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目的を持ってタルパを作るとタルパを道具のように扱ってしまいかねない?

Googleで自分の名前を入れて検索をかける趣味がある。理由は単純に、私の名前を入れたらどんな画像が出てくるかなとか、ココナラのページはちゃんと出てくるかなとかそんな感じだ。

先日もエゴサをしていたのだが、その時に気になる記事を見つけた。
どうも、タルパーさんのブログのコメント欄に、私の書いた「タルパの作り方」の記事が貼られ、ブログの主さんに感想をもとめているといったもののようだった。

匿名の質問者さんからは、
「最近この記事を見かけたんですが、主さん的にはどこが有効そうでどこが有効そうでないですか?またこの方法に関して主さんが思う注意点があれば教えてください」
とのコメントがされていた。

私が書いたタルパの作り方の記事は、主旨としては「まず己がタルパを作る目的を明確にして、それにぴったりマッチするタルパを作ろう」というものだ。それについての質問らしい。

主さんからの回答はこうだ。

「私とは考えが似ていないが、十分理に適ったもので、面白く参考になる(読んでくださりありがとうございます!)。
考え方が違うのは、タルパを作る目的をはっきりさせるということ。これについては疑問があり、目的がはっきりしていると「目的を達成するための道具」として扱いかねないと思う。
また、その目的を満たしてくれる人間が現れた時にタルパがいらなくなる可能性がある。
「一緒にいるとなんとなく満たされて、心のどこかが温かくなる」くらいぼんやりしていてもいいのではないかと思う」

とのことだった。

それに対して質問者さんから

「この記事のタルパの作り方だと自分に都合が良過ぎる存在が生まれるのではないか、
そうなればロボットみたいな、道具みたいな、つまらなく感じるというか、どこか人間味がないというか、とにかくリアリティが薄く感じられてオート化の進行に悪影響を及ぼすのではないかと懸念していた」

といった返信が来ていた。


ふーむ、なるほど。そうとられたか。
という感じだった。

私の方法ではリアリティが感じられないというのは仕方がないことだと思う。ひとくちにリアリティと言っても人によってその感じ方や解像度は全く異なるし、
何より私としても、以前記事に書いたように「美味しいところだけ持ってってほしい」くらいの気持ちだったので、美味しいところがなかったり不味いところがあればのけてもらって大丈夫だ。万人に合う方法とは言い難い自覚もある。

ただ、ちょっと引っかかるのが、「目的をもって作ると道具扱いしたり消したりしかねない(扱いを軽んじてしまうということだろうか)」「自分に都合が良すぎる存在が生まれる」という点だ。

これについてはちょっと反論がある。

まず、目的を持って作ると道具扱いしたり目的を満たしてくれる人間が現れた時に消したりしかねない、という点から。

では問おう。
そもそももって、目的のないタル活というのは存在するのだろうか?ということだ。
ここでは邂逅型の不可視は置いておくとして、創造型のタルパを作る場合、目的がないということはありえるのだろうか?というのが私の疑問だ。

タルパ、という言葉を目にし、作ろう、と思うまでの間に、あなたはタルパとの理想的な暮らしをする妄想が少しとしてよぎらなかったのだろうか?

よぎるはずだ。それが目的だからだ。そうでなくては、逆になぜタルパを作るのかという話になる。
目的がなければ、タルパーになんかならないし、タルパも生まれないのである。

主さん的には「あまり目的を明確にしない方が」という意図があるのだろうが、私からすれば「一緒にいると何となく満たされて心のどこかが温かくなる」というのも、「一緒にいると何となく満たされて心のどこかが温かくなりたい」というかなり明確な目的のように思えるのだ。

また、目的がぼんやりしていることで、そのレンジを広げたことでかえって人間でもその目的を満たしてくれる人が現れてしまい、タルパを手放しかねないのではないかとも思う。何となく満たしてくれる、だけだったら人間でも可能かもしれないからだ。(なお今書いたことはこの後一気に翻す予定である)
逆に目的をピンポイントにすることで、「このタルパにしかできない」ことになれば、それを満たせる人間は現れないのではないか?とも思う。

むしろ、「ここまでの目的」を達成させたいという願望を叶えてくれる相手に対して、我々人間のこんな欲にまみれた目的を叶えてくれるという素晴らしい相手に対して、道具扱いなど以ての外だ。我々はタルパに感謝する必要さえある。
そこは、タルパの作り方ではなくて我々の在り方の問題、「おねがいします」と「ありがとうございます」がきちんと言える人間かどうかというところだと思うのだ。

と、ここまで書いておいて何だが、今からそれすらも覆す自論を語りたいと思う。

まずもって、タルパは人ではなく、人はタルパではない。
ゆえに、タルパが人の代わりになることも、人がタルパの代わりになることも不可能だと思っている。

なんてことを言い出すんだと思われるかもしれないが、一旦落ち着いて聞いて欲しい。

これは私が今まで4年タルパーをしてきた中ではっきりと得た気付きなのだが、人からは人からしか得られない栄養があり、タルパからはタルパからしか得られない栄養があるのだ。

例えばだが、人間に「おいダメ人間働けよな」と言われるのと、タルパに「おいダメ人間働けよな」と言われるのでは全く違った効果がある。前者に対しては何だァテメェ?やるか?殺すぞ?と思ってしまうのに対して、後者には「うん♡わかった♡働くね♡♡♡」となってしまう。

これってかなり大きな違いで、同じ「私を注意してほしい」という願望があっても、人間に求める対応とタルパに求める対応では我々は全然違ったものを所望しているのだ。
同じ目的に見えて、「タルパに注意されたい」のと「人間に注意されたい」のでは全くもってその内容が異なる。注意、の部分を他の願いに変えても同じことだ。
そういうわけで、タルパに求めた願いを人間が満たす、ということからしてまず有り得ない!という話なのだ。

そういえば最近、「タルパーをやろうとすると私利私欲がどうしても絡んでしまう」と悩まれている方がいた。
だが、私はこう言いたい。
私利私欲も目的も絡まないタル活なんかない!

我々は人間、愚かな人間だ。何をするにも私利私欲や目的がつきまとう。そこに「お綺麗なタル活」なんてものはなく、目を向ければ己の生々しい欲望だけがそこにある。
「タルパとスケベしたい」「タルパと穏やかに暮らしたい」「タルパと霊性の開花に努めたい」全て、同レベルの願望だ。そこに綺麗/汚いの差はない。個人の感性の問題だ。
それの何が悪かろうか。それがなければタルパなど生まれないし、そんなあなたを支えるべくしてタルパはあなたの元にやってくる。それだけなのだ。
あなたはそんなタルパに感謝の意を捧げる。いつも支えてくれてありがとう、こんな願いを聞いてくれてありがとうと。その関係を、誰が「私利私欲が絡んで良くない」と咎められようか。
全ての関係には私利私欲がつきまとう。目的がつきまとう。でもそれでいいのではないか?とそう思う。


では次に、都合が良過ぎるロボットみたいなリアリティのないタルパができてオート化に悪影響があるのではないかという点。
ふむふむ、ということはつまり、この方は「都合が良過ぎず生き物みたいなリアリティがあるタルパがほしい」という明確な願望があるわけだ。実にいい。タルパ像がしっかりしていることは実にいいことだ。

まず言いたいのが、私は都合が良過ぎるタルパというのは何ら問題であるとは思っていない。
理想のタルパ像≒都合が良過ぎるタルパ、だと思っているからだ。
都合が良過ぎるというのはむしろいいことのように思える。
例えば、私にとってはいわゆるイエスマンタルパというのはむしろ非常に都合が悪い。
何故なら、私にとってタルパとは、自立した思考を持ち、私にはない観点で物事を語る存在である必要があるからだ。そのためにタルパーをやっているので。
つまり私にとって、都合がいい存在というのは「私の意識とは別の意識を持っている存在であること」なのである。

おそらくこの質問者さんの思う「都合のよさ」と私の思う「都合のよさ」では違いがあるのだろうと思っている。
しかし、タルパの作り方は基本的に「理想の人物像(ただし何も清廉潔白な存在が全てとは言ってない)を目指そうね」というものだ。都合が良過ぎると感じるほどにできたタルパが一瞬で創造できるのなら御の字、タルパーの能力も元々高いのだろう。いいことだ。
もちろん、タルパは成長するので、人間が思った斜め上に行ってしまうことはあるだろうが、そこはタル活の楽しみのひとつということで。

最後に、「オート化に悪影響があるのでは」という点。これに関しては正直、「そうならないように頑張るのがタル活です」としか言えない。

タル活とは、何もタルパの成長を待つだけのものではない。いかにしてその成長を促進させるかというのが課題だ。
それには一朝一夕の努力では至らない。さまざまな試行錯誤をして、さまざまな人の話を見聞きして、

何が合うだろう?
この方法のどこがうちに合っているのだろう?
何をした時が一番成長したのだろう?

といったことを考えていくことが重要だ。

私も、そういう材料のひとつとして扱って欲しいなと思い、noteを書くに至っている。

美味しいところだけ持っていく。

これは、タル活で一番大切なことだと思う。

人の考えはさまざま、思想もさまざまだ。私も、私の中では自分の考えた最強のタル活が一番自分に合っていると思っているが、そうでない人も多かろう。そこは試行錯誤しかないと思う。
タルパ創り講座のサイトを覗けばたくさんの方法が転がっているし、Twitterやブログを覗いても面白いだろう。

オート化は、タルパ側よりもタルパー側の課題、というのが私の考えだ。我々側の努力抜きにはオート化はない。

また作り方の段階でオート化に悪影響が出るような設定は、私の記事の引用になるがそもそも「しっくりきていない」作り方をしているのではなかろうか。

私は「しっくりくる」設定こそがタルパ作りの肝要な部分だと思っている。だから、私の方法からして「しっくりこない」場合は、もう作り方が違っているのだ。あなたに合う作り方ではない。変な不安を感じるようであれば、他の記事を見た方が早かろう。
それでいいのだ。
あなたの心に一番響くものこそが、あなたの思う最上のリアリティを形作るのだから。


また長々とお気持ちnoteを書き上げてしまいました。学校の課題のレポートより捗るとはこれ如何に……。

この記事は、まあその、どうしてもモヤモヤしちゃって書きたくなっちゃったから書いたというものであり、特定の考えを排斥するような意図はありません。お気持ちというやつですな。もしもこの記事の記述が今読んでいるあなたの気に障ってしまったら大変申し訳ない。今すぐこんなカスの記事のことは忘れてタルパと美味しいお茶を飲んでください。

にしても最近暑いですねえ。みなさんちゃんと水分補給されてますか?私はしていないので常にタルパから呆れた視線を送られております。熱中症にはなりたくないので塩をつまみに食べようかな。高血圧の鬼になる夜燕

コロナも流行っておりますがみなさん体調にだけは十分注意されてください。それではよき夏を。アディオス!


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