意見と文句
散歩しながらいろいろ物思いに耽るのが好きです。目に入るものがよき刺激となり、思考や感情が生まれてきたりします。
近所の建設中のマンションの横を歩いているときには、その影のできる早さに圧倒され、どんどん陽の当たる場所が減っていくのだなと感傷に浸ったり。
あるとき長男と一緒に歩いていて、ニュースで見たデモのことなんかを話してて、自分の意見を主張する方法や是非などを話していました。
そのとき頭に浮かんだ疑問。
そういえば意見と文句って何が違うんだろうな。
そして新入社員時代に文句言い扱いをされたことなどを思い出す。
子どもの頃からなんですが、疑問に思ったことを黙っておくことができない気質のようです。
なので、つい違和感を覚えたときに質問などをしてしまったり、意見を求められれば素直に、そして正直に意見を口にするのだけれども、渋い顔をされてしまうことも。
そして文句言い扱いされ、たいてい面倒くさがれることになる。
あれ?文句言いって関西弁?笑
ぼくは大阪と東京のハーフなんで、単語がたまに混じってて気づかない。どうでもいいことだけども。
入社20年経ったときにもこんなことがありました。
多くの管理職の方たちが参加してる会議で「そもそもこの議論は何を目的にしてるんですか?」というような趣旨の質問をしたら、ファシリテーターの部長さんから「そもそも言うな!」とキレられた。笑
ぼくは目的などをたびたび確認することがあって面倒くさいやつです。自分でもそう思います。
その人はスムーズに議事を進めたかったのでしょうね。そして、その進行を妨げた空気の読めないやつとして叱責される。うん、気持ちはわかる。笑
そしてあるとき、同じ方が部下が意見を言わないということをグチってるのも耳にしました。
どっちやねん!笑
建設的だと感じたら意見。ネガティブだと受け取ったら文句。
そういうことなんでしょうか?
ぼくは本質的には同じだと思ってます。
だって異なる視点や考えがあるから、新しいアイデアが生まれる。
だから反対意見や、当たり前だと思っている前提を疑うことも大事。
質問者が求めてる答えを探り合いするなんて、悲しいほど無駄。
これってやっぱり教育の問題なんだろうか。
小中高と12年以上かけて、出題者が求める1つの「正解」を導き出す訓練をしてるのだから身に染みついちゃってる。
そこに斬新な意見を出せって言われても「斬新な正解」というあるはずも無い解を探す思考になっちゃうのは当たり前です。
解決策は何かと考えてみたんだけど、変なことを言う訓練が良いのではないかな。
身に纏った常識が1つの(ありもしない)正解を求めさせるのだとすると、非常識になることが解かもしれない。変人になる訓練。笑
そう思うとぼくが変人と言われてたのは、新しいアイデアを出すと言うことをやり続けてたからかもしれない。
だとすれば、変人と言われることを少し、ほんの少しだけど、受け容れてもいいかな。
変人バンザイ!
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