「何度も胸を締め付けるから」
─ はじめに ─
こんな辺境の地へ足をお運びいただきありがとうございます。
今から拙く愚かな文章が凡そ8300文字程度続くことと思いますが、お付き合いいただきたいと思っております
さて、先日、私たちがこんにちまで観ている「神椿STUDIO」に所属するアーティストが、新曲及びMV公開をしましたね。
この記事を読む方は大体把握済みだろうと思うとはいえ、少しだけ紹介を。
「KAMITSUBAKI STUDIO所属の花譜、理芽、春猿火、ヰ世界情緒、幸祜ら5人の電脳の魔女達が結集した、バーチャルアーティストグループ。」(神椿STUDIO公式ウェブサイトからぱk、引用)
それがこの、魔女たちによる、『V.W.P』
TVアニメ「マブラヴ オルタネイティヴ」1期OP主題歌『輪廻』、1期(再放送)ED主題歌『輪廻 acoustic ver.』に引き続いて、2期ED主題歌として起用されたのが、上記に引用させていただきました、『再会』です。
V.W.Pメインコンポーザーのカンザキイオリ作詞作編曲とされ、「魔女」から続く物語の一曲となっています。
さて、話の掴みはこれくらいにしましょう。
このnoteに書き記されること、よさという一人の筆者が、この再会を受けて何を感じ、何を想ったのか。
といったこととは全然関係がありません
ですが、この曲を通し見えてきた私の「観測」を得たので、ここに遺しておこうと。ただそれだけの文章です。
ただ、それだけにして皆様方の大事なお時間を無駄にするわけにはいかないので、少しでもそれが有意義なものになるよう、努力していきますので、何卒。
デハデハ
─ 『再会』 ─
「私の観測?何を言っているんだ」と。
皆さんが疑問に持った思いへ、その説明文を今から記そうと思います。
そのためにも、ざっとおさらいしておきましょう。
「再会」はマブラヴ オルタネイティヴ2期ED主題歌に起用されたV.W.P最新曲(2022/12/22現在)です。
内容に触れていきましょう。
専ら、ヰ世界情緒 - 夜河世界(と思われる人物)が中心となるミュージックビデオでした。
劇中でも、彼女の主なパートがサビ部分になっている、キャラクターとしての彼女が中心となって物語が進んでいく、などの描写がなされています。
(以後、私服姿を「世界」、「花魁鳥」状態を「情緒」とします。また、その他メンバーについても同じように記させていただきます。)
世界が、不穏な紅い光に当てられながら瞳を閉じたところから映像は始まりました。
視界がおぼつかない場所で、世界が化歩、狸眼、派流、此処の四人の輪の中に入り、桜並木を歩いて楽しそうに話しながら歩いていく。
そんな微笑ましいシーンから一転、舞い散る桜の花弁に手を伸ばした世界を中心に、五人に違和感のイメージが走ります。
各々独りずつとなり、様々な瞬間がそこを不穏に駆け巡る。
嫌な惨劇を思い出すかのように、瞳を閉じて頭を抱える世界が映し出され.…
直前の「花達と椿と君。」でも先行公開されたこのシーン。
全員が己の運命に身を委ねているような描写。
世界の前に現れる「幸せな時間にいる世界」がこちらを見つめ、そこへ五人が駆け出していきます。
みんなといるときの姿と、V.W.Pや魔女としての姿でもある花魁鳥の姿を行き来しながら、誰もがそこへと向かっていきます。(間奏のショーマサンによる🎸がかっこいいという話はまた今度)
しかし、ついに世界の足は止まってしまいます。
そんな世界の前に、天から舞い降りてきたような桜の花が現れました。
あのとき仲良く話していた彼女らのことが脳裏に浮かび、世界はとうとう決心するような表情を。
そして2番サビのシーンが再び流れ、元々瞳を閉じて身を委ねていた五人が、徐々にその瞼を開けていきます。
そんな運命に抗うように、必死な表情を見せながら手を伸ばす花譜と情緒。
そして、最後には、あの桜並木を背景にタイトルである『再会』の文字が。
それで終わりかと思えば
世界の手の中には、桜の花弁が。
(ここはクレジット表示後ということもあって少しびっくりしましたね。)
こうして『再会』のMVは幕を閉じました。
─ 疑問 ─
MVのおさらいはここまでにしましょう。
疑問って言っておきながら概要は大体考察の域を出ない代物です。
なのでここからは、筆者の趣味を大幅に含むので、ついてこれる方のみの閲覧を推奨します。
それではいきましょう。
最初にざっくり書き記すと、このMVの構成はこうなっていると考えます。
少しずつかいつまんで見ていきましょう
最初にこのシーン。世界が瞳を閉じるところから物語が始まります。
また、劇中ではこのシーンと同じ様な構図で描かれた箇所がありました。
ラスサビ前、楽曲の中で最も盛り上がりが激しい箇所の一つ。
そこで世界は瞳を開きます。
このとき、どちらも「情緒」ではなく「世界」であることからも、物語の一貫性が見て取れます。
これは、惨劇に対して目を背けるか目を逸らさないかの対比ですね。
次に、他四名と合流するこのシーン。
次第に視界のぼやが薄れていき、はっきりと鮮明に映し出されるようになります。
しかし、最も鮮明に映される頃には、その場所には有り得なかった惨劇の記憶が彼女らの脳裏に蘇ってしまいます。
惨劇から目を背け、理想の世界を思い描くうちに、そこへ没頭していってしまう。
しかし夢は夢であるほど現実に近づいてしまうもので、明晰夢のように「これは夢だ」と自覚してしまえば、元の見たくなかった(目を背けた)ものがより見えてしまう。
そういった描写だと読み取れます。
そして不穏シーン。
ここでは、理想の世界にいた自分たちがまるで造られた偽物だと言われるように、影に落とされています。また、その場所は極めて「神椿市」に容姿が近いものとなっています。(右上に見える太陽や塔からそのことがわかる。)
その中で幸せだった空間が流されたとしても、それはイメージ止まりで、化歩が振り返れば、そこは花弁が舞い散る綺麗な桜並木ではなく、荒廃した殺風景な太陽が無慈悲に当たる街並み。
ただ、この描写から分かるように、このシーンには世界だけが映っていません。
「このMV自体が世界を主観とした視点である。」ともとらえられますが、その後のカットで、世界はまだ影に落ちた”偽物の理想”が混在する空間にいました。そのため、上記の理論では構成しづらいと考えます。
そして2番のサビ部分ですが、この構図に見覚えがある方もいるのではないでしょうか。
そう、「神椿市建設中。」にて、PALOW先生が描かれたイラストにそれと酷似したものがありました。
と、言うより、このMVには世界や化歩といった神建キャラが登場することから、繋がっていないとは言いにくい関連性があると考えられますよね。
そして、世界がその状況に苦しみながらも、”偽物の理想”である自分がこちらを見つめます。
「大丈夫だよ」と安心させるような笑顔ではなく、「(惨劇に終わる結末が嫌なら、或いは、彼女らと普遍な理想を共に過ごしたいなら、)あなたはどうする?」と、こちらの決断をただ待ち、見守るような視線でした。
そして五人は走り始めます。
何度もくじけそうになりながら、立ち止まりそうになりながら、後ろを振り返りながら。
世界だけ違う空間にいたことを考えるなら、世界は「そこから抜け出すため」、他四名は「世界を助け出すため」ともとらえられます。その両方は、互いに「惨劇を回避するため」という意思があったと。
あまり信憑性のない考察ですが、最後のカットで理芽が躓いた際に後ろを心配するように振り向いています。その後すぐに立ち止まる情緒の描写がなされているため、「四人は前を向き始めているが、世界はまだ下を向いている」とも読めます。
(「信憑性がない」と書いたのは、情緒も後ろを振り返っているカットがあるからです。その他、派流が諦めかけているカットなどもあるため、一概にはそうだとは言いづらい。
ただ、神建キャラと魔女を区別すれば、まだ紆余曲折を含んだ考察と言えると感じたので書きました)
次にこのシーン。
これは座り込んでしまった世界の下に落ちてきた桜の花です。
場面が変わる直前、世界が舞い散る桜の花弁に手を伸ばしていた箇所から繋がっていると考えられます。
桜は理想の世界に繋がるキーアイテムなのでしょう。
ところで、この落ちてきた桜ですが、花びらではなく、花ごと落ちています。
どうやらこの現象は現実にも起こることらしく、調べると、「すずめが蜜を吸うためにもぎ取ったもの」であるらしいです。
すずめと言えば花譜の第二衣装である「青雀」を想起させます。
現在、第三衣装の燕から、第四の衣装である雉に変化しつつある状況の中では考えづらいですが、花譜が落としてくれたものと考えると少し胸アツですよね。
そしてとうとう世界は、立ち上がって運命に抗うことを決意し、花魁鳥の姿を纏って四人の下へたどり着きました。
瞳を閉じて向き合うことをやめていた五人が、その瞼を一人一人開いていきます。
そして目を覚ました後、崩壊の中離れゆく花譜と情緒が手を伸ばしあいます。
ここで、世界が掴もうとしたものが「桜の花弁」だとするなら、情緒が掴もうとしたものは「花譜の手」だということになります。
やはり「桜」と「花譜」は繋げて考えるのがよさそうです。
「マブラヴ オルタネイティブ」の内容を含むと、花譜は劇中で主人公たちが搭乗する戦術機『XM3(エクセム・スリー)』の起動音のCVを担当し、ヰ世界情緒は主要人物である佐渡島の少女 / 臼杵咲良のCVを担当しています。
戦術機が咲良に手を差し伸べている、とも考えられますね。
(アニメの世界観を把握しきっているわけではないので、これもこじつけですが。)
それに加えて、「桜」と「咲良」の繋がりも見れていいですね。
桜についてはまた違う意味もあると考えているのでそれについてはのちほど。。。
こんなところまで考察してどうするんだと自分でも思いますが、タイトルの「再会」の文字は、『再』で途切れた後、『会』で崩れています。
一度(世界は二度)諦めた後、再会した時は崩壊の最中でした。
そのことを表現.…してるかなあ.....….…と、これはかなりこじつけなので、ここは「そういう考え方もできるか~」くらいでお願いします(そもそも考察なので全てそうなんですケド)
花譜と情緒が最後のシーンで手を掴む描写が無かったことや、再会のフォントからも、崩壊から免れずバッドエンドに終わったようにも見えるのですが、最後の最後でMVから衝撃が飛んできましたね。
V.W.Pに限らず神椿STUDIOの楽曲には珍しい余韻、所謂Cパートを挟み、「再会」のMVは本当の終わりを迎えました。
さて、ここからは軽く全体を通しての考察です。
MVの構成を振り返るとこうです。
これは、マブラヴ オルタネイティブ劇中で、タイムスリップした主人公の境遇であると共に、前述の臼杵咲良の視点も多く含まれていると考えています。
臼杵咲良はアニメ2期から判明した名であり、1期登場時は「佐渡島の少女」とされていました。
「佐渡島」とあるように、アニメ劇中では佐渡島はBETA襲来の現場となってしまいました。その惨状の中で唯一の生き残りとして生き延びたのがこの少女、臼杵咲良。
そんな彼女がその後ヴァルキリーズに所属し、佐渡島制圧作戦にて、奪われた故郷に帰ってくる描写に、この曲の描かれ方と同じものが見て取れます。
そして、同じマブラヴ オルタネイティブの主題歌となった「輪廻」との繋がりも言及していきます。
「輪廻」は、何度も繰り返される絶望の運命に、それでも尚抗い続けるという歌でした。
一部歌詞を抜粋し、再会との共通点を探ってみましょう。
冒頭、幸祜パートの歌詞です。
「掴み取る」(厳密には「掴み取ろうとする」)という行為は再会のMVでも幾度となく登場しました。
このことを考察に組み込むと、世界や情緒が手を伸ばしていた「桜の花弁」や「花譜の手」は「(理想の)未来」であると読むことが可能です。
また、輪廻の最後の歌詞である、花譜パート「未来を掴み取れ」にも同じことが言えます。
1番Bメロに位置する、春猿火とヰ世界情緒のハモリによって歌われる歌詞です。
これは言わずもがな、惨状の記憶が逆流した部分に値すると考えられます。
そしてこれもまた、2番Bメロ、同パート「フラッシュバックする意向」という歌詞ともつながっていますね。
また、ヰ世界情緒は輪廻にて、ラスサビ前の盛り上がりが頂点に向かうパートで歌唱を担当しています。
本来の流れからすると、花譜がセンターの楽曲だったゆえに、その部分も花譜に担当してもらうような形になるはずですが、ここで歌ったのはヰ世界情緒だった。
「再会」が臼杵咲良の物語に準拠しているのなら、「輪廻」時に生き残った佐渡島の少女が「立ち向かうさ」という言葉を胸に、歌っていた瞬間だったのかもしれません。
「輪廻」は繰り返される運命に抗う歌でしたが、「再会」はその絶望に一度は諦めるが、再び目を合わせて立ち向かうという歌でした。
輪廻という逃れられないような物語の土台があってこそ、再会という向き合う物語が出来たと考えられます。
ヰ世界情緒が担当した臼杵咲良がアニメオリジナルキャラとはいえ、本編の内容をしっかり踏襲した歌詞、そしてそれを踏まえた上でV.W.Pという魔女の物語も組み込んでいるMVだということが言えます。
これで考察は以上となります。
考察ってなんだっけ
─ 読まなくていい本題 ─
さて、本題です。
しかし本題と言いながら、「考察で終われせとけばいいのに」とツッコミが入る文章が書いてあるので、苦手な方や「危険を察知!」した方はここでお別れとした方がよいかもしれません。
そうなった場合挨拶なしに終わるのもいかがなものなのか、ということで、一旦言わせていただきます。
ここまで読んでいただき本当に本当にありがとうございました。
では、本当に本題です
今回の「再会」のMVでは、『現実と理想の差』や『解釈、考え方の違い』といった選択肢を持った映像であると筆者は考えています。
例えば、ジャケット画像で、何故、ヰ世界情緒だけ「夜河世界」なのか。
私服の五人の中で、何故、花譜だけ神建キャラデザではなく「私服形態」なのか。
何故、世界たちは走ったのか。
世界たちと情緒たちの繋がりはなんなのか。
あの理想の空間は誰かの妄想だったのか。
最後に花譜と情緒は手を取り合えたのか。
Cパートの意味とは
何故、神椿市建設中。との繋がりが垣間見えるMVだったのか。
再会だけではありません。「輪廻 acoustic ver.」で、何故、幸祜とヰ世界情緒は花魁鳥ではなかったのか。
それについて、公式が用意している正解や模範解答がある可能性は十分にあります。
また、「誰が見てもそうだ」という部分もないわけではありません。
一応私にも、どの疑問に対しても、一つの解として「こうじゃないか」という考察はあります。しかしそれはどう足掻いても「考察の域を出ない代物」であり、もしかしたらこれを読んでいる誰かには否定できてしまうものかもしれません。
このnoteで紹介した考察は正解でも模範解答でもない、私のいち考察、若しくはただの感想でしかないのかもしれません。
注釈で保険をかけ、言い逃れがしたいわけではなく、「その人の観方がある」ということを伝えたかった。
そのことを伝えるのに、「再会」のMVは何より適切だと感じた。
実はそれだけです。
昨今、「懐古厨」や「解釈違い」といった問題がないというわけではありません。
それによって集団に偏りが生まれ、一方が一方を許さないというような派閥のコミュニティが形成されつつあります。
そのことは否定することではありません。しかし、過激な思想はその周囲を傷つけてしまう恐れがある。それだけは本当に心に仕舞っておいてほしいと私は切に願います。
いきなりですがほんの少しだけ自分語りをします。
僕は、界隈の雰囲気に対して物申したことが一度ありました。
しかし振り返ってみると、それは相手のファンの在り方や、その人にとっての観測を傷つけるものだということに気が付きました。
不可解参(狂)で披露された、「狂感覚」という歌に、次のような歌詞が書かれています。
『花譜という世界は、「花譜」と「花譜を観る自分」、そして「花譜を観る他の人たちでできる世界そのもの」でできているんだよ』と歌った歌詞に思えないでしょうか?
神椿で『観測者』というワードが花譜に限らず使われているのは、「誰を見て、誰を推して、誰を応援していくのか。それには、その人の観測の仕方があるんだ」という意味に聞こえないでしょうか?
運命に抗う歌だった「再会」でも、様々な世界線がそこに混在し、どこへ向かうべきか迷う表情を見せた場面がいくつもありました。
どれが正しい世界なのかは、私たちが決めることではない。それは本人たちにすら決めることが難しい。
「正解だと思っていた世界が実は間違いだった」でも
「間違いでも私はこれをして進んでいく」でも
それらを運命は、ニヤけた顔で嘲笑っています。
ならば、自分と違っている考えがあって当然です。
そのことを「自分を正当化して目を背けている」という風にとらえるのではなく、「相手との違いを肯定し、共生する」ととらえるのは難しい話でしょうか。
一度は離れた界隈では、色んな彼女らがいました。肯定しづらいものも、とても趣味が合う物も。それに対して否定する言葉も肯定する頷きも何度も見てきました。
そのせいで言い争いが生まれた現場をリアルタイムで見てきたのは、私だけではありません。
何宗教めいたこと言ってんだよ、と思われるようなことですが、彼らは歌で、イラストで、立体物で、そのことを私たちに少しずつ、彼らのやり方で伝えてくれています。
少なくとも、私はそんな神椿たちが好きでここにい続けたんです。
もしかしたら、この蛇足の文章を読んだ人からは、憎悪や嫌悪、呆れや哀れだと思う感情を向けられてしまうかもしれません。そのことは覚悟して書いています。
いいように拡散されて、私を陥れようとする人も現れるかもしれません。そのことも覚悟して書いています。
ただ、
幾度もこんな話を紡ぎなおされて、界隈を取り込んだアーティストの世界は創られていく。
そう考えると、一緒に創ってみたくはありませんか?
手を取り合えとまでは言いません。ただ、罪以外でそこにある自分との相違を許してあげてほしい。
許すことが難しい罪に限りなく近いものであれば、目を背けず向き合ってほしい。
そんな厄介オタクな感情が、この曲を聞いてMVを見たときに起こってしまいました。なので私の責任じゃないです。
冗談はともかく、私がnoteを使ってまでして伝えたかったことは以上になります。
本当に必要のない本題でしたが、最後まで読んでいただき、本当に、本当に、本当にありがとうございました。
─ さいごに ─
《了》
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