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『LEON』観た。
(画像引用元)
※この感想はネタバレを含みます※
家族を惨殺された12歳の少女マチルダは、隣の部屋に住む殺し屋レオンに助けを求める。戸惑いながらもマチルダに救いの手を差し出すレオン。そこから二人の奇妙な共同生活が始まった。弟の仇を討ちたいというマチルダにしかたなく殺しのテクニックを教えるレオンと、読み書きもできないレオンに文字を教えるマチルダ。やがて二人の間には父娘とも恋人ともつかない愛情が芽生えていくが…。
(引用元 Amazon)
1994年に公開された映画である。米仏共同制作。
邦版のキャッチコピーは「凶暴な純愛」。
この「凶暴」というのは何を指すのか。
主人公は殺し屋だし、ヒロインの境遇も境遇ではある。
二人の間に生まれた感情は二人を大きく変えたが、それだけでは収まらない。この映画を観た者に漏れなく牙を剥き、情緒をがむしゃらにかき乱す。
この映画では、「なぜお互いの間に感情が芽生えたか」ということがはっきりと描写されていない。なのに、二人の抱く感情を理解できる。
窓からさす光がカーテンを透かすとき。見上げた窓に観葉植物が置かれていたとき。飲み物を頼むとき。誰かと共に眠るとき。
永劫とは言わないまでも、しばらくは二人のことを思い出すし、少し息が詰まるだろうと思う。そういう表し方をする。
マチルダがレオンに「愛している」と伝えるシーンが幾度かある。だが、私はそれを愛と呼びたくないと思った。こんな高尚で美しいものを愛だなどと表したくない。もっと特別で、それだけのための言葉で呼びたいと思った。
対するレオンはマチルダにキスもしなかったし、手を繋ぎさえもしなかった。一度同じベッドで眠っただけである。
だが、マチルダの弟の仇は殺した。
仇もろとも自爆したのだ。
「マチルダからの贈り物だ」と無骨なリング、つまり手榴弾のピンを手渡して。
「私が欲しいのは、愛か死よ」
かつてそうレオンに言ったマチルダが、銃痕だらけの二人の部屋で、レオンの血の匂いの中、望んでいたことにきっと死はなかったけれど、レオンは死んで、愛を表した。
これ以上のプロポーズがあるだろうか。
私が観たのはレオンの完全版で、公開された際にカットされたシーンを補ったものとなっています。そのシーンがあるのと無いのとでは、また二人の感情の見え方が異なるそうです。どれだけ繊細な映画なんだ。
情緒が回復したら、そちらの方も観て違いを比べてみようと思います。
以上。
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