那智勝浦町昔懐かし話 第63話
第63話『そろばん学校』
はい、またまた少し間が空きましたが皆様お元気でしょうか。僕の方は、イベントや出張やらて゛、忙しくおまけにひどい腰痛で「こりゃあかん」と机に向えず中々第63話を書けず申し訳なく思っております。 しか~し、その間にネタの思いつきがありこれから怒濤のように書きまくる夢を見ました。(いや、夢ではなくほんまに書きますよ。)またまた前書きが長くなりましたが、今回はタケちゃんの小学校の時の話が中心であります。我が町のほんわか懐かしい思い出であります。でわでわ第64話のはじまり、はじまり。
「タコちゃん、そろばんいこら」僕は愛車のライダー号に乗り、勝浦小学校正門前の文房具店にやってきた。タコちゃんとはもうおなじみの僕の親友で文房具店の息子である。勝浦仲の町の3バカトリオのひとりである。小学4年生の初めにこの場所に引っ越した。その4年生のときからの話である。「かずひさ、かずひさ、タケちゃん来てくれたあるで。はよせんかん。タケちゃんいつもおおきによ。こら、はよせんかん。」タコちゃんのお母さんは、事情があり母一人でタコちゃんと妹さんをこの文房具店と朝は早くから魚市場で小物の魚を仕入れ魚屋さんにおろす仕事をしていた。僕のお母ちゃんやお父ちゃんは本当にその働きぶりをいつも感心していた。「おう、タケちゃんごめん、ごめん、いこら」とタコちゃんも店の外に置いているライダー号にまたがった。ライダー号は、その頃流行っていた5段変速ギア付きである。かっこええが、たまにチェーンが外れた。そんなときは、手を真っ黒にして素早く直す。僕らは那智中学校の国道はさんだ向かい側にあるYそろばん学校本校に小学4年生になった時から小学6年卒業まで毎週月、水、金曜日に通った。
その頃の小学生は、そろばんや習字、硬筆、絵、数学(算数違いますよ、6ねんの時に)、など習っていたが、圧倒的にそろばんを習っている子供が多かった。オレンジ色の手提げカバンにYそろばん学校の文字が入った皆おそろいのカバンにその級の色つきテキストブック、 鉛筆と赤ペンと消しゴムの入った筆ばこ、下敷き、そろばんケースに入ったそろばん、出席帳が入っている。これに上級になると暗算のテキストブック、そして今で言う10cm四方のメモ帳を束ねたみたいな伝表というもの(本当に伝票をめくるみたいに順番にめくって計算していく)が入っていた。僕らは教室に着くとまず、前にすわっているキュウリみたいな顔でチョビひげをはやしている校長先生に出席帳のカレンダーのその日の所に印を押してもらう。それから席につきテキストを何ページかやり自分で答え合わせをする。分からないところは校長先生に聞きに行く。そしてその日のテキストを自分で答えあわせし赤ペンで採点する。これが終わったら校長先生に見せてまた、印をもらい帰宅する。だいだい1時間ぐらいそろばんの勉強をしていた。そして何ヶ月かに1度昇級試験がある。合格すると合格証とそろばんに貼る合格した級のシールをくれる。これをそろばんに貼る。当然上級者ほどそのシールの数が多い。あるとき僕らはびっくらこんした。
僕の一つ下にオモチャ屋の息子のM君がいた。彼は非常に勉強ができそろばんも飛び抜けて出来て段をもっていた。その日校長先生が僕らに「この度M君が注文してくれた特別なそろばんが届きました~。」と高々と手にし皆に見せてくれた。
普通のそろばんは、親玉がひとつ、小玉(というのだろうか)が4つの、縦に5つの玉があり、始める時に 左から右に人差し指で一度親玉を上にあげる。しか~し、校長先生の見せてくれた特別そろばんは、そろばんの上の所にホタンがついており、なっなんと、そこを押すと親玉がすべて上に上がり、小玉が全部下に下がるという「おそれいったか~、てめ~ら~」と言っているようなびっくらこん、なものであった。僕らは、「ぎょぇ~。なんやそれ~、めちゃええやん」といっせいに合唱した。校長先生は「皆も手にいれられるで~、1本1万円やけど」とぬかしやがった。(すいません、絶対こうてもらえん怒りから言葉が汚くなりました)「ええねん、僕。僕らはこれでええねん」とタコちゃんと僕は自分たちのそろばんを愛おしくさすりながら、だまってうなずきあった。このそろばん学校は、そろばんだけでなく、たまに、休みの日曜日など希望者で各自弁当持参で遠足等行った。那智中学校の上の鉱山跡にも遠足に行った。僕もタコちゃんも参加しタコちゃんは、しきりに「校長先生、これ金やないん、絶対金やわ、俺大金持ちになったぞ」とわめき散らしていた。どうみても銅やのに、僕も校長先生もめんどうくさいので「そうや、金や、なかなかないで」と言っておいた。
そんなんで校長先生はかなり生徒から好かれていたと思う。僕らは小学校6年卒業まで通ってそろばん2級、暗算も2級で終わった。
縁あって僕の今の家の近くには、Yそろばん学校の分校がある。(つい5、6年前まで生徒が通っていたが今は閉校している)今は、本校もやっていないと思う。僕たち、いや那智勝浦町の大人達の子供時代の良き思い出であろう。電卓なんか無かった時代の。オレンジ色の手提げカバンなつかしいなぁ~。
第63話終わり
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