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勝手によろず支援 その9 - 文章を書く

大人になって、より客観的に物事を見つめられるようになった(なるはずだ)、と考えていたのは間違いだったとようやく気付きました(少なくとも私の場合)。こうして文字に変換して思考をスローダウンしたり、後から読み直す努力が絶対に必要です。さもないと、膠着した思考回路は常に似たような経路を辿って、常に似たような結論に辿り着きます。
- 2012年3月14日の日記より

文章って、何かを伝えたいことがある場合に書くものです。つまり、そこには必ず受け手が居て、その人がどんな受け取り方をするのかを想像しながら書くことになります。1対1で話をするのなら、相手が今どんな気分で、どんなことに興味を持ちそうで、どれくらい前提知識を持っているか、少しずつ確認しながら進められますが、文章の場合は、その相手と物理的にも時間的にも距離があります。場合によってはその距離がどれくらいかも分からない、どんなバックグラウンドを持った人に届くかもさっぱり分からない。だから難しいんですよね。

そこには、銀の弾丸などなくて、常に相手を想像しながらアウトプットを続け、反応があればしっかりと耳を傾け、ちょっとずつ精度を上げていくしかないんだと思います。

私の場合、もう17年くらい日記という形で文章を書いています。一時期は毎日更新していて、何か書くことを仕事に出来ないだろうか、とまで目指していたのですが、あんまり周囲の反応が無いので大人しく諦めて趣味のペースに戻しました。ただ、前段の文脈で行くと、日記の受け手は未来の自分です。自分が読み返して何か思い出せたり、思いつけば目的を果たしたことになります。

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