見出し画像

文化吸収記録 2021年2月前半戦

去年の暮れにある美術館に出会ってから、美術館で働くことに興味を持っています。

ひとまずいろんな例を知ることかな、と美術館や博物館、個人経営のギャラリーなど「展示」と名のつくものを調べて見つけては通う、という試みを今年から始めました。1月末から春休みに入ったので、時間も十分にあります。
東京、美術館や博物館やギャラリーがもう山のようにありまして、正直行っても行っても尽きません。最高です。

更に、最近すっかり読書ができない体になっていたので、本の虫再就職を狙って読書を再開したり、映画を観たり、前から観たいと思っていたアニメを観たり、時間があるのをいいことにいろいろと手を出し始めました。

とても楽しいし、学びになっています。自分の中の感性や知識がかき乱されて何かが形成されているのを感じます。
しかし、このままいつか作品になるのを待っているだけだと私の中で変にきれいなぐちゃぐちゃした塊になるだけな気がして、それはそれで好きなんですが、言語化されないまま何かが押しつぶされてしまうのはちょっと勿体ないな、と、最近思ったのです。

殴り書きでもいい、とにかく外に出すこと、読まれることを意識して書いてみよう。と思い立ち、筆を執りました。というわけで文化吸収まとめ、2021年2月前半戦の模様をお送りします。


既に終了したコンテンツについては内容にしっかりと言及しています。
現在も行けたり観れたりするものに関しては、詳細に書くのを避けました。

2月5日 安部悠介 個展

所用で大学に行ったので、その帰りにふらっと。初めて一眼レフを持って赴いたギャラリーになった。許可をとって撮影させていただいた。

入口からしてもう好み。入ってすぐの階段の脇に本積まれてるのもかなり好き。次行ったときはもうちょっと時間かけてここも見たい。

階段を下りて空間に出ると、淡いピンク色の壁に作品がかけられている。
壁の色がすてきだ、と思ってお話を伺うと、作家さんの希望で壁をこの色に塗った、と言われてかなりびっくりした。

偶然他に人もいなかったので、キュレーターさんにいろいろお話を伺う。このギャラリーのこと、絵の値段のつけ方、個展の開き方、作家さんについて、などなど。

今回の展示は、この作家さんの今までの作風とはちょっと趣の違うものらしい。絵、とも立体物、ともいえる、ちょっと不思議な作品群だった。今までの作品集も販売されていて、それを見ると確かに今までのものとはかなり違うように見える。

印象深かったのは、一見白に見える面をよくよくよく見るとその下に薄く他の色が透けているのが見えたこと。塗り重ねられた色が影にうつったり、角に僅かに残されている。

ただ白を塗る、ということと、色を塗って、なにかを貼って、塗って塗って貼って、剥がしてみたり、放置してみたりもして、そして最終的に白になった、ということは大きく違うな、と。なるならこういう白になりたい。
「朽ちた杭」という作品が一番好きでした。

2月9日 映画を4本観る

友人と一緒に一日中映画を観ました。イオンシネマにて。8時くらいから20時くらいまで観ていたのでマジの一日中です。
これは既にTwitterの文化吸収記録アカウントで感想を書けているので、引用しつつちょっと鑑賞しながら思っていたことについて綴りたい。

作り手側の視点を持って作品を観るということを、大学生になってからよりやりやすくなった気がする。意識的にその視点を持つというより、作品を観ていると自然にそうなっている。
最初の二本は、割とその視点が生きたまま観ていた。当日書いていたメモを見ても、演出がどうとか色がどうとか、そういうことが多い。

ただ、「さんかく窓の外側は夜」を観終わるあたりで、うまく言えないが少し精神的に苦しくなってきていた。苦しい、とも本当は少し違う気がするが言葉が見つからない。

映画を観て何かをふ、と感じた時、自分の中にそれを感じられるアンテナがあることに気づく。反対に、アンテナがないことに気づくときもある。そのアンテナについて脳裏で思考をしながら観ていると、次第に情報量が多くなってくる。
画面の向こうで起きている事実の分析、登場人物への感情移入、演出などを観ている作り手側の視点、自分自身への気づき、気づきの深掘り、と、無意識にどんどん思考や分析を進めてしまう。止まらなかった。
そこそこスタミナが削られていた。だから、三本目がいちばんきつかった。

作り手側の視点など全部吹っ飛んだ。ただひたすら浴びた。思考とか分析のフィルターとかを通過せずそのまま自分に降り注いでぶっ刺さって、おかげで一番心にきた。ぼろぼろ泣いた。

4本目は逆に山を越えて、半分放心状態で観た。
1、2本目は「観た」。3本目は「浴びた」。4本目は「眺めた」という感覚が鑑賞の姿勢として近い。
まさに滝行で、水圧とか水温をもう一身に感じながら、自分のことも考えて、気づく機会になった。

映画には意味のない描写などほとんどない。それに染まりすぎて、帰るとき、駅のホームに立っている人も、自分の足音も、自動販売機のボタンの光も、全部が何かの意味を持った演出に見えてちょっとおかしかった。

2月10日 石岡瑛子展

もう今書きながら私は何をしているんだという感じですが、1日に4本映画を観た翌日にデカめの展覧会に行っています。自分ながら本当によくやったな。

石岡瑛子展、情報公開されたときから行きたくて仕方がなくて、彼女が衣裳デザインを手がけた映画「落下の王国」も友人にわざわざお願いして録画してもらってもうやる気十分! という感じだったのに色々あってこんな終了ぎりぎりになってしまった。
そんなことをしていたので予約チケットが全て売り切れていて、当日券を買い求めに行ったらなんと80分待ちだったので本当に色んな意味で戦いでした。でも戦って良かった。

とにかく人が多い! というのが第一印象。石岡さんのお仕事の中でも有名なPARCOのポスター(画像引用元)とか、そういうものが大きな空間のなかにたくさんあって、それを人波の中でみる。

最初は人が多くてそれに気をとられそうになったけど、そんな環境の中でも鑑賞できたのが怖いくらいだった。
つまり「人に遮られようが一瞬しか相対できなかろうが、はっきりと何かを思える」という性質がポスターとして完璧であることに気づいて、あぁやられたなんて強さだ、とクラクラしていた。

石岡さんのインタビュー音声がBGMのようにずっと流れていて、手がけた作品群をみながら歩いていると、たまにふっと気になる文字列が入ってきたり、言葉がひっかかったりする。そうやって彼女の仕事とかその裏にある強い彼女の意思や個性に、目から耳からどんどん染まっていくようで。
最初に聞こえてきて思わずメモをしてしまったのはこの部分。

……それで映画なんか見るとものすごい汚い表現がいっぱい出てくるわけです。それはその専門家がいるわけ。見事にそういった汚れとかね、作れるんですよ。すごい楽しい仕事だけどね。
だからそういう汚いとかね、汚い美みたいなのを、反対側から自分をもう一回鍛えなおすとかそういうことをやらないと、なんかこのままツルツルピカピカではちょっと……情けないっていう思いはすごくありましたね。それはすごく改革されていってると思う。……

途中から私は衣裳とかデザインというよりも、そこから透ける石岡瑛子というひとりのデザイナーを鑑賞していた気がする。

あととにかく衝撃だったのは、美術館の変わりよう。
上京してから初めて行った美術館が東京都現代美術館で、一度行ったことがあるぶんその衝撃が本当に大きかった。衣裳やポスター、展示するもののために、知っているはずの空間が全く知らない形になっていた。壁の色も床の色も違う。もうそれどころの問題ではないくらい違う。こんなに変わるんだ、知らない場所みたいだ、と思った。
でもこれはたぶんこの規模の美術館だと当たり前のことで、それが常に行われているのだと思う。ちょっと悔しい。

空間が綺麗だった。見事だった。オペラの衣装がたくさん並べられているまるで大広間のような空間に出た時、思わず息を呑んだ。感動した。
そのとき漏れた吐息とか、空気の少しぬるいかんじとか、そういう感覚を今でも鮮烈に覚えているくらい。

石岡さんは、舞台やサーカス、オリンピックの開会式、MVなどのプロデュースや衣装の担当もされている。それらに関連する展示は、映像と、衣裳そのものやアイデアスケッチで構成されていた。映像を映すためのスクリーンが何枚も下りて、その傍に実際の衣装が展示されていて、その美しさや躍動感に圧倒された。設計図がみたいくらい。

一番好きな作品は決められないくらいだし、あの空間ごともうずっといたいくらい好きだったけど、石岡さんが監督を務めたMVの曲がかなりお気にいりになった。今でも聴いている。

2月10日 透明な力たち展

もう今書きながら私は何をやっているんだという感じですが、同じ日に同時開催されていた展示にも行きました。
こちらの展示は撮影可能だったので、一眼レフで撮影もしました。初の美術館展示with一眼レフ、とても学びになったし凄く楽しかったです。

体験型の展示があったり、空間がすごくあっさりとしていたり、明るくて開放的な雰囲気で良かった。人の波も落ち着いてきていたし。これで暗めの展示が続いていたら変死体になっていたかもしれない。

「透明な力たち」という名前の通り、磁力、音、科学的な力、ルールや規則、習慣、など私たちの世界を取り巻いている見えない力に注目してつくられた作品群。

音や音楽に最近私の興味が常駐しているというのもあって、好きだな~と思って記録した作品はそれに関連するものが多い。清水陽子さんの《バイオスピーカー》の前にはしばらくいた。流れている音楽も好きだったのに探したけれど、Applemusicで聞けなくてちょっとしょんぼりしています。中村友胤さんの音楽。
同じ清水さんの作品のひとつ、DNAで書かれた日記も好き。

展示の最後の方にあった久保ガエタンさんの「世界は音で満たされている」は好きすぎて、あの体験を何度も反芻しながら帰った。

中島佑太さんの展示は、後から振り返っている回数が一番多いかもしれない。当日はめちゃめちゃシンプルに楽しんでしまった。紙飛行機がうまく飛ばせなくて、その場にいた男性に折り方を教えていただいたりしました。

「当たり前」を形にしたり気づかせたりする、という体験は、アートじゃなくてもあるけれど、でもその形としてこの作品はとても面白かったなと思う。あと雰囲気が好き。

一眼レフを持って鑑賞していると、目の前の展示を鑑賞する、という視点に加えて被写体としての側面を重視してみてしまったように思う。そこはかなり反省したいポイントだった。
「映え~!」って言って買ったアイスの写真撮って食べずに捨てるような行為を私は避けて生きていきたいのですが、それと全く同じ構造のことをしてしまったような気がする。

夕暮れ、ふらふらになりながら美術館を出て、衝動的にバーミヤンに入りたくなったのを耐えたのはとても偉かったのに、駅に着く直前で海鮮丼を衝動買いしてしまいました。帰宅後食べて即寝した。海鮮丼は美味しかったです。

2月14日 内と外 Back to Real 展

銀座での待ち合わせまで時間があったので、近場のギャラリーに寄ってから行くことにした。
記憶上初めて駒込駅で降りた。知らない駅で降りるのはいつも楽しい。

3人の作家さんが参加されている合同展。
翌日が最終日だったからかもしれないけれど、作家さんがお2人も在廊されていた。お話を伺いながら作品を鑑賞した。

その人の声を知っているか否かということは少しだけ鑑賞をするときの視点に関わってくるような気がする。良くも悪くも響く。でも今回は良い方だった。

小さい空間の中に三人分の作品が共存しているのが面白かった。形状も方向性も見せ方も違う。育ち蠢くタイプの展示があったので、最終日に近いタイミングで行ったのが惜しかったな、という気持ちにもなった。通い甲斐のある展示だったのに……!

来年度から街をつくるお勉強をすることになっているのもあって、街が関わる作品にはおのずと惹かれる。私が生まれる前の池袋を題材にした作品はとても印象的だった。街文化的驚きがあった。

生まれてすらいないときの街の様子を知っているのが少し羨ましくなったけど、私の周囲にいる人、同級生や友人も、私の知る街の知らない顔を当たり前に知っているのだとぼんやりと考えながらみるなど。

普通に鑑賞していたら待ち合わせに遅刻したしもっとみたかったので、もう少し時間のゆとりがあったほうがいいなぁと思った。
ギャラリーって規模が小さいので気軽にいけるけど、でもしっかり味わえるのでとてもお得な気分になる。あと独自色が濃い感じがする。

2月14日 アニメ「BANANA FISH」鑑賞開始

正直書くか迷いましたが、最近の私の情緒は確実にこのアニメに侵されつつあるので書くしかないだろうと思ったので書いちゃいました。

2月13日の夜に地震がありました。滅多に地震のない地域で育ったおかげで、あの地震にはかなり驚いたし若干パニックになりました。
普段から意識はしていなかったのですが、あぁ、備えが無かったら死ぬな、と思ったときに脳裏にこのアニメのことがよぎりました。まだ観てないのに死ねるか、と。

一夜明けてもその気持ちは変わらず、明日死んだら困るので観よう、と思って観始めたバナナフィッシュに私はかなり心をやられています。現在11話まで観進めました。

観たことをTwitter上で報告し始めてから色んな人に反応をいただいたり言葉をいただいたりして、そんなにヤバいの? と普通にビビっていたのですが、怖いくらいにするすると感想が書けるし観れるしこれは確かにヤバコンテンツである、と確信しています。最後まで観るのが怖いような楽しみなような……。

***

ひとまずここまでが前半戦です。や、やったな~! と書いてみて思いました。ほぼ6000字くらいあります。
並行して2冊本を読み進めるなどしていますが、ぜんぜん読めていないので、読了したらまた感想を書こうと思います。

今はひとまず以上!
後半も質良く楽しく戦うぞ~!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?