『僕の思考は、過ちかもしれない。』

先のことを考えて、
不安を抱える自分がいる。
「このままでいいのかな?」
って、疑問を持っている。

きっと、僕は、無意識に
"周りと比較している"んだと思う。
「僕と同じ歳の頃、"他の人なら、
 既に、世の中で活躍している"。」

周りと比較する度に、
落ち着きを失って、焦り始める。
今日が人生最後かもしれない日々の中で、
呑気に、明日の予定や
未来の生活のことを、決めている。

「それで?」
それで、何を言いたいのか。

いくら、周りと比較しても、
不安で焦っていても、
明日の予定を立てても、
未来の生活を考えても、
「自分は、自分の人生しか生きられない。」

誰もがご存知の通り、
僕は、君ではなく、君は、僕ではない。
お互いに代わり合えるのなら、
君はまだ、生きられたのだろう。

ーーーーーーーー折り返しーーーーーーーー

答えのない人生というよりも、
答えがありすぎる人生の中で、
何かしらの答えを提示してみる。

頭の中で考えられること全てが、
自分の人生に起こる事実事項。
逆に、考えられないことは、
自分の人生に起こらない出来事。
要するに、自分は、
"この世の全てを知り得ない存在"である。

そんな自分が、いくら考えたところで、
的中する確率は、どれくらいだろうか。
簡単なこと、単純なことなら、
想像通りに事が進むとしても、
難関なこと、複雑なことなら、
想像通りにことが進むのかな。

例えば、今の自分の様子や容姿を、
過去の自分は、想像できたのだろうか?
どこまで、確信を持てていたのだろうか。
また、未来の自分も想像出来るのだろうか。

こんなことを考えていると、
「僅かな事実を元に、限りなく広い
 可能性の中を、生きているのかな?」
って、思うんだ。

当たり前のように思える毎日に、"同じ日がないこと"を知った。きっと、あなたのその行動にも、"同じ行動はない"でしょう。"かけがえのない毎日"と"あなたのその何気ない行動"は、たった一度の出来事なのよね。ありがとう。