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握りしめた「おまじない」

今日、いい歳して地元で道に迷うということをしてきましたヨルです。
こんばんは。
あらためて自分のポンコツ具合に驚いています。


さて、先日は
【そもそもなぜメンタルの深い谷に堕ちてしまったのか】
について書かせていただきました。
今日はその続きです。


その深い谷は、自分で仕掛けた罠であるとお話しました。
私は、先程も述べたようにポンコツです。
そんなポンコツな自分は、
社会の中で結果を出さなければ、
誰かの役に立たなければ、
周りから称賛される自分にならなければ、
「生きる価値がない」
と思い込んでいました。


その「生きる価値」を手に入れる為に、
睡眠も食事も休息も感情も無視して努力した結果、私は人からの称賛を手に入れました。
それは、
『あなたはこの社会の一員である』
という許可証のようでした。

これでようやく、「普通」に生きていける。そう思っていました。

しかし残念なことに、私はポンコツなのです。
心身共に限界を迎えて転落した私が谷底から這い上がるために、その許可証はなんの役にも立ちませんでした。


鉛のように重たくなった体で、
途方に暮れ、
最初はただじっとするしかありませんでした。


そのうちに、
ある言葉が私の中に浮かんできました。





〈すごくなくていい〉




私は浮かんできたその言葉を、口に出して言ってみました。



「すごくなくていい………すごくなくていい?」




そもそもなぜ、すごくなければならないのか。
なぜ、私は私のままで生きてはいけないのか。


私は、私の大切な人たちのことを考えていました。
その人たちは、なんにもない私を好きだと言ってくれる。
自分を否定することは、その人たちの想いを否定することのような気がしました。


それからは、
〈すごくなくていい〉を心の中で唱え続けました。

してもらった記憶はありませんが、小さい子どもが転んで、お母さんがしてくれるあの

〈痛い痛いのとんでいけ〉
のように。

すごくなくていい

すごくなくていい

おろおろしながらその言葉だけを唱える私は、まるで小さい子どものようでした。

そのおまじないだけをぎゅっと握りしめて、
気付けば私は地上に戻っていました。



今日はメンタルの谷からどうやって這い上がったかについて、書かせていただきました。
苦しい誰かの、砂粒ほどでも希望になれたら、この上ない喜びです。

お付き合いいただきありがとうございました。

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