Step#43|勝つためにすべてを尽くす
世界の本塁打王、王貞治さんの
『もっと遠くへ(私の履歴書)』を
読みました。
歩みは困難の連続ですが、
そうした時に何を考え、
どう行動したかに焦点を当て、
言葉を拾ってみました。
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私の人生の節目、
節目の決断の判断基準になったのは
「人に不義理をしてはいけない」
という父の教えであった。
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荒川さんのすごかったのは言葉の力だ。
ほぼ洗脳に近いというか、
荒川さんはとにかく、
ありえないことを口にしつつ
「これさえやっていれば間違いない」と
思わせてくれた。
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プロの世界では理論が大事だが、
指導者はそれだけ
持っていてもダメで、
人をその気にさせる
言葉の力が必要だとつくづく思う。
「オレについてくれば間違いないんだ」
という確信を持ち、
選手に一分の疑いもなく信じこませる力。
語弊はあるかもしれないが、
スポーツの指導者にはそういう
教祖様的な強さが必要だと思う。
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「100人のうち99人喜んでも、
1人が泣くなら、
それはやってはいけないことなんだよ」
たとえよかれと思ったことでも、
人に迷惑がかかるくらいなら
何もしない方がまだいい、というのだ。
これもなるべく波風立てぬように、
人を悲しませることがないようにと
生きてきた父らしい考え方だ。
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756号を打った瞬間、万歳をした。
しかし、
私はすぐに相手の鈴木のことが気になり、
一塁を回ったところでマウンドを見やった。
勝負の世界に生きる者同士、
お互いにつらさもわかる。
1打席目の四球で、
今でいうブーイングに近い
ため息がわきおこった。
後楽園球場は記録への期待一色だったから、
相手の鈴木も捕手の八重樫も
大変だろうなと思った。
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私は評論家という仕事を
潔しとしない、と書いた。
解説はしょせん、他人のやっていること、
自分では責任が負えないことに
理屈をつける仕事だ。
講演をするといっても
それは過ぎ去った昔の話だ。
私の性分にそれは合わない。
野球の現場に身を置くということは
「今」を生きるということ、
どうなるかわからない未来に
チャレンジするということだ。
ユニホームを着ていれば
勝つこともあるし、負けることもある。
楽しいことばかりではなく、
悔しいことの方が多いかもしれないが、
少なくとも自分で責任を負い、
自分で勝負できるのだ。
そこにしか私の生きる道はないと思った。
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打つためならなんでもする、
勝つために全てを尽くす、
それが選手というものなんだ。
少なくとも私自身は
そういう姿勢で現役時代から生きてきた。
洋の東西を問わず、
それくらいの気持ちをもっていないと、
一流にはなれないのではないだろうか。
▼所感
小中学生のとき、野球をやっていたので、
大変興味深く読めました。
私が物心ついた頃は、既に現役を引退し、
監督として活躍していましたが、
本を読んでみると、生まれた時から
逆境の連続であったことが分かります。
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5/10生まれだったものの、
仮死状態で「長く持ちそうにない」
ということで出生届の見合わせられ、
公の誕生日は5/20になっている。
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また、記録を達成したとき、
すぐに相手バッテリーの心情を
思いやり、ガッツポーズするのを
止めたのは、父親の教えに
よるところが大きいのではないかと
思索に耽ていました。
厳しい勝負の世界でも
相手を労わる気持ちを忘れない
王さんの人となりを
垣間みた気がしました。
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