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自分の頑張りやつらさに蓋をしない

「頑張り」や「つらさ」を他人と比較してしまうことがある。

「あの人の方が長時間頑張っている」
「あの人の方が私よりつらい」
と他人と比較して、自分の頑張りやつらさに蓋をしてしまうことはないだろうか。
私は結構ある。

こんな風な考えが習慣になっていると本当につらいときに抱え込んでしまって周りにヘルプが出せず、自分を犠牲にしてしまう。追い込んでしまう。

頑張っているとき、つらいときは人との比較ではなく、
自分基準で堂々と頑張っている、つらいと言いたい。

家族や上司など身近な人にすぐに腹を割って相談できれば良いが、
「迷惑かも」と思うとなかなか踏み出せない場合もある。

そこで、オン(仕事)でもオフ(プライベート)でもない、第3の場所に相談してみるとよい。

行政の悩み解決の窓口やコーチングを受けてみるなど。
私は、ヨガの哲学に基づいた実践型セミナーに参加することで相談が出来た。
参加者のメンバの前でつらいことをさらけ出し、泣いた。

一度、"利害関係のないところへ相談する"というプロセスを通じ、本当に言わなければいけない身近な家族や仕事の上司に言うことが出来た。

嗚咽と共に吐き出したことで肩の荷が下りた。

理想は 家族に相談→上司にも相談 かもしれない。
難しい場合は 第3の場所へ相談→打ち明けることへの勇気をもらう→家族や上司に相談 という感じ。

時間もお金もかかり、回り道のようにも思うけど、勇気が出た。嗚咽と共に泣いて吐き出すことをプロが導いてくれる

利害関係が薄い人の前で泣いて自分が頑張ったこと、つらかったことを話すと楽になる、なぜか勇気がでる。

その後も第3の場所が自分の居場所になり、オンもオフも蓋をせずに生きれる気がしている。

“要は、自分の行動が「頑張り」に値するものだと思っていなかったのだ。役所でふいにかけられた言葉で、私はようやく自分の状況を理解した。 私はつらかった。そして頑張っていた。 涙が止むと、肩の荷が降りたかのような気持ちになった。 父は無事「要支援1」となり、今では週に1度の掃除サービスを受けている。父は新しい服を着てくれるようになったし、私は高齢者がうけるべき福祉サービスを把握できるようになった。もちろん、今でも度々口論になるものの、困ったら相談できる窓口があることを知っていれば、気持ちに余裕が生まれる。 この手の話をすると、「1人で抱え込まないで」というアドバイスが思い浮かぶが、「人様に迷惑をかけている」という自己認識がデフォルトで設定されている人間には、効力を発揮しない。「つらくなったら誰かに助けを求めたほうがいい」ことはわかっていても、自分が「つらい状況」だと認識していなければ、その発想がわかないのだ。 振り返れば、適応障害で休職した際も、なかなか助けを求められなかったのを思い出す。友だちにも愚痴を言ってたし、相談もしていたし、なんならTwitterに日々の苦難を書き綴っており、ガス抜きができていると思っていた。けれども、ギリギリの状態になるまで、産業医面談を設定したり、心療内科に行ったりという具体的な行動には出られなかった。「つらさ」に自信がもてなかったのだ。「もっとつらい人がいるのに」とか「迷惑をかけているのに」という考えは、無意識的で強制力がある。 いつ自分が「つらさに蓋をしてしまう」かわからない。そんなときのために、自分にむけてアドバイスを残しておこう。つらいという感情は、誰かと比較できない。私がつらいと思ったら、それがすべてなのだ。 身近な人に相談するのも手段ではあるけれど、「迷惑をかけたくない」という気持ちもわく。そういうときこそ、自分とは全然関係ない自治体や組織の門を叩いてみると思いのほか、解決の糸口が見つかる。1人で何とかできる問題は、意外と少ない。そうでなければ、この広大な社会は回らないはずだ。”
平日の夕方、役所のトイレで泣いてしまった/嘉島唯さんのnoteより

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