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【覆水、盆に返らず】(ふくすい ぼんに かえらず)

 ── 一度やったことはもう取り返しがつかないのだ ──

「覆水」(ふくすい)とは、入れ物がひっくり返ってこぼれた水のこと。この場合の入れ物は「盆」だが、茶碗などを載せて運ぶ、食卓にあるような「お盆」のことではなく、茶碗をもう少し平たくしたようなと、あるいは猪口をぐんと大きくしたようなというか、そういう器のこと。酒や水を飲むのに使われてたらしい。

 その器をひっくり返して中に入った水をこぼしてしまえば元に戻すのは不可能で、そこから、起きてしまったこと、過去のことは取り返しがつかないという意味になった。
 これはたとえ話ではなく、器に入れた水を実際にこぼしてみせた人がいたのである。その人とは、「太公望」(たいこうぼう)の別名で知られる呂尚(りょしょう)。(太公望の回を参照)

 呂尚(りょしょう)は、殷(いん)の臣下である西伯(せいはく)の願いに応じてその軍師となり、殷(いん)を滅ぼすための大活躍をした人物だが、西伯(せいはく)に雇われるまでは無職である。
 その上、釣る気もないくせに毎日竿を手に川に出かけることがだけが日課だったようなものだから、収入はゼロ。当然、家計は火の車である。いくら頭がよくて志もあり、天下国家におけるビジョンを立てられるだけの能力にめぐまれていようとも、これでは家計をあずかる奥さんのほうはたまったものではない。
 意見しても、「なに、そのうちなんとかなるだろう」とすましているし、就職活動をやるふうでもない。奥さんから見れば、口だけ達者な無能力者にしか見えなかったとしても無理なかったかもしれない。
 とうとう奥さんはがまんしきれなくなったのか、このまま一緒に暮らしていてもラチはあかないと見切りをつけたのか、奥さんのほうから離縁状を叩きつけて、さっさと家を飛び出してしまった。
 後に天下にその人ありと知られるようになるさしもの呂尚も、まるでかたなしだ。

 その後、呂尚(りょしょう)は西伯(せいはく)、つまり後の文王(ぶんおう)に見いだされて彼の軍師に出世する。軍師というのは軍務における王の教師役ともいうべき身分だから、もちろん給料だって、そこらへんの官僚とはケタが違う。着るものも高級だし、どこかへ出かけるにしても、歩いてということなどなく、専属の御者に操らせる四頭立ての馬車だし、家に帰りつけば召使いがこぞって出迎える。
 つまり、食うや食わずだったこれまでの生活が、一夜にして「エエとこの生活」に変貌してしまったのである。

 こうなると、それまで呂尚(りょしょう)に冷たかった世間は、手のひらを返したようになるもので、道で会っても知らん顔をしていたひとが急に愛想よくなってニコニコ顔で挨拶してくるようになるし、言葉使いもていねいになる。遠回りして呂尚(りょしょう)の家を避けるようにしていた商人は、ひきもきらず勝手口をくぐるようになり、人々の尊敬のこもった視線も向けられるようになってくるものである。
 そんな呂尚(りょしょう)をとりまく環境の激変ぶりを、おそらくは遠くから眺めていたもとの奥さんは、たぶん「しまった」と思ったことだろう。「あのままがまんしてあの人のところにいたら、今頃はファーストレディの生活ができていたのかもしれないのに」くらいのことは考えたかもしれない。
 そしてさらに、「そうだ。今からでも遅くないかもしれない。あの人にお詫びして、もとのサヤに納まれるようにお願いしてみたらどうかしら。なんといっても長年つれそった間柄だもの。あの人だって無碍にダメだとは言わないと思うわ」ともくろんだらしい。
 呂尚(りょしょう)のところへきて、「どうかもとのように一緒に暮らさせてちょうだい。離れてみて分かったの、私がどんなにあなたのことを必要としているのか、ということが」と、切々と訴えた。

 それに対する呂尚(りょしょう)の答えが、黙ったまま盆に入っていた水を地面にこぼして見せたことだった。当時の床は土間だったので、落ちた水はたちまち吸い込まれてしまう。そして言った。「一度こぼれた水は、もとに戻すことは不可能だ」。

 女性のみなさん、今つきあっている彼に、どうも将来性がないように見えても、早まって切ってしまってはなりませぬぞ。
 いや、それは勤めている会社に対しても同じことがいえる。このまま今の会社にいたところでうだつが上がるようになるとは思えないと辞めてしまったとたんに、会社が大化けに化けて世界の一流企業の仲間入りをしてしまうかもしれないのだ。ホンダだってマイクロソフトだって、ソニーだって、初めは従業員数人の超零細企業だったのだから。
 もっとも、そのままつきあっていれば、あるいは勤め続けていれば、必ずそうなる、とは限らないところが困るのだが。


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