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宮崎のIT業界はどうなるのか

日本各地を転々と住み歩いて来て山を見比べると、九州には異様に杉山が多いことに気付きます。もちろん、隈なく歩いて確認した訳ではないのですが、自分が見てきた範囲での主観として。京都や山陽地方の里山周辺には綺麗な広葉樹林が残っているけれど、九州の山野はなりふり構わず植林を進めたんだな…と思わせるようなところが多い気がします。

「もっと杉が必要だから」と国策で補助金が出たりして植林が進められた時代があったと聞きます。今は「もっとプログラマが必要だ」という声がよく聞こえてきませんか?現代の算盤として、論理的な思考方法を学んでもらうためのツールとしてプログラミングを教育に取り入れるのは良いアプローチだと考えていますが、職業としてのプログラマをせっせと育てようとする動きを聞くにつけ「杉の植林」の話を連想してしまいます。

ここから半ば想像のお話です。当時の日本の中央で年々増加する木材の需要に気づいた誰かが、その直感を統計的に裏付けるための何らかの調査をします。その結果、やはり年々増加する人口を賄うだけの木材が将来は供給出来なくなるという結果が見えてきます。それを偉い人たちに伝えて、対策を考え、全国で植林が進むような仕組みを作ろうと決まります。その後、木を植えるとお金が儲かるらしいぞ、という話が地方の人々にも伝わり、じゃあ実際どう取り組んだらいいのかと勉強を始めて、行動を起こします。

…というところまでに、恐らく数年のスパンが必要です(植えた杉が木材になるまでにさらに数十年必要です)。この話の落とし穴は、この間に最初にこの問題に気づいた人たちは、”他の手も”打っているということです。日本以外の海外から木材を輸入するルートを作る、木材に頼らない住宅作りの技術を推進する等々。そして(九州の林業者にとっては運悪く)、"他の手"が先にうまくいったという結末です。

「杉」を「IT人材」に置き換えて"他の手"を考えると、どうでしょう。海外に目を向けるとIT人材が余っている国があって、既に十分な教育を受けた若者たちがいます。英語も堪能なので、ほとんどの一次情報が英語で発信されるこの分野で働くには強い武器を持っています。また、技術革新のスピードも凄まじく、今まではプログラマがケアしなければならなかった作業が次々にコンピュータの側で支援されるようになります(ポインタの管理とかアセンブリレベルでの最適化とか、もはや歴史の教科書扱いです)。もっと言うと(正しく設計されたシステムなら)、スケールアウトが容易なので、例えば年商1000億規模の小売チェーンが3つあると、3社ともにIT部門が必要ですが、統合して3000億1社にしてしまえば、1社分のシステムで物流が回ることになりIT部門の人材は3分の1でいいや!という話だってありえます。

与えられた仕様通りにプログラムを書くためのプログラマの需要は、今後伸びないと思います。ただし、無くなることは無く、(例えば上記の統廃合の例だと)残ったシステムの重要性は大きくなる訳ですから、その維持に従事する人材は必要です。そういったコアを支える一部のエリートと、その予備軍としてのその他多くの人々、という構図が未来の業界の形として残っていきそうな気がしています。プロスポーツの世界みたいですね。

「一部のエリートと予備軍」って言い方をすると勝ち組・負け組みたいなのを想像しちゃう人も居るかもしれません。ITに限ったことではないですが、多分、そういう風にしか思考できない人こそが(あえて言うと)これからの負け組だと思います。他者と比較しないと幸福や満足を得られない呪縛にかかっています。これは単に見方の違いで、「残渣処理を担当してる人と自由な人」って言い換えられます。まあ、自由は良いけど、お金が無くなっちゃって困る部分もあります。そこをどうするかは今、一生懸命考えているところです。一番聞きたいところが未解決ですみません(^^;

「宮崎の」と題しておきながら、抽象的な話になってしまいました。そもそも、私自身まだ移住してきて数年で業界を俯瞰して語るほどの知識なんか持っていません。じゃあ偉そうなことを言うな、と言われてしまいそうですが、私という一視点から見るとこうですよ、という情報を個々人が発することから「集合知」が生まれます。わざわざ「僭越ながら」なんて付けなくていいから(つい付けちゃうけど…)、「自分にはこう見える」というのを躊躇なく発信することが大切、と考えるようにしています。

宮崎という小さな地方都市に住んで、「なにもない」と幻滅する人と「めっちゃ余白(=可能性)ある!」とワクワクしてる人、の両方がいるように見えます。後者の人たちが集まると「面白いもの見つけた!」「じゃあこういうことしてみようか?」「作ってみようか?」って話題が自然とグループの中心に据えられていきます。これが強みであり希望なんじゃないかなと思います。余白を上手く使って何か面白いものを作って世界とコミュニケーションしてみたらもっと面白くなるんじゃないでしょうか。

朝の5時に泣き始めた赤ちゃんのオムツを変えてミルクをあげて寝かしつけてから、これを書いてます。途中で起きてきたので、片手であやしながら最後の仕上げ。この子が大きくなる時にも、いい街だね、いい国だねと言われ続けているようにするために出来ることをやらないと。片手が使えなくても、忙しくて時間が取りにくくても、1日30分でも、最悪5分でも前に進むことは出来ます。仕事とお金を貰うだけじゃない、何か作れるエンジニアになれるよう1歩ずつ前に!

参考資料

- 村上龍「新 13歳のハローワーク
- みずほ情報総研株式会社「IT 人材需給に関する調査」

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