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ただの日記〜10年という時間〜

12月のある日、お買い物をするために昔よく使っていた道を歩いていた。

10年前に、毎日のようによく歩いていた道。
ある時から歩くことはなくなって、何年かに1回通るか通らないかの道。

その道を、忙しさと新型コロナウイルスの影響も相まって3年ほどぶりに歩いていた。

見慣れていた景色は、新しいお店に変わっていたり、空き店舗になっていたり、凄まじい速度で変化していた。
もちろん昔から変わらずあるお店もあるけれど、街としての全体の空気が変わっているような気配だった。

こういった街の変化は何も新しいものではなくて、少しずつ形を変えて新しくなっていくけれど、たまたま何年も来ることがなかったから少し新鮮に感じただけ…。

いつもはたいして気にも留めない、ありふれた歳月のほんの些細な出来事。
ただなんとなく、いろいろなめぐり合わせのなかで、10年という歳月の流れと言葉が自分の身体の中で引っかかりを覚えて、こうしてただ粛々と書き起こしている。

10年前の、2011年。
10年後の、2021年。

ここのところ10年、というワードが身近にふわっと浮かんでいる

あるアイドルを知って10年が経ち卒業するメンバーがいた、ということ。
好きなアーティストが活動を始めて10年経った、ということ。
今年に入って知ったかっこいいアーティストが、活動から10年目に海外へ移住した、ということ。
敬愛するアーティストが、10年という歳月の中で節目のアルバムを出した、ということ。

あまりにも出来すぎた嘘のような本当の話なのだけれど、、

敬愛するアーティストが10年という歳月の中で出した節目のアルバムを聴きながら、好きなアーティストの活動10年を記念して出された本を買いに、10年前に毎日のようによく歩いてた道を通っていた。

そしてそれはどこか、10年前の日常が失われていた日々の中にあった重苦しい空気が少しずつ戻りつつあった世界と、10年後の日常が失われていた日々の中で重苦しい空気が少しずつ戻りつつある世界が、クロスオーバーしている気がした。

そんなことを考えていた時、今自分が立っている世界の足元がぐらっと揺らいだ感覚があって…。
今生きている世界とはなんだろう、パラレルワールド?とか、物理的に年齢を重ねたり立場が変わる中で本質的な何かはもうずっと変わってないのではないか?、とか変なことをつい考えてしまった。

自分はいったい10年の流れで何をしていたんだろう、と少し過去を振り返ってみたりしたけれど結局あまり変わってないのだなと思う。

音楽は好きだし、10年前と変わらずこうしてメモメモと文章をパソコンで打ち込んでいるし、好きなものも感性の感覚もあまり変わっていないように思う。
もちろん10年という歳月の中で紆余曲折とか山あり谷ありとか、うまくいかずに 「くぅぅぅぅ」、と思うことはたくさんあるけれど。

他の誰かと同じように。何かを手放したり失ったりして、同じくらい何かを手に入れたりしてきた。
私にとっての10年がそうであるように、誰かの10年も物理的な時間は同じように流れて、でもその中身は違った形でいろんなことが詰め込まれたものであると思う。

楽しいことも、嬉しいことも、悔しかったことも、辛かったことも、それこそ数え切れないほどあった。
10年の歳月の流れを経てこの道をまた歩いている、まだこの世界にいる。
少しだけ変わった世界の中で昔とは違う考えを持ちながら、でも捨てられないものを抱えている。
いろんなものに出会い、何かを受け取って、何かを手放して、それでも捨て切れないものを抱えている。

人が生きる道は不思議だな、なんて改めて思う。

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