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雪が溶けて山を崩す、本を読むこと

朝はベーコンとエリンギの豆乳スープとぶどうを食べた。ソファに横たわって本を読んでいたら眠くなって、目が覚めると本は床に落ちていた。優しくなった日差しに洗濯物が揺れていて、全開にしていた窓からは乾いた匂いのする心地いい風が入ってきて、なんか幸せだなあとぼんやり思った。

フォローしているみんなが読んでいた、岸本佐知子編訳の「居心地の悪い部屋」がおもしろそうで私も買って読んでみた。
正直意味わかんないな…と思ったけど、こういうもやもやとしてうまく掴めないのに景色がやけに鮮烈に残る話はすごく好きなので、しばらくパラパラめくっているかもしれない。
お気に入りのストーリーはいくつかあったけど何よりも岸本佐知子のあとがきが最高に良かった。電車を間違えて乗り換えるけれど、どんどん目的地から遠ざかっていく夢をよく見ていたらしい。

見知らぬ駅に立つと、まるで異世界に来てしまったような心細さだ。電車を一本乗り違えただけなのに、もう二度と元の世界には帰れないような気がする。
何か一つ話を読んだあと、そんな気分になれたら嬉しい。もちろん、すっきりさわやかな気分になって、自分の立っている地面のゆるぎなさを再確認するような読書体験も素晴らしいけれど、もしも小説を読むことが電車に乗るようなものだとしたら、降りたときに元いた場所と同じところに立っているのではつまらないじゃないか、と思うのだ。

私は間違いなく知らない世界に連れて行かれたし、大丈夫大丈夫戻れるよって引き返したここはもう私の知っていた場所じゃないかもしれない。

最近、本を読むとは私にとってどういうことだろうって考えていて、森を創り上げるための水源を豊かにするというイメージに私は落ち着く気がする。
本は雨を降らせたり雪を溶かしたり、奥の方から水を湧き出させたりする。そうして流れ込んできて、新たな木を産み、花を咲かせ、ときどき山を崩し歪な形を私の中に残していく。

林真理子はコラムで、読書はドロドロもやもやした感情を言語化し形を作り、生きる指針のようなものにしてくれると書いていた。
「居心地の悪い部屋」が生きる指針になるかは微妙だけど、ずっと止まないかもしれないと思わせる雨を確かに降らせたし、いつか忘れた頃にどこかの木の下に珍妙な花を咲かせるような気がする。

昨日の夜は爪をかわいくしました。

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