作文
夏休み
六年二組 斉藤 和馬
毎年、同じ題名と名前。違うのは学年とクラスだけ。今年もここまで書いてシャーペンが止まった。あとは頭を抱えて、作文用紙と睨めっこするだけ。
夏休み中に作文を一つ書く。下手でもいいからとにかく書けばいい。それだけのことが、僕には難しい。
夏休みの宿題のうち、僕が一番嫌いなのは作文だ。工作や自由研究は昔から好きだし、社会や算数の宿題は友達がやったものを写せばいいし、日記は一言書けばそれでいい。でも作文は、そうはいかない。書いて、と友達に頼んでも、いいよ、と言ってくれる人はいないし、友達の作文を写すわけにもいかない。
ただでさえ面倒くさいのに、その作文も、三つしか選択肢がない。一つ目は読書感想文。僕は書くのも嫌いだし、読むのも嫌いだ。だから却下。二つ目は人権に関する作文。難しいことはわからないから、これも却下。
最後に残った一つを、僕は書こうとしている。先生に提出するだけの作文。作文用紙五枚書くだけで、テーマはない。それぞれ思い思いに書いていい、と言うことになっている。たぶん、この作文があるのは、僕のような作文が苦手な人を助けるためにあるんだろうし、実際のところ、作文が苦手な友達はみんなこの作文を書いているし、僕も毎年この作文を書いている。
でも、正直なところ、あれでいいのか、と思う。だって僕の作文は、日記で書いた一言をつなげて書いただけなのだ。だから一つの文章が終わると話ががらりと変わる。書き終っても読み直さずに提出するくらい、内容がひどい。でも仕方ない、僕は作文が苦手だから。
さっきから漫画やゲームばかり見てしまう。早く宿題を終わらせて遊びたい。終わらないなら、せめて休憩として遊びたい。今日は八月三十一日。もうすぐ夜十時になる。とてもじゃないけど、遊ぶ余裕はない。宿題はあとこれだけなのに終わる気がしない。しかも、そろそろ眠気がくるころだ。昔から、すぐに寝てしまうタイプだから、眠気がきたら作文は諦めた方がいい。でも、放課後を使って書かされるのも嫌だ。じゃあいつ書くの。今でしょ、と言うのはもう古いか。
こんなことを考え始めている時点で、作文を書く気なんてないんだと思う。
今年が小学生として最後の夏休みだから今年くらい真面目に書こう、と夏休みに入る前から決めていた。でも、この調子じゃ無理だ。今年も日記を丸写ししようかな。
この作文も、今年で六つ目。そして、毎年思う。なんでこの作文はテーマを人任せにするんだろう、と。何もないことで、好きなように書きなさいということなんだろうけど、何もないから、どうしたらいいのかわかんないのに。もし僕が本を読む人だったら間違いなく読書感想文を書いただろうし、少しでも難しいことに関心のある人だったら人権に関する作文を書いていたはずだ。こうしなさい、と縛りがあれば、そのとおりに書けばいいっていう安心感があるのに、この作文にはそんな優しさがない。
毎年、僕は何もないという響きに踊らされているだけだ。これなら楽だと思って飛びつくけど、そこにあるのは厳しさだけ。からっぽな空間はのびのびとできるけど、それは見た目だけで、逆に何もないから、どうしたらいいのかわからない。
この作文を書いてきてわかったのは、何もないことは意外と窮屈だということ。だから今年は、この作文を書くときの気持ちや動作をそのまま書く、と決めていた。実際に書き始めると、こうしてそれなりに書けた。
とりあえず、五枚目に入ったからこれで終わり。好きなように書いていいんだから、これでいいんだよね、先生。じゃあ、おやすみなさい。〈了〉
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