AI絵について。

AIの絵。

そもそも1人の人間の絵柄をパクったり悪意に基づいて行われるAI創作は本当に嫌いだし、AI絵は『絵』としては評価を付けたくない。

絵じゃないんだよ。
画像ではあるけど、少なくとも絵にまとめたくないよね。
私は絵描きのお気持ちとして同じ括りで同じ評価軸で見られるのはイヤ。
足使うバスケと車椅子バスケの評価軸が全部同じなわけないやん。
どっちもズルじゃないし、同じ競技として扱えないでしょ。

絵として評価するなら、絵の評価には線やタッチの巧拙が関わってくる。
AIで線一つ一つの太さまでは変えないでしょ誰も。
いたらすごいが、それでもやはり手書きの絵と同じ評価軸には出来ない。

やってることが違う。
そんなの見たらわかるよね。


けど、『現代アート』として用いる流れは遠くない未来に受け入れることになると思う、とは思っていて。
逆にそうなれば「『絵』とは違うよね」という風潮も生まれると思う。

言うなればコンセプチュアルアート、レディメイド、ポップアートみたいな、なんかそういうヤツ。


AI問題に付き纏う、人の著作物ですよ!という意見に対しては、
人の著作物を勝手にコラージュして販売したり、人の著作物で2次創作して小銭をもらってるものが全然看過されてる時点で……ってお話ですよ。

私はファンアートとかもらうと嬉しいオタクだけど、創作者みんながそうなわけないでしょ。
人の手だからオッケー、じゃないんです。
寛大な創作者さんに、許していただいてるんですよ。

商品パッケージのロゴとかモデル雑誌のモデルさんの写真だって、ジャキジャキ切り貼りされるために創られてないよ?別に。
ないけど、法ではOKじゃないですか。そういうことですよ。

https://www.kyoto-art.ac.jp/student/teaching/guide/pdf/basic/05.pdf

こちらのQ8が参考になります。
写真のコラージュでも、同じ写真から6分の1使った作品は著作権の侵害が認められたりしてるわけですね。


だからAIはその点、何の画像を引っ張ってくるか分からず、もしかしたら同じ絵の6分の1、いやそれ以上を真似てくるかもしれません。だから、リスキーではあります。
自分で作ったコンセプトのつもりが、AIに吐かせたら他人の構図や色合いやデザインをパクってたことになるかもしれないですから。

めちゃくちゃ新しい試みが出来る自信があるならいいんですが(爆乳機関車とか……)、雑にサブカル女子とかに設定したら、それのみで作品としてお出しすると私のに似てます!ってあちこちから言われかねません。


手書きをしない分の工夫は要ります。絶対に。手数ではなく、頭を捻ることになるでしょう。

気持ちとしては、『絶対にAIでないと出来ないこと』でないのならいっぺん筆くらい握りなさいよとは、思います。正直ね。


筆握ってたって、ポーズが似てるとかデザインで似てるとかで因縁つけられる世界ですよ。
様々な先駆者の創作物を食ってようやっと出来た脳味噌からひりだしたアイデアが、完全に自分だけのオリジナルだと言い切れるほど自分の絵の独自性を信じられるわけがない。

私だってプライド持って描いてます。だから頑張って描いたものをお前は後出しパクリだから消せとか言われたらもちろんキレたくなりますよ。
ありふれてるものを描いてないってみんな思いたいです。けど、人間がこんだけいてアイデアは被らないことないでしょ。


私は、私とか私の好きな絵描きさんだけ真似て、廉価版を生み出されるような真似は普通にイヤです。

……イヤですが、本家の絵柄にめちゃくちゃ寄せたBL漫画とか、あるでしょ。
クオリティ高いやつ。
人の手による熱い思いはあるかもだけど、それ抜きで作品だけ出されたら人によっては冒涜と見ますよやっぱり。
野生の本家とか軽々しく言いますけど、むしろそっちの方が描いた創作者としては気持ち悪くないですか?
ましてそれでお金もらうなら尚のこと。

でも、現在それは善意によって許されているものがほとんどです。
ここが本当に難しいところです。
だから2次創作ガイドラインみたいにAI学習におけるガイドラインも要るかもしれません。

ただ、学習を絶対にするなというのなら、AIに吸い込まれないような対策を取った方がいいでしょう。

先程コラージュの話を槍玉に挙げましたが、雑誌やパッケージは既に『市場』に出てます。
市場に出てたら切り刻んでOKであるとするのなら、無料でも見て感動することが出来る、そして無料で見てもらい感想をもらえるネットもまた、『無料の市場』に出ているんです。

金銭が発生しないだけで、供給と鑑賞・感情的な消費は既に生まれています。

そもそも、ネットはいつでも悪意に晒されていることを忘れてはなりません。
怨憎会苦に包まれたXの炎上ツイートなんか見たら分かるでしょう。
そんな場所に我々は作品を無料で展示しています。


みんながみんな著作権法守れるほどリテラシーありません。

アイコンとか半数以上は無断転載のイラストですよ。
今どきのネットユーザーは子どもも多いし。

SHEINでは無名のイラストレーターやデザイナーの作品やアイデアが勝手にパクられて、それをみんな普通に買っています。
みんなのアイデアの一般化じゃなくて、明らかに特定の存在からパクったり転載してるやつ。

でも、分かんないなら買ってしまうでしょう。買う側が悪い!と言おうにも、そもそも買う側にはそこまでの発想とかなかったりしますから。
創らない者の気持ちが我々にはあまり理解出来ないように、創る者の視点もなかなか理解させにくいんですよ。

漫画やアニメの作品や、市販品のデザイナーや写真家が、もう不可逆なほど勝手に作品を使われていく流れにあるのを見るに、我々だけが全ての無断使用・転載から守られることはないでしょう。もう既にその流れに自分達は入っています。

だから、どうやって折り合いつけるか考えた方がいいです。
pixivでもファンボックスじゃないと見られないようにして月に100円でもいいから取るとか。
そうすれば簡単には画像を引っ張って来れなくなるし、持ち出した人間は明らかにクロに出来ますでしょ。

お金取るなんてと思うかもしれませんが、少しでも自分の魂がかかったものを守りたいのであれば取ってもいいと思うし、誰かは気にして買ってくれるとも思うのです。
あなたの作品には価値があるし、すでに自分で価値があると知ってるから自分の絵を取られたくないんです。

AIやそれを作る人は、もう存在します。
それらと別に、AIをただ悪用したいだけの倫理観や社会性のない人もまた存在します。

後者は、ずっと前からいます。
AIなんか出てくる前からです。
今後もいなくなりません。

極論、AIはただそこにあるだけで、使わなければ何も生みません。
生む人によって、特定個人のアイデアを真似ない新規性のあるものの創作に用いられることもあれば、特定個人の廉価版を考えなしにつくられたり、または良くない考えのもとにそういったものを用いられることもあるかもしれません。

そこでAIに矛先向けてたら埒があかない。

まして!AIの絵柄に似てるだけでAI画像(だからダメなやつ)だと言ってみたり、AIっぽいから愛がない絵柄と言ってみたり、本末転倒もいいところです。

どんな絵柄でもみんな頑張って描いてますよ。
AIみたいな絵ってことはそれだけ塗りが重厚なんですよ。力は込められてるに決まってますよ。

AIかも分からないうちから叩きに叩かれた某件、イラストレーターさんが見てたらどう思うんでしょうか。

近頃の反AIの流れには、本末転倒のすえ逆に絵描きへの攻撃のような行為をされる方も増えてきました。
絵を描いたこともない人が、悪意の捌け口として誰かに乗っかって色んなものを叩くとか、本当は見たくないからミュートしますけど、今こうして愚痴らないと気持ち悪くて。


あと、人にはグロテスクで変なものにしか見えないものを芸術に昇華出来る人って、やっぱりいます。

AI画像はそれ単体だとつまらないですが、それこそそれらをコラージュしたり、グロテスクさを際立たせてメッセージ性を表に出した現代アートも作れるでしょう。

新規性のある内容を打ち込めば、誰とも被らない構図もできるし、……欲を言えば、ただ画像を作るよりかはインスタレーションみたいに空間とか作って欲しさはありますね。

と言っても、私はAIを使ったコンセプチュアルアートっぽいもので気に入ったものってまだ1人しかいないんですけどね。

でも1人でもいるなら未来は明るいな
と思って鍵でひっそり見守ってます。
RTは苦手な人のためにしませんが。

私は、自由の恩恵を受けてここまで絵を描いてこれています。
そしてその恩恵は、私だけを育む訳ではなく、私が表現者だと認めたくないような人にも注がれています。
でも、全部無くなってしまったら出来ないことがたくさんあります。
それは多分、みんなそうです。

真っ向から敵意と憎しみを向けるのは簡単ですが、その中にも表現を模索している人がいることは忘れてはいけないように思います。
たとえそれが、みんなには気持ち悪く思えるものや、生理的に嫌いだと思うものでもです。

敵に見えて仕方ないのであれば、絶対に踏み込まれないような自衛が要ります。
AIってまだ、自分から現実空間のギャラリーに赴いて作品を吸いに来たりしてないし、お金という壁で阻むことも出来ますし。

ある意味、無料で何でもかんでも見られていた時代から、自分の作品に最初から価値を付けて敷居を高くする時は来たのかもしれないと、そう思うことも出来ます。
私は、発表の場は今後現実空間を主としてやっていきたいなとは考えています。


全ての表現者が、表現に真摯に向き合う限り、その努力が報われることを切に願います。



P.S.
これは『芸術としてのAIの苦手な部分と、少し引いて見た時に感じるその活路』についてであり、AI全てをひっくるめた話題ではありませんことをご了承ください。

それでも私の意見が無理だと感じられたら、その時の対応はお任せいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?