「見るべきは、ここ!」

独断と偏見の美術展レポート1
特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」

6月16日から9月3日まで、上野の東博で特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」が開催中である。マヤ、アステカを聞いたことあるけど、テオティワカンとは初耳。一体何かと、ググってみると<紀元前2世紀から6世紀まで繁栄した、テオティワカン文明の中心となった宗教都市遺跡>とのこと。マヤ、アステカよりも昔、計画的につくられた、人やモノが集まる巨大都市だったらしい。いまの北米大陸なら、ニューヨークあたりかと思いながら展示会場に。なんと音声ガイドは、あの上白石萌音が扮する娘と、男性の声優が扮する「雨の神」との掛け合いでナビゲートしてくれる。

最初に目にするのは巨大モニターによるピラミッド

《太陽のピラミッド》テオティワカン文明

さて、まずはテオティワカン文明。巨大モニターで発掘された遺構が映され、この都市には「死者の大通り」という大通りと「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「羽毛の蛇ピラミッド」という3つのピラミッドがあった、らしい。太陽と月も宗教的な意味があるのだろう。ただ、ピラミッドを飾った巨大な石像も羽毛の蛇神とあるが、この羽毛のある蛇とは何ぞや。またまた疑問が浮かぶ。ここでもグーグル先生登場。これは古代メキシコの神さんで文化や農耕、風の神とも考えられていたらしい。さまざまな出土品を見ても文化の高さが想像できるが、ここで見ておきたいのが「死のディスク石彫」。これは「太陽のピラミッド」で出土したもの。どくろの周りに放射状の線が彫り込まれ、どくろの口からは「アッカンベー」とばかり舌が伸びている。どくろは死を表し、放射状の線は太陽光線、つまり朝日であり再生を意味しているみたい。この巨大なモニュメントは嫌でも目に入るし、しっかり見ておきたい。1500年以上前の人たちの死生観が凝縮されているようだ。死の向こうには、必ず新しい生があるのだ、なんてね。

《死のディスク石彫》

「赤の女王」登場!

次は、マヤ文明。おお!薄暗い中に、赤い空間が浮かび上がってくる。その赤い部屋の中にガラスに包まれた棺がひとつ。これは恐れ多くも、マヤの都市国家パレンケ、その最盛期のパカル王の御妃さまのお墓を模したものである。御妃さまは赤い辰砂(硫化水銀、日本では丹と呼ばれた)に覆われて見つかった。それで「赤の女王」と名付けられたそうな。マネキンにマスクや冠、胸飾りなどの装飾品をつけ、発掘当時を再現したものが展示されている。この「赤の女王」は1300年くらい前に亡くなった方。よもや、この東方の地で衆目にさらされようとは…、お労しい。間近で拝見すると、ずい分小柄な方だったようだ。

《赤の女王のマスク・冠・首飾り》

軍事強国アステカの運命

アステカ文明は、だいぶ現代に近づく。500年くらい前といえば、我が国は戦国時代。彼の国も戦乱に明け暮れたらしい。そんなアステカ文明を象徴するのが「鷲の戦士像」。兜が鷲の頭、袖が鷲の羽のような戦士がすくっと立って身構えている。凛々しい顔つきは、アステカが強国として君臨していた頃のものか。
しかし、どんなに軍備を拡張して他国を従えても、当時の覇権国であるスペイン人に蹂躙されてしまう。今の複雑すぎる地政学やらと比較すべくもないが、我が国の将来も少し案ぜられるのではないか‥

《鷲の戦士像》

駆け足で巡る紀元前15世紀から後16世紀までのメキシコ。スペイン侵攻まで、約3000年にわたって続いた古代文明。そこには計算された造形美や暦、文字など、エジプトやメソポタミア、インダス、黄河に負けない文明の足跡が残っていた。何とボールゲームもあったのだ。
日本からは遠い中南米の地の古代文明を知ることによって、令和のぼやぼやしてると戦前と言われかねない私たちに、得られることは少なくはないだろう。


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