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さようなら,エヴァンゲリオン。

今日はとても個人的なこと。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観てきました。思えば,中学生のときから10年以上,なんだかんだ言って大好きな作品で,鑑賞後は感慨深いものがありました。

ここでは,エヴァンゲリオンシリーズに感じたテーマについて,僕の好きな部分を書いておこうと思います。

なお,本編の内容や結末にはなるべく触れないよう気をつけますが,ネタバレになってしまう面があること,ご容赦ください。


「父と子の物語」

観終わってまず思ったことは,「父(ゲンドウ)と子(シンジ)」の関係に綺麗に決着がついて良かった,ということ。

思えば,シンジとゲンドウの関係は,シリーズを通して上手くいっていません。

NERVに呼び出されたシーンが象徴的。久しぶりの父との再会がこの距離って,「なんじゃそりゃ!」と当時ツッコんだ覚えがあります。

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でも,子供が父親に対して「正面から向き合うのが怖い」って時期があること。その感覚はなんとなく分かります。

同時に,父親も子供に対して「どう向き合えば良いのか」と葛藤することもあるでしょう。

シン・エヴァでは,「最後の親子喧嘩」ともいえる展開になり,シンジ君が「力での決着→対話での決着」を選んだ(気づいた)のが爽快でした。

難しい世界観や用語が多いエヴァンゲリオンですが,「父と子の物語」という,多くの人が共感できるテーマを背負っているからこそ,今なお,たくさんの人を惹きつけてやまないのかもしれません。


「運命を仕組まれた子供たち」

同時に,エヴァンゲリオンは「自分とは何者か」「自分の居場所はどこか」という,14歳の少年少女の心の葛藤を描いた物語である,とも捉えられます。

初号機に母親を取り込まれ,父親との接点は「エヴァに乗る」ことでしか繋げないシンジ。

(旧劇で)弐号機に母親の魂を取り込まれ,「エリートである」ことをアイデンティティにするも,親の愛情を信じられないアスカ。

エヴァンゲリオンは,こうした子供たちが「自分の居場所はここだ」と安心できる場を見つけ,何者かになっていく物語である,とも見ることができます。

シン・エヴァでは,(賛否両論あると思いますが),シンジにはシンジの,アスカにはアスカの「居場所」が見つかって,物語は終わります。


ちなみに,ちょっと細かい話ですが,新劇の中で「運命を仕組まれた子供たち」というキーワードがしばしば登場します。

シン・エヴァでは,アスカの口から「綾波シリーズが、シンジに好意を持つように設計されていた」というセリフが出されますが,これは裏返すと,「アスカも同じである可能性」を自覚している意味もあります。(このあたりは,シン・エヴァを観ていただくと分かると思います)

「シンジを好きになる」ことを「仕組まれた」アスカが,シン・エヴァの最後にたどり着いた結末が,「運命に仕組まれた子供たち」に対するアスカなりの答えなんじゃないかな~,なんて考えたりもしました。


さようなら,全てのエヴァンゲリオン。

劇中で,シンジ君の口から「さようなら,全てのエヴァンゲリオン。」という言葉が発せられます。

思えば,シンジ君ははじめから「エヴァンゲリオンが無い世界」を望んでいて,これは最後の選択まで一貫しています。

ただね,ずっとエヴァを観てきた,いちファンとしては「どうか綺麗に終わってくれ…!」という思いと,「こんなに大好きなエヴァを終わらせないでくれ…!」という思いが混在していたんです。

シン・エヴァは,この一見矛盾する思いを包含して,綺麗に昇華させた作品になっていて,本当に「庵野監督ありがとうございます!!」という気持ちです。


「『さようなら』は,また会うためのおまじない。」


劇中であるキャラクターが言ったセリフ。

おかげで,僕も気持ちよく,「さようなら,エヴァンゲリオン」と劇場を後にすることができました。


今日は非常に個人的な記事ですみません。読んでくださった方,ありがとうございました。

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