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essay|10,000日、生きたこと

先日、10,000日誕生日というものを迎えた。

10,000日誕生日というものを意識したことはないが、27歳と数か月で迎えるらしい。
教えてくれたのは、いつもお世話になっている恩師。
ありがとうございます。


さて、生まれて10,000日、20代後半…私は焦ってます。
最近はいろんな方に聞きたい。
みんな、焦るものなのでしょうか、うまく隠しているのか。

私はこの焦りを自分の中で解消できず、外に出してしまうこともしばしば。

20代後半は、人生の選択が一番多い時期だと、個人的には思う。
もちろん何かを始めるのに、どの時期・年齢でも遅くはない、というのも理解してはいるが、私はどうしてもそこに人生のコスパのようなものを考えてしまう。

何かを学ぶにも、チャレンジするにも、体力を使うのも、若い方がいい。
若くて、吸収力があって、身軽で…そんなことを考えていたら、自分の進む先の人生が全てこれらを失いつつある未来に進んていくようで、怖くてならない。

何でも選べるこの時期に、何もしていない自分が怖い。
これが一番的確なのかもしれない。
自業自得と言えば、自業自得ですが。

前述の通り、何かを始めることに遅い時期なんてないと思う。
むしろ、何歳になっても、新たな事を取り入れたりチャレンジしたり、刺激のある人生を送りたいとも思っている。

でもなんなんだろう、この焦りというか、恐怖感は…
10,000日生きて、私は何ができるようになったんだろうか。
ぼんやりと、この10,000日誕生日を迎えて、思った。

10,000日生きても、満足できていないことだらけ。

そろそろ、この満足の為に動かないといけないし、計画も立てないといけない。
自分自身で自分の満足を作る。
作っていく作業だとすれば、自己啓発といった、私の苦手な言葉も少し受け入れられる気がする。

一朝一夕に○○できないというけれど、最近は本当にこれを重く感じる。
叶えたいものこそ、手に入れたいものこそ、はっきりとその像を描いて、計画立てて動かないといけない。

27歳でこんな基本的な事を痛感している。
「自分の人生の主人公は自分」的なことをよく耳にしますが、まさにそう。
自分の世話をするのは自分。
ポケモンを戦わせてレベルアップさせていたのに、自分自身に何も課さず、不満を嘆いても仕方ないですね。


人生で何の優先度が高いのか。きっと、そのために手放す何かも生まれてくると思う。
後悔がないように手放せるのか、うまく手放す事も、大人になるということなんでしょう…

全てがドラマのように、良いとこ取りが出来るとは思っていません。
それが分かるくらいには大人になりました。

今、この年齢で何かを判断することが早すぎるのか、計画ばかり立てても、人生はままならないことだらけだと思うので決めつけも良くないと、ぐるぐる思考は止まりませんが、1つの節目として、こっそり決意表明です。


本音だと、何も考えずに遊んでいられなくなった事が寂しいんだろうなぁ…


さて、10,000日生きましたが、まだニューヨークにもパリにも行けてません。
死ぬまでには行きたいものです。

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