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微粒子にさえすがれない

三越でお盆の用事を済ませたらいい感じにお昼を過ぎていたけれどパスタセットとか定食の気分ではなくて、適当なパン屋でウィンナーがどーんと乗ったパン、それと向かいの輸入食品店でベルギービールを買って公園へ行くことにした。
地下街を通り抜ける途中、瀬戸康史が薄琥珀の注がれたグラスを持ってこちらに笑いかけているのが見えた。あーあ彼も結婚してしまった。ここを通るたびにどんよりしてしまうのを、通ってからいつも思い出す。

推しの俳優やバンドマンの結婚に多少なりともがっかりしてしまうなんて、もしかして私は彼と結婚できるとでも思っているのだろうか。おこがましいにも程がありすぎるが、かなり無茶苦茶でも何かしらこじつけてしまえば可能性としてはゼロではない。
この前だってテレビで、北川景子は結婚しちゃったから最近は浜辺美波を推しているとけっこう歳のいった男性が言っていた。
私が瀬戸康史と結婚できる可能性はマイクロレベルで存在しているし、愛人だったらもう僅かに大きいかもしれないと思うのと同じで、美波推しのじいちゃんだってナノレベルくらいの可能性を心の隅っこで温め温めしているのだろう。

目星をつけていた広場は思っていたより日当たりが強かった上に、女先生を囲んで真剣に座禅を組んでいる集団がいたので少し先の大通りに挟まれた噴水広場に腰を落ち着けた。
少しぬるい泡を吹き出すビールに急いで口をつけて喉を潤したところに冷めたウィンナーとパンを大きめに噛みちぎる。
ちょっと質の良いワンピースとピアスでめかし込んでおきながら、といよいよ楽しくなって空を仰いでまた喉を鳴らす。今日は雲がやや多い。

小一時間経つと日差しが強くなってきた。だけどこうやって外で気持ちよく酒を飲んでいる中で、腕をカバーでいそいそと覆ったり日焼け止めを塗り直したり日傘をさしたりするのを私はかなりかっこ悪いというか、美しくないなと思っている。暴力よろしく突き刺さる光と熱風を纏いながら飲めば飲んだだけ肌から抜けていく酒の感触を楽しめるのは夏だけなのに。
それでも日焼けはやっぱり痛くてイヤだから、持ち歩いているファーンブロックを一応摂取しておくことにする。これだって色素沈着を予防するとか日本人の肌にあわせた処方だとか飲む日焼け止めとか言われているけれど、効果のほどは結局将来になってみなきゃわからない。だからまあ、これに関しては私の中ではミリ程度の期待しか持ち合わせていない。水じゃなくたって効果は変わらないだろう、ビールで流し込む。

気温も高いが湿度も高いのでアルコールはさっぱり抜けていかず、体はますます熱を持った。盆地の夏を舐めていた。
途中、正面に座っていたじいさんがふらりと立ち上がってこちらに寄ってきた。セミの声がうるさくてよく聞こえなかったが、地下街の飲み屋に誘っているようだった。食べかけのパンを見せて、もう食べちゃったごめんねと言ったら、ホテル、ホテルと突然単語で喋り出した。残りのビールは信号待ちで消費できそうだ、聞こえなかったフリをして公園をあとにする。
マスクを下げて笑いかけるじいさんは歯が全くなかった。猛暑の中歩くのさえ覚束ないようだったが、あんな状態でも微粒子レベルのラッキースケベの可能性を信じているのかもしれない。

私は明日、いつぞやキスだけした得体の知れないギターマンとうっかり再会してちゃっかり駆け落ちするかもしれないし、それよりも先、今この瞬間新種のウィルスに侵され夜が明けるのを待たずあっけなく死んじゃうかもしれない。私も、誰しも、いつもマイクロナノピコレベルの可能性に遭遇し、かわし、すがり、ぶっ壊しながら生きている。

好きな男とはもう春以来連絡を取っていない。瀬戸康史の愛人になるとか結婚するよりも、飛行機も新幹線もない場所に住む男にもう一度会えることの方がよっぽど難しいように思えてくる。下書きを打っては消してこのままもじもじと何も言えないままに夏が終わってしまいそうだ。マイクロよりかはだいぶ大きめの可能性を孕んでいるはずなのになぜかすがりつけずにいる。
うーんやだやだ。打ちかけたメールを閉じて地下鉄に勢い勇んで乗り込んだけれど、蒸し暑さから解放された安心感でうっかり乗り過ごし、すんと取り繕って反対の電車へ移動した。もう最近こんなのばっかりだ。

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