那智勝浦町昔懐かし話 第28話

    第28話『南紀熊野体験博その2』
          サブタイトル 「甲斐さんが体験博にやってきた」
 
前回に続き体験博の話であるが、やはり我が青春のすべてである甲斐よしひろさんの事を書かずにはおかない。たぶん止められないならその話しだけで30話くらい書ける気がする。かなり感情が入ってますが、あしからす゛。
 
体験博も終盤に入った1999年8月12日のことである。ふと職場である観光協会の事務所のカウンター奥に張られている体験博のポスターに眼が釘付けになった。「8/13甲斐よしひろ~スペシャル・アコースティック・セット~Guy Band」と載っているではないか。「え~。うそやろ~。甲斐さんが体験博にくるんか~。え~。いつやん。え~、明日やないか。うそやろ~。」私としたことが。いつも通っているカウンターの奥に何日か前に体験博のポスターが貼り替えられているのを気づかずにいたのだ。「あかん、なにがなんでも行く。絶対行く。」と殺気だった眼で「局長すいません、明日体験博で僕がこの世で一番好きな歌手のコンサートがあります。次の日からなんでもやります。明日休みください。」とお願いした。局長は割とあっさり「ええよ。」と返事。「あ~。良かった。神様、仏様、局長様~。」 と心の中で思った。そしてコンサート当日、僕は嫁と2歳の娘と家から歩いて10分の会場に向かった。かなり早く行ったので僕達は前から2番目の真ん中からやや左よりに腰掛けて待っていた。しかし開演時間が近づくにつれすごい人が集まり立ち見まで出来た。ステージはオープンステージで、ステージの後方は列車の線路が走っていた。開演前のステージには左からフェンダーのプレジションベース・ナチュラルカラー、真ん中にはギブソンのJ-45というアコースティックギター、その後ろにドラムセット、右側にはエレアコとフェンダーのストラトキャスターが立てかけられていた。そして開演。ステージ横からサポートメンバーのドラムス(すいません。名前覚えてません)、ギターの鎌田ジョージ、そしてなんと、なんとベースは甲斐バンドのメンバーで名ドラムスの松藤英男、僕はその姿を見た途端に思い切り「松藤~」と叫んでました。そしてそして我らが甲斐よしひろが登場。その時も「甲斐~」と叫んでました。2歳の娘を抱いて。 甲斐さんは、白のTシャツに黒のベスト、黒のジーンズとラフな格好。ギブソンのJ-45を左利きでかき鳴らす。「かっこええ~。やっぱ違う」と僕は夢心地。始まる前特急が通ったので甲斐さんは「特急がとおってからやろうか」と皆に呼びかけ「この地方に来たのは初めてです」と挨拶した。しかし違うのである。甲斐バンドのアルバム「誘惑」が発売された直後隣の市の新宮市民会館で甲斐バンドのコンサートを行っているのである。当時僕は高校生、しっかり見ましたよ。
体験博の時の曲目は、1曲目 野生の馬、2曲目破れたハートを売り物に、3曲目安奈、4曲目裏切りの街角、5曲目レイニードライブ、6曲目風吹く街角、7曲目風の中の火のように、8曲目アウトロー、9曲目HERO、10曲目バス通りの10曲だった。ライブでも中々演奏されない野生の馬、甲斐バンドデビュー曲のバス通りをやってくれたのは、さすが甲斐さん。約1時間のステージだった。10曲終わってもアンコールの声は鳴りやまなかったが甲斐さんは、「1時間のステージなんだ。これ以上やると怒られるんだよ」との言葉を残しステージを後にした。僕は娘に向かって「よかったやろ」と分かるはずもないけどつぶやいた。娘はにっこり笑った。嫁さんも以前から僕に散々甲斐バンドの曲を聴かされていたので満足そうであった。この日の模様は翌日の新聞にも載った。その記事を僕は今も大事に持っている。あとこの時の写真は、取材に来ていた新聞記者の方に「頼みます、新聞に載ってからでええから下さい、新聞に載った写真だけでもええから」と頼みに頼みその方は良い方でフィルム1本分ネガごともらった。これも僕の宝物である。本当は甲斐さんのアップの画像載せたいのだが、すいません、許可いただいてないので遠くからの画像で勘弁してください。とにかく僕の生まれた土地に甲斐さん達は来てくれ、そして歌って演奏してくれた。一生忘れない大切な一日である。もちろん今も甲斐さんのファンである。甲斐さんを呼んだスタッフの方、あなた方は、本当に偉い、すばらしい。心から感謝いたします。
             第28話終わり
 
 
 

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