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自分のための冬至祭のすすめ

はじめに

 冬が来ると気が塞ぐ。扉の向こうに押し迫る冷気を察して外出を尻込みしている間にするする日が落ち、重たい雲が頭上に敷き詰められようものならいよいよ逃げ場がない。そうしてひとつ寝るごとにまた暗闇がじわりと幅を利かせていく。暗がりの中で自分の内の孤独と対峙する時間は人の一生のうちことさら純粋で切実な部分だと分かってはいても、毎夜をそのように過ごしていると、気づいたときには寝床のシングルベッドの裏側にびっしりと死が群がっている。悲しみの底から目を上げて光を捕らえるには、12月の太陽はあまりに弱々しく頼りない。

 冬至とは、北半球においては日の出から日の入りまでの時間が一年のうちで最も短いタイミングであり、日付でいうと毎年12月21日前後がこれにあたる。見方を変えると、これは縮みきった日照時間がふたたび伸びていく転換点だ。懐柔しようがない暴力的な暗闇の下にあって、その希望の速度は過去でも現在でもなく、力強く未来の方を向いている。「この長い夜が終わればきっとすべてが良くなっていくし、自分の(あるいは誰かの)生はそう信じるに値するものだ」と祈ることを止めてはいけない。そして、この祈りを表明するのに冬至は最適な機会だ。
 あるいはこの感覚は、自分が北国の田舎町の仄暗い冬生まれであることや、バブル崩壊後のどんよりした空気の中で子ども時代を過ごしたことが要因にあるのかもしれない。現在やこれまでの隆盛を祝うより、これから何もかもが大丈夫になっていくことを信じたい。そうしなければやっていられない、と感じる。対をなす節気のうち自分が夏至よりも冬至に惹かれる理由もここにある。

 こうして自らが納得できるかたちで冬至の日を祝ってみたいと思い、2018年の冬から毎年ごく個人的な祝祭のようなものを行っている。この文章はその経緯を書き留めて私的に振り返るためのものだが、これを読んで冬至、あるいはそれでなくとも自分の未来を祝福する行事をやってみたいと思った人の一助になればとても嬉しい。

冬至の歴史について

 自分なりに冬至を祝うにあたり、まずは毎冬スーパーの野菜売り場のPOPで刷り込まれ続けている「かぼちゃを食べる」だとか「柚子を風呂に浮かべる」などといったごく身近な習俗以外の歴史も踏まえることにした。太陽というおよそ恒常的で普遍的な自然にかかわる祝祭とはいえ、その成り立ちに箸をつけぬまま素朴に取り組むのはさすがにナイーブすぎるしきっと良いものだってできないと思った。
 そこで各地の歴史や習俗の中でも、自分の企みの趣旨に関連しそうなものを中心に、日本語で参照できる範囲で調べたものを簡易にまとめた。なお、少々文字量がかさんだため別のページに分けている。以降の文章はそちらを経た上での記述になるが、飛ばしてこのまま読んでもらっても構わない。

自分のための冬至祭を考える

 いくつか既存の冬至祭の来歴を参照することで、自ら取り組むためのヒントは得られた。しかし、日本で生まれうっすらとした仏教的観念の影響しか受けてこなかった私のような人間には西洋の宗教観はのめり込みにくく、「神」のような絶対的な対象に信仰を向けるというのもなんだかしっくり来ない。かといって、ユール古来の方法に習って丸太を引き回す…というように昔の習俗をそのまま踏襲するという方法は、この試みにおいては本質的ではないように思う。
 やはり「個人的」な祝祭である以上は、現代に暮らす自分の日々の生活と関心に則したものであるべきだ。そのような意味で、ここでやろうとしている行為は信仰に基づく祭儀ではなく、自分に閉じたセルフケアに近いものなのかもしれない。

 思案した結果、個人的に冬至を祝うにあたり、毎年の決まった形式や儀礼は定めない、という前提に至った。一年もあれば、人を取り巻く状況は大きく変わり得る。別の土地で暮らすようになるかもしれないし、あるいは体を壊してしまうかもしれない。昼夜のめり込む関心事ができているかもしれないし、いま会えている人に来年は会わなくなってしまっているかもしれない...。その時自分がどうしたいのかを熟慮することで計画は自ずと定まるだろうと思ったし、その勘は正しかったと感じる。すなわち毎年の冬至が自分が生きるうえでの欲望を問い直す機会になるのだ。この問いを絶えず続けていくことこそが人生でなければなんだろうか。

私的冬至祭の記録 (2018〜2020)

2018年

 親しい人の協力のもと、初めての冬至祭となる晩餐会を自宅で行うことになった。事前に区民図書館に出向き、民俗学の棚の前に張り付いて冬至についての調べ物をした。この日を祝うために、食に真摯な共同主催者は晩餐のメニューとそれに寄せた静謐な文章をこしらえてくれた。やさしい前口上のテキストには多和田葉子『雪の練習生』からの一節の引用があり、その中の「寒さは豊かさだ。」というフレーズがこの試みを美しく言祝いでくれているようだった。このメニューリストを紙面に編集し、紙と綴じ糸を見繕って、出力し、製本してテーブルに添えた。加えて私は、キャンドルの燃料としてではなく、光の受け皿として蝋を使った制作をしてみたいと思い、アクリル板に溶かした蝋を塗っていくつかのスタディを行い、窓辺に飾ることにした。翌日それらのパネルを見たとき、肌を透かすような柔らかさで静かに朝日を受け止めていたのを覚えている。
 手探りで覚束ない営みではあったが、自分自身が何かを望みそれを信頼する他者と初めてかたちにできたこの日のことを、これから何度も思い出すのだろうと感じた。

2019年

 この年はすっかり気力が摩耗していた。自ら手を動かすことから離れ、場所と体験に身を投げ込むことにした。またこのときの私は生きていくうえで仕事とどう向き合うべきか悩んでいたこともあり、社会と労働と自分との関係を相対化して捉えるための実践を兼ね、鹿を解体するワークショップに参加して猟師の生活や猟友会について尋ねたり、里山の古民家に宿泊して現地での暮らしを想像したりした(いま振り返ると自分にしては選択肢が極端すぎるのだが当時は真剣だったし、とにかく気持ちが擦り切れていた)。またこれとは別に、動物と共に生きるという可能性の手触りを得たくて、セラピードッグと過ごすことができる施設も訪ねた。
 全体を通して祭という趣からは離れたものの、それはそれで無理がなくよい選択だったように思う。前の年に引き続き同行者がいてくれたこともありがたかった。なお、結果として自分には山間の集落に腰を落ち着けて暮らすのは全く向いていないし、動物よりも先に人間と生きる方法について見直した方が良さそうだということが分かった。

2020年

 私的な冬至祭を始めてから三年目となるこの年を、私は仕事を除くほとんどの時間ひとりで過ごしていた。もともと一対一での対等で密な交友ばかり好む狭量さに、精神的な疲弊と疫病の流行も相まって、このころ同居人や固定した関係の友人がいなかった私はあっという間に誰とも会わなくなってしまった。それでもなんとか外の世界とのかかわりを保つため、当初から頭の中にあった冬至のための作品を作るという考えを実行に移すことに決めた。
 やはり光を迎えることに関心があったので、板ガラスで像を作ることにした。ガラスの加工経験は多くなかったし材料を見たり購入したりするあても無いので、まずはステンドグラス作家の方に連絡して話を訊いた。すると快くアドバイスを頂いて別の教室まで紹介してもらい、ありがたいことに、その工房の設備や道具を借りて制作を進めることができた。「作る」といっても、こうして相談や調べ物や買い物をしている時間に大部分を割いている。だが、とにかく目的のために動き回っている間はずいぶん気が紛れていたように思う。毎週土曜の朝に工房に通い何度かスタディを重ねて、冬至までには習作程度のものなら何かかたちにできそうな手応えを得ることができた。

 工房通いと並行して冬至の日をどう過ごすかを考えていたが、この年は完成した制作物を持って山あいの貸別荘で過ごすことに決めた。誰にも会わず、自分のしてきたことを静かに振り返る時間がまだ必要だった。そうして出発の日、私はウイルスと移動と自分の気持ちとを天秤にかけ、どうにか間に合わせたガラスの像と若干の罪悪感を抱え、押し黙って電車に乗りこんだ。今年はじめての雪を慣れない土地の知らない駅舎で踏む。麓のスーパーで3日分の食材を確保し、せめてこのくらいはと思って、量を飲める訳ではないけれど少し高価な地酒も購入した。現地に着いたあとは、キッチンに用意してある調味料でできる範囲のシンプルな食事をこしらえて、暖炉の火が消えないように見張ったり人の気配のない戸外を散策したりして過ごした。
 この日に合わせて連れ込んだ成果物は3体あった。それらを窓辺に置いて眺める。すると、もはや光を迎えて未来を祝うという趣旨そのものは遠のき、自分がしてきた行為が目の前に質量を伴ってあるという事実それ自体がひどく大事なことのように思われた。その確かさはこの一年が報われたことと、この冬至から私の新年が始まることを自ずから物語っていた。

おわりに

 この文章は2020年の暮れに書いているが、制作はきっと今後も続けていくだろう。まだ習作段階ということも勿論あるが、何よりも冬至に向かって一年を過ごすというプロセスが、私の人生を前にすすめる装置として機能してくれた。加えて、速度がついたらあとは勝手に進んでいくのではないかという淡い期待もある。
 自分は今、乾いた個の時代に生きていると思う。自由な生き方が尊重される傍らで、かつてのような拠り所としての家族や会社や地域の共同体は引力を失った。社会のシステムはどうにも頼りないし、かといって立ち還って信仰を捧げる神もいない。
 この文章と始めたばかりの制作活動は、寄る辺ない無重力の世界に放り出されてもなお、自分にできるやり方で他者と共に生きていくために投じた糸のようなものだった。これを手繰り寄せた先の場所におだやかな光が満ちていることを夜明け前の暗闇から祈っている。

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