時の教え子に有名なキッカーコーチがいるということでご紹介頂きました。それがMichaelコーチです。

最初はMichaelコーチが何者かもよく分かっておらず、とりあえずレッスンを受けにいってみた感じでした。しかし、レッスンを受けて、自分の中で確信が持てたことがありました。

それは「キックは技術」ということです。動画等も上手く活用し、自分のキックとNFL選手のキックは何が違うのか、コーチからの丁寧な指導。

「これを身に付ければ、NFL選手に追い付けるかもしれない」

と、コーチとの出会いをきっかけに強く思うことが出来ました。

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※レッスン時の様子。

この出会いが無ければ、Japan Kicking Academyも無かったかもしれません。

ただ2012年の段階では、Michaelコーチのレッスンは2日間単発で受けただけでした。

■プロフットボールの世界へ

その後はTampaに戻り、前述したトライアウトへの挑戦をしていました。独立リーグで契約。しかし、ビザの関係で試合には出場できず。様々な形態があったのですが、合計10個近くのトライアウトに参加。

その中で、独立リーグのLakeland Raidersというチームのトライアウトに合格することが出来ました。

自分以外はほぼ黒人選手。「あいつは何者なんだ」と思われていたと思います。

こういう環境の中で、「別に人気者になる訳ではないけど、自然に仲間に入り込む」という技術を学びました(笑)アリーナフットボールはゴールポストの幅がアメフトの半分です。

FGの精度がより求められていましたが、練習でもある程度結果を残すことが出来ました。

また、練習の他にも、ファンイベントへの参加、小学校への出張授業など、“プロスポーツ選手”っぽい活動もさせてもらいました。

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※ホームアリーナで開催されたファンイベントの様子。

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※ミニキャンプの練習風景。

ただ、曖昧になっていたのは“ビザ”に関する部分。シーズン開幕前にリーグへ提出する書類で、ビザを持っていない自分は試合への出場資格が無いことが判明。

そして結局練習には参加できても、試合に出ることは出来ませんでした。

「どんなリーグでもいいから、アメリカでプロの試合に出場したい」と思っていたので当時は相当悔しかったです。

しかし、この時の経験は自分の人生にとっては、かけがえのないものになりました。Lakeland Raidersには感謝です。

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また別の時期には、当時のAFLの強豪チームであるTampa Bay Stormというプロチームにも2日間練習参加をさせてもらいました。

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それもプロフットボールという世界を垣間見る良い機会になりました。

Tampaではアメフトだけでなく、
・他のスポーツで活躍する
 日本人アスリートとの出会い、
・アメリカ軍の病院でのボランティア
・移民の為の英語教室に無理やり参加させてもらう
など、貴重な経験をさせてもらいました。

しかし「キックを学ぶ」という点では、Tampaという土地に住む意味はあまり無く、拠点をMichaelコーチの住むSan Diegoへ移すことを決意します。

正確にいうと当時アメリカで活躍をしていた日本人のプロサッカー選手に「お前はサンディエゴに行ったほうがいい」と言われたことが大きく影響しました。

長いので、次回に続きます!



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