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患者会の意義

日本社会の高齢化や人口減少が進むのと並行して、患者会の高齢化と会員数の減少が進んでいる。AS友の会も高齢化が進み、20〜30代の会員は少ない。会員数は微増を続け400名を超えたが、有病率から推計される8,000~9,000名の国内患者数の5%程度しか組織化できていない。

ここで、改めて患者会の意義を考えてみたい。

古くは、日本の患者運動の先駆者である長宏氏はその著書「患者運動」の中で、患者会の役割を次のように述べている

病気の科学的な把握 ー病気の自覚ー
病気と闘う気概 ー病気の社会性の認識ー
病気と闘う条件整備 ー療養条件の改善整備ー

また、一般社団法人日本難病・疾病団体協議会理事会の伊藤たてお氏は、「患者会の活動と難病法(難病の患者に対する医療等に関する法律)の成立への関わり」の中で、患者会の役割を次のように記している。

自分の病気を正しく知る(病気を科学的に把握しよう)
患者・家族が励まし合い,助け合う(病気に負けないように)
病気であっても希望をもって生きられる社会を目指すこと(本当の福祉社会を作ろう)

両者に共通する患者会の役割は、病気の理解と社会変革の2つである。昨今のインターネットやソーシャル・ネットワーキング・サービスの普及に伴い、病気を理解するための情報を得ることも、社会に対して訴えかけることも、格段に容易になったと言える。

とすれば、今後、患者会は不要なのだろうか。患者1人ひとりが、疾患理解や社会変革に向けて、努力をすれば良いのだろうか。

正直なところ、私は患者会に参加して1〜2年目は、患者会の意義が良く分からなかった。情報なら、インターネットからでも、知り合いからでも取れるし、社会に対する働きかけなんて、何も自分がやらなくても良いじゃないか、といった感じであった。

しかし、年に1回の総会や支部会に参加し、年齢や職業が異なっても、経験した者でなければ分からない激しい痛みを共に経験し、先の見えない環境に置かれている患者仲間と、日々の利害関係を超えた対話を重ね、1人ひとりが精一杯に生きている様を見るにつけ、妙な帰属意識を覚えるようになった。誤解の無いように付け加えるべきは、この対話は、決して傷のなめ合いではなく、お互いを尊重しつつ、相手に伝えたいことは伝えるような対話である。そして、この帰属意識が、何とかなるさといった安心感や、社会への理解を求めていこうという連帯感につながってきた。
また、2018年に広州で開催された国際患者会の総会で、中国の患者会の役員が、「自分は患者の代表として、人生を全うしている姿を他の患者に見せることによって、勇気と希望を与えたい。」という趣旨の発言をされていたのを聞き、患者会という組織の意義を痛感させられた。

結局のところ、患者1人でも何とかなる世の中にはなったが、より充実した人生を歩むために、また生きやすい社会を創るためには、患者会というゆるいつながりに支えられ、安心感と連帯感を持って生きていく方が、楽なのだと思う。

患者会にも色々な雰囲気の患者会があるが、少なくとも日本AS友の会は、患者同士がゆるくつながり、安心感と連帯感をもって、1人ひとりが明日への活力を養えるような場であり続けたい。

<謝辞>患者会のゆる〜いつながりのイメージを探していたところ、ちーぼーさんのカフェのイメージ写真に出会いました。ハートが描かれたコーヒーカップが4つ。ハートフルな会話が聴こえてきませんか?素敵な写真を有難うございます。
実際の患者会の懇親会は、もっとエネジェネティックですが、温かい心があふれています。

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