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アルバムレビュー - Tatsuhisa Yamamoto『shishushushuka』

即興やジャズから歌ものの伴奏まで幅広く演奏し、七尾旅人やジム・オルークのバンドでは長期間に渡り演奏を続けているドラム奏者の山本達久による2020年リリースの作品。山本さんは2020年4月よりbandcamp上での自主制作の録音作品のリリースを開始。本作はそこで発表された2つめの新規の録音作となります。

(1作目『dokoniittemo / itsumadetattemo』と本作の間に『LIVE at Foxhole 07112015 (remasterd)』という作品もリリースされていますが、これは過去にライブ会場限定でCDRで販売していた『a chromed cactus』の収録トラックの一つを収めた再発作になります)

bandcampのアルバムページには収録されている2曲両方への波多野敦子(ジム・オルーク関連の活動で共演する機会も多いヴィオラ奏者)の参加と、「もし可能であれば、出来るだけ大きな音で聴いてみてください」との表記があります。加えて山本さんのHPのリリース欄には本作の内容について「走行中の車の内部録音(環境音)を基に、その音のもつ色々な可能性を炙り出した作品」とより踏み込んだ説明が付されています。アルバムタイトルは意味が読み取りにくい『shishushushuka』という一語になっていますが、2つのトラックタイトルで「shishu」と「shushuka」に分割されていることを考えると“詩集収集家”と変換することが一応できるかなと思います(ジャケ写にも詩集っぽいもの映ってますし)。


本作『shishushushuka』の作風は前作『dokoniittemo / itsumadetattemo』に通じるゆったりとしたアンビエント寄りの電子音楽なのですが、前作が収録音量やそこに含まれる打楽器の演奏に小さめの音量で再生されることを想定しているようなニュアンスが聴き取れたのに対し、本作はキャプションに“もし可能であれば、出来るだけ大きな音で聴いてみてください”と表記があり、音色の感触などで通じるものを感じさせつつもそれによって表現したいものは対照的であることを伺わせます。


1曲目「shishu」はキーの判定がしっかりできるような音楽的に整ったドローン寄りのアンビエントがいくつか連結されたような成り立ちになっているのですが、その連結はフェードアウト/フェードインで切れ目なく持続音を繋ぐというものではなく、車内から録音された環境音によって持続が一旦断ち切られ、次のパートが入ってくるという方法が取られています(20:20での場面の切り替わり(後述する分類では③のパート)のみ環境音ではなく波多野敦子による弦の演奏を編集したパートによって切断されます)。

曲中で表れるアンビエント的なパートは私の認識では3つで時間を記すと①00:00~13:57、②14:16~17:27、③20:20、という具合ですが、特に①のパートは安定したキー(おそらくD)に基づく様々な音程がゆらゆらと移ろうような成り立ちで、時間の経過によって耳に留まる音程に変化はあるものの秩序を乱したりまたはそれに回収されない外部から耳をつつくようなサウンドは用いられないため、深く腰を落ち着けて大きな変化のない風景を眺めているような感覚に浸れるのですが、それ故に13:58での切断のショッキングな効果が際立っています。

この①のパートでは全体の音量がゆっくりとクレッシェンドしていくような構成になっているため、先述の一つのキーに基づいた音の配置も踏まえて聴き手の身体に時間をかけて深く浸透していくような効果が生まれているのですが、これは大きな音量でしっかり音に集中して聴くほど増進される感覚であり、故に切断によって突如他の時間や空間に放り出されるような効果も同様によりショッキングなものとなるため、それが推奨されているのは頷けますし、環境音の取り込み方としても面白いものであると思います。

車中というのはツアーなどで演奏活動を行うミュージシャンにとっては音楽を鳴らす場とはまた異なった意味で必要不可欠な場と時間であるため、音楽的に整った場面とコントラストを感じさせるかたちでそれが差し込まれている点にはちょっといろいろ考えさせられてしまうところもありますが、車内からの環境音は例えば②の場面では電子音の持続に被さるかたちで鳴らされていたりもするので、音楽を切断するような配置も何かの意見を忍ばせたものというよりは様々な用い方を探る中で見出された音楽的な面白みを感じる用法の一つとして受け取るのが個人的にはいいかなと思います。

(②の場面ではバイクの走行音が被せられるのですが、その際に低いFの音がブワッと浮かび上がってくる感じが面白いです。元々の走行音に含まれていた低音を強調しているのか同じタイミングで別に音を重ねているのかわかりませんが、これによって環境音の差し込みが背景的ではないインプレッションあるものとして耳に入ります)


2曲目「shushuka」もいくつかのパートが連結されたような成り立ちは1曲目と共通しているのですが、こちらでは連結が持続音のフェードアウト/フェードインを用いた滑らかなものになっているのが対照的です。車内からの環境音も1曲目のようにはっきりそれとわかる形で表れることはなく、かなり抽象化された形で用いられているのではないかという印象です。

こちらでも私の認識でパートを書き出してみると①00:00~4:25、②5:30~9:30、③9:30~17:05、④17:05~最後まで、といった具合になりますが、特に耳を引くのは①と②を繋ぐパートにあたる時間(04:25~5:30辺り)で表れるBbを基音にいろんな倍音がまとわりついたような濁った音色が再度用いられ、更に11:00以降では1曲目「shishu」のラストで用いられていた弦のパートが加わるという、再現された要素を中心に音楽が形作られている③のパートです。1曲目と同様にキーの断定がしやすくそこに紐づかないサウンドの出現も多くない本トラックの①と②に対して、③では(前述の再現された要素はある程度固定化された動きであるものの)左右で捉えどころのない音程の動きをする弦の演奏が多くの時間で入り込んでいるため音程の秩序という意味ではそれまでのパートより抽象的な印象をもたらしますし、アルバムを通して聴いているととても印象に残るハイライトになっていると感じます(弦の演奏が波多野さんなので当然といえば当然なのですが、波多野さんのアルバム『Cells #2 』に通じる響きの複雑さと瞑想性を感じました)。

本トラックは③と④の移り変わりの部分のみ滑らかではなくプツッと音が切断されますが、1曲目のように別空間に放り出されるような効果は生んでおらず、最後のパートとなる④にしっかり意識を向けるためのちょっとしたフックくらいの効果に留まっている印象ですし、少なくとも17分辺りまではしっかりと切れ目のない音楽が鳴らされているので1曲目と対照的なアプローチを感じるトラックといえるかと思います。

車内からの環境音の用いられ方については上手く掴むことができないもののサウンドとその繋がり方がとても好みだったというのが本トラックに対する私の印象になります。


アルバムの基となったという車内からの環境音の組み込み方がしっかりと印象に残る音楽的効果を生んでいる1曲目、そして音要素の再現など構成面の工夫が自分にとって好みなサウンドに結びついてくれた2曲目と、異なった意味合いにはなってしまいますがどちらにも興味を引かれる作品でした。

推測ですが、本作の「走行中の車の内部録音を基に、この音のもつ色々な可能性を炙り出した」という側面はbandcampのページには記されていないことからもあくまで作品の取っ掛かり程度の存在であって作品の方向性を強力に規定するコンセプトというほどのものではないのかもしれません。例えば本作が1曲目から先に作られていたとするとその環境音の存在が直接的な音楽の価値に結びついている1曲目と、その1曲目からいくつかの要素を受け継ぎつつ環境音の存在を際立たせることに縛られず異なるアプローチも試しながら制作されたように思える2曲目という作風の変化も腑に落ちますし……。



2曲目の③のパートで用いられている濁った音色にはEliane Radigueのドローンに通じるような響きの深みを感じました(つまり大好き)。


1作目『dokoniittemo / itsumadetattemo』のレビューも書いています。山本達久のbandcampリリースはこれを書いている時点でリリースされたものは全て聴いていますが、どれが最も好みかというとこれと本作『shishushushuka』で凄く迷います。







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