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【隗より始めよ】(かいより はじめよ)

 ── どんな遠大なことでも、まず身近なところから始めよ。転じて、事を起こすときにはまず自分自身から着手せよ ──

 全土が小さな国家に分かれ、自分の国こそ天下に覇を唱えるのだと戦いにあけくれていた戦国時代。そんな時代、各国がもっとも欲していたのは、武器でもなければ軍資金でもなかった。
 いや、もちろんそれはそれで欲しかったのだが、それよりもっと、それこそ喉から手が出るほど欲しがっていたのは、状況を分析できる能力を持ち、部署をまかせられる人材だった。
 いかに軍資金や兵力があろうと、実際に作戦を立て、兵を動かし、敵を下すことのできるのは、あくまでそれだけの能力を持った人間だけなのである。
 これは現代の会社でも同じだ。他人を使う立場になれば、誰でも皆、同じ気持ちになるものだ。

 戦国時代の燕(えん)の国でも同じ悩みを抱えていた。
 そこで燕(えん)の昭王(しょうおう)は、隗(かい・フルネームは郭塊・かくかい)という相談役に、「どうしたら軍事や政治の能力にたけた人材を雇うことができるだろうか」と相談した。
 隗(かい)は、「昔、こういうことがありました」と、次のようなたとえ話を始めた。

 ある国の王が一日で千里を駆ける馬が欲しくて、家来に「金にいとめはつけない。探してこい」と命じた。家来は忠実に遠く外国まで行って探したが、見つけることができずに帰ってきた。
 王は、別の家来にまた同じことを命じて探させたが、この家来もむなしく戻ってきた。家来は次々に送り出された。しかし、そうやって三年たったが、王は、これといった馬をまだ手に入れることができないでいた。
 ところが、ある家来が、命令を受けて何週間もしないうちに帰ってきた。そして報告する。
 「千里の馬を見つけることができましたが、もう死んでいました。しかたないので、その骨を五百金で買ってきました」
 生きている千里の馬でもだいたい千金というのが相場である。役にも立たない骨だけにその半分もの金を払うとはいったい何事か、みすみす五百金というたいまいを捨てに行ったようなものではないか、と王は怒った。
 しかしその家来は、
 「死んだ馬の骨にさえ五百金も払ったことが広く知れ渡ると、生きている千里の馬ならもっと高く買ってくれるはずだ、と誰もが考えるでしょう。大丈夫。千里の馬は向こうから売りに来ますよ」。と涼しい顔をしていた。
 果たして、半年も経たないうちに、王は三頭もの千里の馬を手にしていたという。

 隗(かい)はここまで話し、それから王に向かって言った。
 「王よ! もし本当に人材が欲しいと思っているのでしたら、まず、この隗(かい)から始めなされ! この隗(かい)ごときに高給を払ったことが知れたら、私よりももっと高い能力を持った人材は、もっと高く召し抱えられるはずと思って、雲霞(うんか)のごとく集まってくるでしょうぞ」

 これが「まず、隗(かい)より始めよ」である。戦国策(せんごくさく)の燕策(えんさく)に載っている話だ。
 だからこの言葉は、自分を売り込むときに使っていいのである。
 また、老人が就職を希望するときに、「死んだ馬の骨を買ってもらえませんか」という売り込み方があるが、それもこの話から生まれたものだ。

 現在貰っている給料に満足していない人は、この話、覚えておいたほうがいいですぞ。

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