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転の声 尾崎世界観

はじめに

尾崎さんが書く音楽の小説、とても楽しみにしていました。
2年ほど前から音楽についての小説を書いていると聞いていて、でもちょっと忘れかけていました。
もう書いてはくれないのだろうと思っていたら何の前触れもなく突然読める日が来て心の準備が出来ず読むのにも、感想を書くのにも時間がかかりました。

感想

転売についての世間の風当たりが変わり、高額転売が価値を持つという世界は今後ありそうと思ってしまうくらい作り込まれていて読んでいて、全く現実にはなって欲しくはないが面白かった。

プレミアやネットの声にしか興味のない主人公は見ていて呆れるほどで、魅力的ではないなと思ったけど、バンドの公式Xでの発言を見ると可愛らしい人で裏の顔さえ知らなければ好きになるかもしれない。

主人公はずっとエゴサーチをしていて『顔の見えないネットの声をいつも気にしている。こちらの顔色ばかり窺って決して本心を見せない、そんな周囲の人間の生の声とは違い、一切遠慮がない本音』とネットの意見を凄く重要視している描写があるが、芸能人がエゴサーチをすることが主流なった今、本人に見られていることを意識したファンの声(アンチも含め)は主人公が馬鹿にしている周りとさほど変わらないと思った。

私もクリープハイプのファンとしてツイッターをやっているが、本人の目を意識してツイートしているものも沢山ある。
本人に見られることを意識した言葉はどこか嘘っぽくて気持ちが悪い。

それでも、この話に出てくるファンのイタさとか気持ち悪さとか素直さとかは演者側から見た本当だとも思う。

また自分が歌えないことへの罪悪感からメンバーやマネージャー、お客さんとも向き合おうとしなかった主人公。
周りの顔色ばかり窺って決して本心を見せないのは主人公も一緒だ。
フロントマンとしてあるべき姿を自分の中で勝手に作り上げ、歌えなかった時罪悪感を感じる。
メンバーがどう思っているか、そこには向き合おうとしない。
上手くいかないバンド活動から逃げ、胡散臭い音楽起業家みたいなやつに縋った。
そして主人公は勝手に自分だけ助かろうとしている。

フロントマンの調子が悪いならバンド全体の責任でもあるはずなのに、自分だけの責任にしている。なのでライブが成功した時も全て自分の手柄にして、バンドなのに1人でやっているようだった。

なぜ周りにいる人間は主人公に手を差し伸べないのか。
なぜ周りの人間に主人公は救いを求めないのか。

ラストシーンでこの主人公は救われたのだろうか。1人のファンが向けた「定価の目」がこれからの主人公の光になるのだろうか。

『自立とは依存先を増やすこと』とどこかで見た。
この主人公の周りに頼れる人が増え、少しでも楽になれる日が来ればいいなと思う。

音楽の良さみたいなのはあまり書かれはいなくてミュージシャンが音楽を『定価の目』で見たような作品だと思った。




おわりに

(これは小説でありフィクションなので、感想ではクリープハイプや尾崎さんと繋げて読むことはしませんでしたがあとがき的な、別視点のおまけのような感覚でラストシーンのみクリープハイプのことして考えさせて下さい) 

発売日に文學界を買いに行き、3日かけて読み終わった後落ち込みました。

私はクリープハイプを失敗のプロとしてみたことは一度もないし、ましてやライブ中に声が出にくそうだったり歌詞を飛ばしていてもプロがする価値ある失敗と思ったことはありません。
プロがする価値ある失敗こそ『プレミア』なのではないか、それをみに来ている彼女は『プレミアの目』を向けているのではないか。
私はそう思いました。

ライブは一度限りで良い時もあれば悪い時もあり、それをみに行きたくて毎日を過ごしています。
クリープハイプのライブは非日常の空間に日常があるような居心地の良さがあるのが魅力だと思っています。
努力でどうにかなることばかりなら生きるのはこんなにしんどくはありません。
頑張っても報われることばかりなら死にたくなんてなりません。
根性論だけでどうにかなると思っている人が嫌いです。
そういうことをクリープハイプを好きになってから教えて貰ったと思っています。
クリープハイプを好きになってから勝手に何度も救われてきました。

プロがする価値ある失敗って何なんだろと思いました。
演者側からすると声が出なかったり演奏や歌詞を間違えることは失敗かもしれません。
でも私は喉から音源とか何オクターブの美声とかそういうのより静かに感動できるクリープハイプのライブが好きです。無駄に感動を誘うようなライブもその感動の中に入っていけないので嫌いです。
1人でライブに行っているので開演前はずっと暇だし周りは誰かと来ていて楽しそうな人ばかりで帰りたくなります。
でもクリープハイプのライブ中はこんなクソ人間でもクソ人間のまま、自分のままでいられます。
そういう空気を作れるのが尾崎世界観という人であれを味わいたいから行っているのだと思います。

最初に読み始めた時、ライブのシーンでの声の描写に読み進めるのに辛くなり一気には読めませんでした。3日かけて読み、ラストシーン前半部分でのファンのことを『好きだ』と言っているようなあの文章を読んでいる時、あぁやっぱりこの人が好きだなと思いました。書き上げてくれて、それを読むことができて幸せだと思いました。でも最後の最後でよくわからなくなりました。
自分の中での価値基準はあのラストとは違うものでした。
居たいから行くだけです。見たいから行くだけです。それだけです。